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エッセイ「アーバン・カウボーイとすれ違った男」から8作品を公開

エッセイ「アーバン・カウボーイとすれ違った男」(小学館『GORO』/1981年2月〜1982年5月まで連載)からの8作品を本日公開いたしました。

アメリカから来た友人が「ヨシオ、リンゴを食うかい」と聞く。アメリカ人は、本当にリンゴに目がない。ぼくがつきあうアメリカ人は、全員、リンゴをよく食べる。リンゴが好きだから、というだけではなく、アメリカ人はリンゴというものに対して、すこし大げさに言うなら、信仰に近いような感情を抱いてさえいるようだ。そしてその食べ方には、実にアメリカ人的なルールがある。アメリカでリンゴが好かれるのは、アメリカ初期の開拓時代にずいぶん重宝されたことにルーツがあるのかもしれない。

(『GORO』 1981年7月9日号掲載

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夏を目前にして、ぼくと彼女はふたりで5泊の旅に出た。これといった目的も用もない小旅行は、ようするに、遊びだ。幼稚園のお遊戯を大人がやると、こういうことになるのだろう。遊びには遊び道具が必要だ。ガソリン・エンジン、6気筒の4230㏄、4輪駆動という車がその遊び道具だ。午後早くに東京を出て、高速道路をひた走って夕方前には小都市に着いた。オレンジ色の光が斜めに射してくる方に顔を向け「銭湯に入りたいな」と、彼女が言った。ぼくはバンダナを手ぬぐいの代わりに使うことにした。「ジャパニーズ・ロンサム・カウボーイだわね」と、彼女はぼくをからかった。

(『GORO』 1981年8月13日号掲載

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ぼくは小説を書く仕事をしていて、小説を読んでくれた人たちからの手紙が届く。それらを30通くらいまとめておき、2時間ほど時間をとって丁寧に読むと、その手紙のひとつひとつから受ける感銘の広がりかたや深さ、そしてそれがぼくに与えてくれるなにごとかのきっかけが、より大きくなるように思える。これは経験的に知った事実だ、と言っていい。先ほど読んだ38通の手紙は10代のなかばから20代ちょっと、という女性からのものが多い。いわゆる昔風のものではないが、どれも彼女たち自身が、どの手紙にもちゃんと出ていることが、非常に興味深いしうれしい。

(『GORO』 1981年9月10日号掲載

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秋風の吹く夜、彼女から電話がかかってきた。今年の夏の陽焼けはことのほかきれいに仕上がったから、その陽焼けがうすれないうちにぜひ見てほしい、と彼女は言っていた。見たい、とぼくは、こたえた。「それから」と、彼女は、言った。「自動車を買いかえたの。これも、見てほしいな」。夏が終ると、気持や感覚の上で、彼女は毎年大きな変動を体験するのだ。陽焼けは彼女にとって夏が終わるまで続いていた自分自身の残骸だ。そして夏が終るまでの自分と夏が終ってからの自分との違いを、自らさらに大きく増幅するためのひとつのささやかな手段として、自動車を買いかえた、というのだ。

(『GORO』 1981年10月8日号掲載

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オートバイで秋の光景の中を走っていると、時間が特別に今日だけは、ぼくたちのためにとまってくれているように思える……と、いうような日本の秋の1日を、これまでにぼくは、何度も何度も繰り返し体験してきた。その数多い秋の一日の体験が、記憶の中でカード式のファイルになっている。そこから1枚のカードを抜き出すと、その日のあるシーンへと自分が転送される。その日、ぼくたちは5台のオートバイでツーリングに出ていたが、夕暮れ、しんがりの1台が一向にこない。その男はツーリング中、夕刻になると必ず水道の蛇口を見つけ、荷物の中からシャンプーを取り出して頭を洗うという習慣があった。

(『GORO』 1981年10月22日号掲載

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かつてぼくは、フリーランスで若者向け週刊誌の記事を書いていた。仕事があると担当者から電話がかかってくる。その電話でその週が始まるのだ。実際に働くのは火曜日から3日間。だから週末というものをちゃんと持っていた。その週末は、うまくいけば、早くも木曜日の夜10時ごろには始まって、月曜日の夜いっぱいまで、週休ではなく週末5日制だ。日曜日の朝などは1日24時間、静かに充実しており今思い出すと怖いほどだ。そして時間を物質濃度としても感じていた。その時間をきわめて自分に忠実に、個性的に使わないとバチが当たりそうなのだ。

(『GORO』 1981年11月12日号掲載

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椅子をうしろに引き、腰を前にずらすようにしてすわり、ライティング・デスクのうえに両足をあげた。たいして用もなしにこのライティング・デスクにすわると、まず最初に、ぼくはこのようなポーズをとってしまうことが多いようだ。ぼくの内部のどこかが、無意識に何らかの快適さを感じるのに違いない。目の前に大きな窓があり、そこから見える丘のスロープの上には、大きな樹が何本もある広い庭のある家がある。全体として1本の大木に見えなくもないこの何本かの樹を、意味もなく眺めるのがぼくは好きだ。

(『GORO』 1981年12月10日号掲載

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友人のひとりに、アイリーン・パワーズというアメリカ人女性がいた。アメリカ東部の女子大を二年足らずで飛び出し、ボストン大学に入り直して卒業し、また別な大学で博士号に挑戦していた。そのための研究材料が日本だった。2年間の滞在のうちの1年を経ずに、彼女は「現代日本のポピュラー・ソングに描かれている女性の、明日の運命」という博士論文のテーマを見つけ出した。その研究方法や進み具合を、ぼくは彼女にかなり近い位置から観察することができた。正統派アメリカ美人のアイリーンが、ブルーの瞳を輝かせながら演歌を分析するのを見ることは、非常に興味深かった。

(『GORO』 1982年1月1日号掲載

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2023年4月18日 00:00 | 電子化計画

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