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エッセイ『なにを食べれば自分なのか』より4作品を公開

エッセイ『なにを食べれば自分なのか』(『四季の味 ANEW』ニュー・サイエンス社/2011〜2013年掲載)より4作品を本日公開いたしました。

 デパ地下の鮮魚売り場で買った蟹足肉。マヨネーズ、粒マスタードなどを加え、かき混ぜる。僕はボウルのなかのものをかき混ぜるのが好きだ。かき混ぜるための道具はいろいろあるが、たとえば蟹脚肉をかき混ぜるためには、パリのビストロでもらって来たという、パリみやげの食事用のナイフを使っている。かき混ぜているといい匂いがしてくる。見た目にも、これは美味、という雰囲気となる。そこに碁盤の目に切ったアヴォガードを加えて軽く混ぜれば完成だ。こうしたサラダを作るには、木製のヘラよりもビストロ・ナイフで混ぜるほうを僕は好む。

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 家から歩いて5分の、駅と合体したスーパ・マーケットには鰯の缶詰が6種類あった。別の店には3種類あり、それらを僕は買った。僕はかねてより鰯の缶詰を買っている。デザインされパッケージされた商品としての鰯の缶詰、という物体の魅力に惹かれているからだ。こういう捉え方をしたときの鰯の缶詰は、僕の場合では写真の被写体だ。決して食べないわけではないが、魅力的なデザインが金属の缶に直接に印刷してある鰯の缶詰は、写真の被写体として見事に成立する。いずれは写真に撮りたいと思って買っておいた鰯の缶詰を選び出してみると、そのいずれもがフランス製だった。また、スペイン製の鰯缶詰は、サイズもプロポーションも素晴らしい。

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 この半年ほどのあいだに書いた短編小説を振り返り、登場人物たちがなにを食べているかについて、あらましを記述してみる。小説を書いていくときには、現実の僕の他にもうひとり、僕がいることになる。書き手としての僕、あるいは、作者としての僕だ。そのもうひとりの僕は小説のなかに登場する人たちに、何らかの小説的な目的のために、いろんなものを食べさせている。小説をよりいっそう小説的にするためだ。そして、僕が作り出す登場人物たちは、食事のあとのコーヒーも含めると、ほとんどの短編のなかでコーヒーを飲んでいる。コーヒーなしでは僕の短編は成立しません、と評した人もいるほどだ。確かにそのとおりだ、と書き手である僕もおなじ意見だ。

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 ごく短い期間の間に、身辺にプリンが次々に立ち現れた。最初は手土産に百貨店の地下にある生菓子の店でプリンを買った。「また買って来て」と食べた人に言われた。僕もその後3種類の素晴らしい出来栄えのプリンを食べた。そのうちのひとつの店で、オランダ在住の日本女性ら4人でテーブルを囲んだ際に胡瓜の話となった。林芙美子のエッセイ『朝御飯』には、胡瓜の季節には薄く刻んだ胡瓜をパンに挟んで食べる話が出てくる。また、酢漬けの胡瓜(ピクルズ)を齧りながらちぎったパンを食べるという場面もある。これも試してみよう。僕はいまはポーランドのピクルズを好んでいる。そして別の日、ココナツ・オイルの瓶詰めをひとつ買った。ピクルズとは別の意味で強く惹かれるものがあったからだ。

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2022年11月1日 00:00 | 電子化計画

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