『酒林』随筆特集よりエッセイ4作品を公開(2)
香川県琴平町の酒造会社・西野金陵(にしのきんりょう)株式会社が、昭和30年から発行している雑誌『酒林』の「随筆特集」で掲載されたエッセイ4作品を本日公開いたしました。いずれも書籍化されていない作品です。
文筆業、著述業、作家、小説家、といった言葉が肩書であるのかどうか、正確には知らないが、僕は仕事として実に様々な内容の文章を常に大量に書く。そのためにワープロという電子機器を使い始めたのは、いつ頃のことだったか。一番最初に買ったのは、安物のタイプライターのようなサイズと雰囲気の、大変ひどいデザインと色の、ポータブルな小型のワープロだった。オアシス・ライトとかいう名称だった。液晶の表示画面には驚くべきことに7文字しか表示されないのだった。だが実際にそれを使って文章を書いてみると、なんの支障もなしに、それまでの手書きと全く同じに自分自身の文章が書けてしまうのだ。文章は頭のなかで書いている。それを紙の上に固定するために使うのが、原稿用紙と万年筆、さらには7文字表示のワープロなのだ。その証拠に、僕は画面をほとんど見なかった。
(『酒林』随筆特集 西野金陵株式会社/第62号[2001年10月発行]掲載)
ごく最近、22、3歳の青年から、「B面って、なんですか」と、質問された。CDが普及する以前、およそ30年ほどLPというレコードの時代があった。直径30センチの黒いビニールの円盤で、裏表両面に音溝が刻んであった。表の面をA面、裏に該当する面をB面と呼んでいた。こういう事情を知らないでいると、『B面の最初の曲』というタイトルの意味がまるで理解出来ないことになる。実体が消えると、LPを巡ってかつては成立していた、極めて豊富な意味や行為などのすべてが消えていく。原稿用紙という言葉はまだ死語ではないにしろ、比喩で言うなら死線にごく近いところまで退いたと言っていい。「原稿用紙の枡目をひとつずつ言葉で埋めていく」「原稿用紙を前にして苦吟する」といった行為とその意味や内容が、原稿用紙という言葉とともに音もなく消えていく、そしてそのことに、実に多くの人たちが、一切何も感じない。
(『酒林』随筆特集 西野金陵株式会社/第63号[2002年1月発行]掲載)
歯が痛くなった。結論をまず書いておくと、虫歯だ。痛みはさほどでもない。痛み止めの錠剤を人にもらって服用すると、痛みは噓のように消え去り、安眠が確保出来たりしつつ、2日、3日と経過した。治るかもしれない、という楽観が半分ほどあった。しかし残りの半分では、これは医者へいったほうがいい、と直感してもいた。だから30年ぶりに歯科医の椅子にすわった。若い女性の助手と働き盛りの医師に、優しく気持ち良くあまやかされて小一時間を過ごした、という印象を僕は持った。午後4時過ぎ、歯科医院を出て、喫茶店でコーヒーをひとりで飲みながら、僕は自分の歯について思った。歯科医の診察券を初めて手に入れた。これで自分もひとかどの人物になった、と言えばそれは明らかに言いすぎだが、通過すべき地点をきちんと通過して、やっと人なみになれた、という思いは確実にある。
(『酒林』随筆特集 西野金陵株式会社/第65号[2003年1月発行]掲載)
その昔、電車ごっこという実にポピュラーな遊びがあった。ひとりでする電車ごっこのために、電車ごっこセットとも言うべきものもあった。その箱には紐がついていて、中には電車遊びに必要なものがひと揃い入っていた。何枚もつながって束になった切符、それをいかにも電車の切符らしくパンチする鋏、電車の路線図、ローセキ、電車ごっこのための紐など、箱の中に入っていたものをいまでもまだ僕は淡く記憶している。家のある脇道からその外の道へ出たところにひとりで立ち、人が歩いてくるのを待つ。着物を着た、年齢のやや高めの女性が通りかかると、僕はその人を呼びとめる。「おでかけですか。切符がないと電車に乗れませんよ。はい、切符を切ってあげます」と言いながら、僕は玩具の切符の束から一枚を切り離し、鋏でパンチを入れてその女性に差し出す。
(『酒林』随筆特集 西野金陵株式会社/第68号[2004年11月発行]掲載)
2024年9月6日 00:00 | 電子化計画
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