VOYAGER

片岡義男.com 全著作電子化計画

MENU

お知らせ

『酒林』随筆特集よりエッセイ4作品を公開(4)

香川県琴平町の酒造会社・西野金陵(にしのきんりょう)株式会社が、「日本酒と文化の融合」をテーマに昭和30年から発行している雑誌『酒林』の「随筆特集」に掲載されたエッセイ4作品を本日公開いたしました。いずれも書籍化されていない作品です。

 今から30年ほど前、まだ鰯が大量に収穫され、その多くが飼料になっていた頃。漁港を見たくなった僕は東京駅から電車に乗り、千葉県の銚子港までいってみた。岸壁で1隻の鰯漁船が横づけとなっていて、鰯が陸揚げされていた。何匹もの鰯がトラックの荷台から岸壁へとこぼれ落ちた。その時、僕のすぐそばを大きな猫が1匹ゆっくりと歩いて、1匹の鰯へと近づいていった。そして鰯に顔を寄せて匂いをかぎ、おもむろにその鰯を口に横ぐわえしてどこかへと歩み去った。そのときの猫は、今日もまた鰯か、という顔をしていた。鰯はかつては大衆的な魚だったのだが、今では収穫される量が少なく高級な魚となった、という話を聞いたのは10年ほど前のことだ。鰯は猫まではいきわたらない。漁港で落ちている鰯を一匹横ぐわえして、今日もまた鰯か、という顔をしてどこへともなく消えた猫は、漁港へ行きさえすれば鰯を食べることの出来た猫たちの、おそらくは最後の世代の一匹だった。

(『酒林』随筆特集 西野金陵株式会社/第85号[2013年1月発行]掲載)

こちらからお読みいただけます

 彼は25歳で結婚した。奥さんはひとつだけ年下だった。結婚してちょうど30年が経過した夏のある日、奥さんは急性の心不全でこの世を去った。それから3年が経過し、いま彼は58歳だ。独身の静かなひとり暮らしで仕事を続けている。いつものように電車に乗るため、彼は自宅から駅へ歩いた。駅の改札へと上がっていく階段に向けて歩く人、あるいは階段を降りて来た人など、いろんな人が歩いているのを、道の向こう側から見るともなく見ていた彼は、ひとりの若い女性の姿を目にとめた。彼は驚いた、自分と結婚する前、まだ独身だった頃の20代だった奥さんに、その女性はそっくりだった。それからふた月ほどあと、33年前の独身の頃の妻に生き写しだったその女性を彼は再び見かけた。

(『酒林』随筆特集 西野金陵株式会社/第86号[2013年11月発行]掲載)

こちらからお読みいただけます

 1960年代なかばの日本には、アメリカやヨーロッパから、ポピュラーな歌手や楽団が数多く来演するようになっていた。そして、来日した歌手たちに日本語で歌わせてレコードにし、来日記念盤として発売することが、業界のなかでの慣例のようになった。今からおよそ半世紀前に日本へ来た外国の歌手たちに、ヒット・ソングを日本語で歌わせた7インチ盤を、僕は買い集めようとしている。心理的に距離の近くなった外国からの歌手たちに、彼らによってよく知られることになった歌を日本語で歌わせてレコードにし、その歌の出来ばえを楽しんだという、明らかに倒錯した行為を、そこからずいぶんと時間の経過した今、追体験してみたいからだ。半年前には、マヒナ・スターズによる1964年のヒット曲『ウナ・セラ・ディ東京』をミルヴァが日本語で歌った7インチ盤を買った。ミルヴァはこの歌の全体を日本語で歌っている。

(『酒林』随筆特集 西野金陵株式会社/第87号[2014年1月発行]掲載)

こちらからお読みいただけます

 2、3年前、当時の僕が書いたいくつかの短編小説を新聞で批評した文芸評論家が、今に至ってもこのような短編を平気な顔して書くことのできるお前は「いったい何者なのか」と、なかば自問自答していた。僕は何者なのか。者という字を「もの」と読む例はたくさんある。働き者。若い者。使いの者。……変わり者くらいなら多少は当てはまるかもしれない。「しゃ」と読む者の例として、目撃者、愛国者や学者あたりまでは、誰もが知っているだろう。僕に当てはめる言葉としては、筆者がある。筆を持つ者、あるいは、筆で書く者、という意味だろうか。生者は「せいしゃ」と読む。これになら僕も文句なしに該当する。
今はまだ生者の中の、どちらかと言えば変わり者の、しかし働き者と評しても過言ではないような、あるひとりの筆者。僕は何者なのか、という問いに対する答えとして、やっとこれだけのことが判明した。

(『酒林』随筆特集 西野金陵株式会社/第88号[2014年9月発行]掲載)

こちらからお読みいただけます

2024年9月20日 00:00 | 電子化計画

このエントリーをはてなブックマークに追加