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連載エッセイ「先見日記」より11作品を公開

『先見日記』(「先見日記 Insight Diaries」)は、株式会社NTTデータのWebサイトにて2002年10月から2008年9月までの6年間にわたり、延べ16人の執筆者によって連載された日記形式のエッセイです。片岡義男は創刊時から2005年4月までの約2年半、毎週火曜日を担当しました。今回は2005年1月から2005年4月にかけて掲載された11作品を公開します。いずれも他の書籍には未収録の作品ばかりです。
(※『先見日記』からの作品公開は今回が最終回です)

 東京のいろんなところで僕は写真を撮り歩く。起点から電車に乗り、ひと駅ごとに降りては、その駅の両側にある商店街を中心に、半日で歩けるだけ歩いて写真を撮る、というスタイルだ。すべての脇道に入り、あらゆる路地を抜けてみるのが基本方針なので、歩く距離の合計はかなりになる。それでも駅から最も遠く離れたとしても徒歩25分くらいまでのところか。7万分の1縮尺の東京の地図の上で、一番遠く離れた両端を駅を中心にして直径にしてみると20センチほどになる。この場所こそが東京の核心だ、と常に僕が思いを新たにする箇所が、そのようないくつもの円の中に、必ず存在する。

(『先見日記』NTTデータ/2005年2月1日掲載)

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 ホワイト・ハウスのサイトにアクセスしてブッシュ大統領の様々なスピーチを読んでいると、神という言葉を中心に置いた言い回しが、頻繁に登場する。どれもみなごく平凡な言い回しばかりだから、アメリカの人たちにとっては目ざわりではなく、一向に気にならない。ごく普通の人たちの日常の言葉のなかに、神は常にあらわれる。これはこれでかまわない。アメリカとはそのような国なのだ。しかし現政権(ジョージ・W・ブッシュ政権)と神との関係において、なにがもっとも困るかと言うと、神が政権つまりいまの国家になってしまっていることだ。

(『先見日記』NTTデータ/2005年2月8日掲載)

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 人身売買の防止制度や被害者の保護対策などにおいて、日本は大きく欠けるところがあるという理由で、アメリカ国務省による2004年度報告のなかで、日本は「監視対象国」に指定された。「監視対象国」に指定された日本政府の反応は、なぜかフィリピンに向けられたようだ。朝日新聞の記事によると、2003年にショー・ビジネスのヴィザで日本に入国した外国人は13万人で、そのうちの8万人がフィリピン人であり、この半数以上が、ショー・ビジネスのヴィザでは就労することの出来ないホステス接客業についている、ということだった

(『先見日記』NTTデータ/2005年2月15日掲載)

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 5月に刊行される予定の僕の短編集『物のかたちのバラッド』の校正刷りを、つい先日、読み終えた。書いた当人である僕は、この8篇の短編小説に対して、とっくに第三者的な立場を獲得していると言っていい。だから校正刷りを読んでいくときの僕は、それらの物語に対して第三者の視点を持った、新たな僕だった。読んでいく途中、そして読み終えて、その新たな僕が手にした感慨のようなもの、あるいはつくづくと考えたこと、などと言ってもいいかと思うが、それは何だったかというと、これはいったい何語だろうか、というものだった。

(『先見日記』NTTデータ/2005年2月22日掲載)

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 春の小川の流れる音は、どんな音ですか」というトリヴィア・クイズに正解の出来ない人はいないだろう、と思うのは間違いだそうだ。答える人の年齢にもよるけれど、若い人だと半分は答えられないのではないか、という説を人から聞かされて、日本から消えていく音というものについて、僕はしばし思いを巡らせることになった。「村の鎮守のお祭りではどんな音が聞こえてきますか」という質問はどうだろう。「村の鎮守」が何なのか、それがそもそも理解出来ないという人は多いだろう、とは僕も思う。「フランチェスカの鐘の音はどんな音ですか」となると、もう全滅かもしれない。

(『先見日記』NTTデータ/2005年3月1日掲載)

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 自宅からいつもの私鉄の駅まで、普通に歩いて2分か4分だ。そしてこの短い時間の大部分が階段だ。この階段の途中に猫がいる。階段のちょうどまんなかあたりの家に飼われている猫だ。気が向けば自由に外を行き来している。この階段を通る人たちから、この猫は愛されている。しゃがみ込んで猫におおいかぶさるかのようにして、普段は絶対に使わない声で、何ごとか語りかけている若い女性がいたりする。青年も関心を示す。いちばん冷淡なのは会社帰りのおじさんたちだろうか。しかし彼らと言えども、ああ、この猫が今日もここにいるな、という程度の認識はしているはずだ。

(『先見日記』NTTデータ/2005年3月8日掲載)

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 杉花粉が大量に飛ぶ季節のただなかだが、ふと気がつくと今年の僕には花粉症の症状が出ていない。10年近くは続いていたはずの、昨年までのあの嫌な症状がほとんどない。目頭がかすかに痒いときがある。鼻につんと来てくしゃみが2度、続けて出ることがある。あるとすればその程度だ。昨年のこの季節には、朝に目が覚めるとそのとたん、くしゃみが8回ほど続き、そこからあとは鼻水とくしゃみ、そして体が妙に冷えたような、風邪の引き始めに似た元気のない状態が、夜、眠りに落ちるまで続いていたのに。

(『先見日記』NTTデータ/2005年3月15日掲載)

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 きれいに晴れた日の午後、都内で僕は写真を撮った。すでに10年以上に渡って続けている「東京を撮る」という試みの延長だ。商店街から脇道に入ってちょっと行ったところに一軒の喫茶店があった。少なくとも半世紀は営業してきた店ではないか、と僕は見当をつけた。店のドアに風情があり、僕はそのドアを写真に撮った。そのスライドを4倍のルーペ越しにライト・テーブルで観察してみると、ドアの左肩の部分にウェイトレスを募集していることを告げる、手書きの貼り紙があった。「恥じらいのある女性、募集」と、その貼り紙にはあった。

(『先見日記』NTTデータ/2005年3月22日掲載)

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 1940年代のアメリカで大変な人気のあった女優に、リタ・ヘイワースという人がいた。代表作は1946年の『ギルダ』だということになっている。このリタ・ヘイワースが、いろんな映画の中で歌った歌を32曲集めて、二枚組のCDにしたものを僕は持っている。1957年に出演した『パル・ジョーイー』というミュージカル映画から、と断ったうえで、『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』という歌が収録してある。2、3年前に僕はこの歌を聴き、大きな感銘を受けた。その素晴らしい歌いぶりは、女性によって歌われた『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』として最高のものだ、と思った。いまでもその思いに変化はない。

(『先見日記』NTTデータ/2005年3月29日掲載)

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 僕によく似た人が、関西から中国地方にかけて何人かいるようだ。なんとなく似ているとというような似かたではなく、ほんとにそっくり、瓜ふたつ、という似かたなのだ。この30年ほどの間に、目撃の報告が30件を越えたと思う。つい最近も大阪から報告があった。まさにこの僕でしかないような人が、大阪の食堂でひとり夕食を食べていたという。目撃したその人は僕に3年ほど会っておらず、懐かしさに思わず歩み寄り声をかけようとしたが、思いとどまった。カタオカさんが今ここにいるはずがない、という理性の力が働いたのだそうだ。声をかければよかったのに。その人はカタオカさんという人だったかもしれない。

(『先見日記』NTTデータ/2005年4月5日掲載)

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 空疎な言葉、という言い方がある。喋るにせよ書くにせよ、確かな実体の裏づけを何ら伴っていない言葉、というような意味だ。この2、3年、この言いかたをよく目にし耳にする。では、言葉の裏づけとなり得るほどの確かな実体とは、いったいなにか。正確で深く、しかも範囲の広い知識をもとに、自前で考えて到達した方針や信念あるいは作戦などにもとづき、有効な行動をとってそれを積み重ね、その人の実績として誰もが認めるようになったもの。簡単に言えば実体とはこういうものだ。

(『先見日記』NTTデータ/2005年4月12日掲載)

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2025年5月30日 00:00 | 電子化計画

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