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評論『日本語で生きるとは』より5作品を公開

評論『日本語で生きるとは』(筑摩書房/1999年)より5作品を本日公開いたしました。

「よろしくお願いします」という日本語を英語で言うには、なんと言えばいいのですかと、十か月ほどのあいだに五人の人たちから訊かれたことが、僕がこの本を書くためのきっかけとなった。そんな言葉はないから言いようはないというのが、僕の答えだった。五人とも納得はしていなかった。自分とその相手との間に、何らかの関係が発生していなければ、「よろしくお願いします」と言う必要は生まれない。関係は無数にある。内容もさまざまだ。関係の質も方向も無限に違っている。しかし、ほとんどの場合、「よろしくお願いします」という言葉で間に合う。
 日本語世界では、どこにも属さない主体ひとりだけでは、埒はほとんど明かない。主体は何らかの関係の場にいなければならない。この生き方では、場がすべてに優先する。そのような固い構えの象徴が「よろしくお願いします」のひと言なのではないか。もしそうなら、これはとうてい英語にはならない。

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 使う言葉が英語のとき、名を呼ばれる場合を別にすると、いつでも誰からでも、僕は「ユー」と呼ばれる。僕を「ユー」とだけ呼ぶ相手を、僕もおなじように「ユー」と呼ぶ。相手と話をしているあいだ、「ユー」という弾丸が、次々に僕のなかに射ち込まれていく。そしてそれら数多くの「ユー」は、僕のなかですべて「アイ」へと変わる。自分を「アイ」と呼ぶとき、目の前にいる相手は「ユー」であり、その特定の「ユー」の背後には、地球上に現存する自分以外のすべての人という、無数の「ユー」が少なくとも原理的には存在している。
 他者の全員から「ユー」と呼ばれ、自らは自分のことを誰に対しても「アイ」としか呼べない自分は、これ以上ではあり得ないほどに個的であり、孤独だ。完璧に個的な自分。その自分は絶対孤独者だ。しかし、ひとりで生きていくことは出来ない。多くの他者と結んでいく社会的な関係の網の目のなかにしか、「アイ」にとってのまともな生存の道はない。

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 英語で文章を組み立てるには、たくさんある文法のルールにしたがって、そのルールの枠のなかで言葉を使っていく。そのようにして出来た正しい文章が音声になったものは、文法のルールが言葉を介して音声化されたものだ、と解釈することが出来る。誰もが常に文法的に正確無比に喋っているわけではない。しかしその喋りかたは、ルールをなにも知らずに間違った言いかたをしている人とは、質的にまるで異なる。
 文法のルールと自分が言いたいこととは別物だと思っている人が、日本の人たちのなかにはたいへん多いのではないか。いざとなれば単語をならべればなんとかなる、という日本人の好む方法は、文法のルールなどいっさい無視する態度だ。英語という言葉のルールにすべてを託すことが出来ないうちは、ルールを知らないままの状態が続いているのだから、いっこうに埒は明かない。

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 英語がペラペラと言うとき、そのペラペラさは、いかにも本場のもののように聞こえる流暢さだ。そして本場とは、戦後にかぎるなら、アメリカをおいてほかになかった。戦後五十数年が経過した現在でも、このことにほとんど変化はない。しかし、世界中いたるところで、すさまじい量の多種多様な情報が英語で行き交っている現在、英語の本場はここだと一か所を指さしてみても、そのことに意味はまったくない。英語の本場はいまや世界全体だ。そしてペラペラな英語は、日本人だけが夢見ている幻だ。日本人の喋る英語の目標が、ペラペラである必要はどこにもない。東洋訛りの訥弁でいいから、聞き返されない範囲内での正しい音とリズムによる、正しい組み立ての英語を喋ることが出来るなら、それで充分だ。
 世界の現場で必要なのは、アメリカらしさに満ちた英語ではなく、真に英語らしい英語だ。どこの国の人も、その国の人のままで駆使することの出来る、中立度の高い正用法のなかで使っていく英語、という種類の英語だ。僕が言うどこの国のものでもない英語とは、日本人にとっては自国語で形成した言語能力をそのまま生かすことの出来る英語だから、強いて言うなら日本の英語だ。

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 単語の意味の置き換えは、日本の英語教育の基本だ。学習するすべての単語に関して、ほとんどの場合ただひとつだけの日本語による意味への、置き換えがおこなわれる。前置詞の「オヴ」は「の」、「フラム」は「から」というような置き換えは、日本人が最初に行う英語の勉強のしかたではないだろうか。単純な置き換えという悪い癖は、けっして悪気はないのに、言葉に対してたかをくくった態度を生み出す。言葉に対するあまりにも幼稚な態度ではないか。
 自国語である日本語によるものの言いかたを、単純にそっくり英語に置き換えることは出来っこない。ただひとつ可能なのは、言いたいことを正しい英語のルールに乗せることだ。英語で喋るとき、頭のなかで和文英訳をする人はたいへん多い。英訳をするとき、その人は、自覚のあるなしにかかわらず、和文で言いたいことを英語に転換しやすいもうひとつの和文へと、頭のなかでとっさに直しているはずだ。明確に意識して純粋日本語に直すと、それは格段に英語にしやすくなるはずだ。

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2023年6月13日 00:00 | 電子化計画

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