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読売新聞、金曜日夕刊

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1  義

 自分の名前にある義という字について。男のこが生まれたらヨシオにしよう、と父親は考えていたが、彼は漢字のまったく書けない日系二世で、音声としてのヨシオを好いていただけだ。漢字をみつくろったのは母親だ。ヨシオのヨシは選ぶまでもなく義だった、という意見を子供の頃に聞かされた。君に忠、父母に孝の時代での、忠と孝とのどこか中間あたりに位置していたのが義だったろう、といまの僕は思う。

 義の字を用いる言葉を、思いつくままにあげてみよう。正義。義理。仁義。義憤。義侠心。義兄弟。義歯。どれもいたって真面目ではないか。生まれて来るはずの子供に名前をつけるとは、名前に使う文字によって、その子供の運命やいかにと、なかば願いなかば占うことだ。ヨシオは義男となり、少なくとも真面目な人には、生まれついたようだ。

 その真面目な人には著作がたくさんある。新刊に署名を求められたときには、いつもよりは多少ともまともに書こうとするから、義という文字と真面目に向き合うことになる。書き順の面白さはあるかな、とそんなとき僕は思う。筆先が、あっちへ、こっちへと、盛んに移動する。サインしているとき、そのことを痛感する。書きようによっては、面白いかたちにまとめることの可能な文字ではないか。

 僕の手書き文字は、金釘流に丸文字が重なった結果のものだから、まともに書けば書くほど、面白いかたちにはならない。そのかわりに、と言っていいかと思うが、書き終えた義というひと文字は、現実のこの僕のかたちと、どこか似ている。僕が真面目にサインした義という文字は、僕のぜんたい的なかたち、ないしはそれがかもし出す雰囲気と、相似形の関係にあるようだ。

 筆先があちこちへ忙しく移動するから書き順が面白い、ということをある知人は、この字にはいろんな棒や点がありますね、と表現した。そう言われれば、そのとおりではないか。横棒は四本もある。どの棒も、きっちりと止める。垂直の縦棒が二本、そして斜めの棒が一本。これは正式には棒とは呼ばないだろう。僕の書き文字では、斜めの棒でしかないだけだ。

 いちばん上にある、左上からの、そして右上からの、少しだけ長く書く点のようなものは、ミッキー・マウスの耳のかたちに塗りつぶし、頭のてっぺんのカーヴを描き添えると、ほんとにミッキーの両耳のようになる。これは自慢できる。

 のびていくにしたがって先端が細くなっていく棒が、これは一本だけある。点はさらにふたつある。垂直あるいは斜めの棒に対して、それぞれ角度を取って交わる短い棒が、二本ある。ぜんたいで十三画だ。どの画のおしまいをどこで跳ねるべきなのか、正確には知らない。

 いろんな棒や点は、やや多い画数を作り出す。その画数を追って、筆先はあちこち移動する。このことを、もっとも肯定的に解釈すると、次のようになる。多くの視点からさまざまな材料を面白くひとつにまとめる。真面目から始まって、ここへ到達しなくてはいけない。義の道の遠さを、いましきりに反省しなくてはいけないか。

2  律

 律、という文字を初めて知ったのは、つまり大人から教えられたのは、小学生だった六年間の、前半においてだったような気がする。先生が律という漢字を黒板にチョークで書き、規律や法律といった言葉を添えて、律の意味、そしてこの漢字を使ういくつかの言葉のうちのふたつ三つを、子供たちに教えた。己を律する、という言いかたがあるのを知ったのは、このときだった記憶がある。かつての日本の子供たちは、律をかなり早い時期に叩き込まれた。

 律の字を使う言葉をあげてみよう。戒律。自然律。律動。旋律。自律。他律。軍律。律儀。この程度なら、じつに多くの人が、知っている。そしてそのことじたいに、僕は驚く。律のひと文字によってつながっている漢字の世界を、なんとなくでもいいから知って理解しておかないことには、日本では動きがとれないからだ。

 律とは、きまり、法則、といった意味だ。きわめて真面目な言葉だから、それは意味とともに底流となって広がる。その結果として、律の字が目立つ場面はほとんどない。最近の新聞で、律令国家、という四文字を見た。りつりょうこっか、と読む。いまの日本はまだ律令国家である、という文脈の記事のなかに、この言葉があった。なぜか懐かしさのような気持ちを僕は覚えた。この言葉もまた、小学生の頃に教わったからだろう。律は主として刑法に、そして令は行政法に相当するという。

 新聞だけではなく、いたるところで、長いあいだ、しばしば目にしたのは、全国一律、という四文字だった。日本に生きる人たちに対して、おなじひとつの方向へと進むことが、不断にしかもさまざまなかたちで、強く奨励された歴史が、この四文字のなかに充満している。最近ではあまり見かけない。全国なしで一律だけの姿も、目にしなくなった。人々が生きる世界は、一律などもはやありようもないほどに、複雑で雑多なものになっているからだ。

 律というひと文字、あるいはそれを使うさまざまな言葉のどれをも、僕は自分で書く文章のなかに、これまで一度も使ったことがない。法律や旋律くらいなら、一度や二度はどこかで使っているよ、という意見はあり得るが、その意見に僕は反対する。書き手としての体感の記憶のなかに、律という字はないのだから。

 律に子の字をつけて律子とすると、女性の名としてじつに美しい。僕は短編小説をたくさん書く。登場する女性たちの名にはいつも苦労している。律子さんという女性を登場させたことは、きっと一度はあるだろう。二度はあっても、三度まではないと言い切る。

 均整のとれた細身の動きは軽やかに滑らかで、常にもの静かに抑制を効かせ、目立たない美貌に涼しい声の、優しいけれども強靭なものをどこかに秘めた、とらえることの難しい女性。律子、という字面から僕が思う女性は、おおまかに言ってこんな人だ。

 いいではないか。なぜ律子さんを登場させないのか。寄らば斬るぞ、という雰囲気を加味して、彼女を主人公に、短編小説をさっそく書こう。

3  茶

 つい先日、平日の午後、電車でひと駅の大きな町へいった。編集者とカフェで打ち合わせの約束があった。その編集者はこの町のことを、いまの日本のありとあらゆる平均値が重なり合ったところ、と評した。

 約束の時間より少しだけ早く、いつものカフェに僕はひとりで入った。さまざまなケーキ類を中心に、軽食そして飲み物のカフェだ。迎えてくれた若いウェイトレスは、「お茶のご利用でいらっしゃいますか」と、笑顔で僕に訊いた。彼女の言わんとしている意味は、僕にもとっさにわかった。コーヒーや紅茶だけか、と確認しているのだ。わかりはしたけれど、これは初めて体験する新しい日本語だ、とも思った。その思いにはかなりの感慨がともなった。

 平日の午後、年齢不詳の男がひとり、無職ふうの気楽な服装の手ぶらで、呑気そうに入ってくれば、多くの場合、コーヒー一杯だと判断される客なのだろう。五十年前にも僕はおなじことを、都内のあちこちでやっていた。しかし当時の喫茶店の若いウェイトレスたちは、その僕に対して、「お茶のご利用でいらっしゃいますか」という言葉づかいで質問することは、絶対になかった。だからこそ、その質問の言葉づかいとそれが成立する状況は、五十年前にはなかった、まったく新しいものだ、と僕は言う。そして彼女は、「一名様カフェのご利用です」と調理場に告げて、そうとはまったく自覚しないまま、自分の日本語の新しさの仕上げをした。

「お茶する」「お茶しましょう」という言いかたを多くの人たちが日常的に使うようになって、二十年にもなるだろうか。お茶という名詞が動詞的に使われている。teaだけで動詞になり、お茶を飲む、軽い食事をとる、お茶を供する、という意味になるそうだが、少なくとも僕は一度もそのように使ったことはない。いまの日本で繁盛しているカフェでは、コーヒーだけを飲む客は、お茶のご利用なのだ。

 文字どおりお茶漬けではなくとも、ごく簡素な料理を人に供するとき、「ほんのお茶漬けです」という言葉を人々は添えたという。編集者に教えられて僕は初めて知った。大正時代にはもう使われていたでしょう、とその編集者は言っていた。

 たとえば大正三年、一九一四年、東京駅が開業し、第一次世界大戦に日本が参戦した頃、東京の片隅で来客が長居をして夕方になったとして、「ほんのお茶漬けです」と当主が言い、お茶漬けに佃煮と焼き海苔を添えて供した、というような場面があったかどうか。

 そのような場面は、当時の庶民生活のなかに、いくらでもあった、と僕は思いたい。「ほんのお茶漬けです」という言葉を、人々はすでに盛んに使っていた、ということにすると、つい先日、繁盛しているカフェでウェイトレスから受けとめた、「お茶のご利用でいらっしゃいますか」という言葉と、僕の個人的な体験としては、見事に均衡するからだ。「ほんのお茶漬け」と「お茶のご利用」とのあいだに、じつに百年におよぶ現代日本の歴史が、横たわっている。

4  便

 便は「べん」と「びん」だ。音声だけではなく、見た瞬間、頭のなかで、日本の人たちは「べん」と「びん」とを明確に、厳密に、区別している。宅配便が「たくはいべん」になる日が来るかどうか。便所を多くの人が「びんじょ」と言う日が、日本語の歴史のなかに加えられるかどうか。

 便所のついでにお許し願いたいが、大便そして小便という言葉は、便という個々の具体性をものの見事に一般化した結果の、端的きわまりない表現力をそなえている、とかねてより僕は深く感心している。大小便とひとつにした言いかたもあるし、大きいほう、小さいほう、という愛すべき婉曲話法も、時を越えてその効力は失われないままだ。

 便というひとつの漢字そのものが、すさまじいまでの表現力を持っている。便器から始まって、便意、便秘、軟便、血便、検便にいたるまで、もうこれ以上にはなにも必要ないほどに、それぞれの事態が言いあらわされているではないか。

「びん」のつく言葉は少ないと言っていい。郵便、船便、航空便、第一便、便乗、便覧、便箋。第一便のことを、その日最初の通便、と理解する人はすでにいるような気がする。便覧を「べんらん」と読む人はいくらでもいるだろう。航空便という言葉には、幼い頃、すぐそこにある輝かしい未来の香気さのようなものを、感じた記憶がある。便殿という言葉をご存じだろうか。

「べん」の最大のものは、便利とその反対の、不便だろう。便利と不便によって戦後の日本のすべてを解明することが可能だ、という説をかつて僕はどこかで読み、いまもそのとおりに記憶している。戦後の日本は、それまでの日本をなぜか全否定した、と言われている。それまでの日本を不便ととらえるなら、確かに戦後の日本の人たちは、不便を片っ端から捨て去った。そしてその代わりに、次々に際限なく手にしたのは、便利という未来だった。

 戦後の教育を受けた最初の世代のひとりとして、戦後の日本での便利の見本が、体験として記憶のなかにあるかどうか。たとえば水道の水は、なかば冗談でいうなら便利水であり、水道を最初からあたりまえとして受けとめた少しあと、井戸に遭遇することをとおして、人の日常にとっての水の根源に触れた、というような多少の屈折を持っている。

 戦後の日本を便利のひと言でくくるなら、便利とは自己中心性であり、その最たるものは、目先の利益だろう。目先の利益というものを超える自己中心性は他にない。財と官が内密にあるいは公然と、どこまでも便宜をはかり合って無数の便利を作り出し、それのひとつひとつにからめ取られて、人々は、かく言う僕も含めて、今日も今日とて、無数の便利さの上に浮いている。

 便便たる太鼓腹を突き出し、次なる便利さを便便と待つ人々のなかから、不便でもいいじゃないか、という声が聞こえ始めている。どのような不便なら、どこが不便になるなら、人々は許容するものなのか。

5  田

 田という字には思い出がある。いまでも忘れていないからには、これからも覚えているはずだ。敗戦のおそらく次の年、父兄参観日の国語の授業は筆順についてだった。三十代の男の先生が最初にとりあげた例が、田という漢字だった。

「おい、カタオカ、おまやあ田いう字が書けよるか。黒板に書いてみい」

 と、僕には書けないことをよく知っていながら、僕を指名した。僕が黒板にチョークで書いたのは、横、横、横の三本線に、縦、縦、縦の三本線を重ねた図形だった。

 教室のうしろにいたお母さんたちがみんな笑った。先生は僕を使って笑いを取った。「田いう字は田んぼじゃけえ。この線がみんな畦道で、ここが稲を植えるとこじゃ。田んぼはよう見ると、どこでもこうなっとろうがや」

 と先生は説明を加えた。

「それではこの田という字は、稲を植える前の田なのですね」と僕は言った。生意気な子供として軽口を叩いたつもりだったが、「そうよのう。まだなにも植わっとらんけえのう」と、先生は真面目に反応した。

 思い出はもうひとつある。二十代なかばの頃、おなじような年齢のアメリカの青年が、日本語を勉強していた。一、口、日、目、田と五つの文字を紙に書き、「横棒四本で四角を作ると口になり、そのなかに横棒をさらにひとつ入れると日になり、ふたつ入れると目になり、横棒ではなく十文字を入れると田になる」と言って、彼は頭をかかえていた。この五つの文字の展開に論理の筋道はなにひとつないというのが、頭をかかえた理由だった。彼の言ったことを、イチクチヒメタ、と僕は記憶している。これも忘れることはまずないだろう。

 冒頭に田の字のつく言葉を、国語辞典のなかに探してみた。田遊びから田虫まで十二あった。思いのほかの少なさだ。どれもみな、じっと見ていれば、なんとなく意味は推測出来た。田偏はいきなりだとわからないかもしれない。略、畔、町、といった字のなかにある田のことだ。

 田はデンとも読む。冒頭に田のつく言葉は、田園、田楽、田地、田租、田畑、そしてデンプとデンブの七つだ。デンプは田夫だ。僕が使っているワープロ専用機ではデンプで変換出来なかったから、ひと文字ずつ変換した。デンブのブはフ(麩)なのだが、フを変換してもその文字は出てこなかった。デンブで変換すると、画面にあらわれるのは臀部だけだった。末尾に田の字のつく言葉は、水田、塩田、棚田など、いくつもあることだろう。

 三つ、四つの漢字のなかのどこかに田の字のある言葉となると、我田引水や竜田姫などが僕には限界だ。さきほど書いたアメリカの青年には、半分は彼をもっと困らせるため、そしてあとの半分は冗談として、目の発展型だと称して、貝と具を僕は教えた。彼は途方に暮れていた。ついでに目偏の漢字も教えておけばよかった、といま思う。眼。眠。瞬。この三つだけでも、僕の下手な字で紙に書かれたのを目のあたりにしたなら、かわいそうに、アメリカから来た彼は、顔面蒼白となったのではないか。

6  空

 小学生の頃の僕は、いまの言いかたをするなら、自主的不登校児童だった。学校へは、いかないから、いかないのだ。いかない期間がしばらく続くと、学校そのものを忘れていることが、しばしばあった。

 たまに学校へいって授業を受けると、そのとき教わったことは、おそらく印象が強かったのだろう、いまでも覚えている。そのなかのひとつが、「そらからくう」という文句だ。

「空という字は、そらからくう、と覚えときゃええんよ」と先生は言った。空には「そら」「から」「くう」の三つの読みかたがあり、それぞれに使いかたはきまっている、という教えだ。

 いま僕が使っている国語辞典だと、「そら」が頭につく言葉は、空合から空笑いまで、二十三項目だ。空合は空模様の老人的な言いかただそうだ。旅の空。故郷の空。空飛ぶ円盤。女心と秋の空。男心は五月の空だという。僕は五月まっただなかだ、と言っておこう。空とぼける。空おそろしい。他人の空似。いろいろある。そしてどのひとつも、それを使っていい現場で、ひとつずつ体に刷り込むようにして、覚えていく。使っていい現場というものの学習が、言葉のひとつひとつに張りついているのが、日本語だ。

「から」のつく言葉は「そら」よりも多い。国語辞典の項目を数えたら三十五あった。からっけつ、という言いかたをいまは聞かない。あってほしいおかねが一銭もないこと、という意味だ。空穴、と書く。カラオケは空オケだ。オーケストラの演奏以外は「から」だからだ。

 からっぺた、という言いかたも聞かない。空下手と書く。いい言葉だ、と僕は思う。へたくそでまったくお話にならない様子、と辞典には説明してある。空身をご存じだろうか。からみ。なにも持たず、誰も連れずに、外出している状態だそうだ。空茶はどうか。お茶請けなしでお茶だけを出すのを、からちゃ、と言う。

「そらからくう」と覚えておけ、と教えてくれた先生に対して、「そらからくうのがすき」ですよ、といまようやく、僕は軽口を叩いて喜ぶ。がらがらにすいている状態を、がらき、と言うではないか。

「くう」と読む場合では、くうくう、が面白い。空空と書く。あたりいちめんになにもない様子、と説明されている。仏教用語では、煩悩がない状態を意味する。空空漠漠という言いかたもある。なにもなくて広々した様子、あるいは、とらえどころのない様子だ。

 空際という言葉を初めて知った。くうさい。空と地面が接して見える場所のことだ。そしてその場所が線のように見えるなら、それは空際線となる。空そのもの、つまり見上げれば、あるいは視線を少しだけ上げるなら、誰にとってもそこにある、底なしに広い宇宙空間は、少なくとも言葉の上ではほとんど問題にされないようだ。その空をなんにもない状態ととらえた上で、それにいろんな状態をなぞらえて加えた言葉が、日本語にはたくさんある。日常の空は、青空と曇り空、そして季節の空を加えれば、それで充分に間に合うということなのだろう。

7  海

 海、という日本語の漢字ひとつが、僕の頭の働きのなかに消しがたく刻みこまれたのは、アーネスト・ヘミングウェイの生前最後の小説となった、『老人と海』によってだった。この作品は一九五二年にアメリカの雑誌『ライフ』に掲載され、大評判となった。直後には単行本として刊行された。当時の『ライフ』が自宅に届くのを子供の僕も見ていた。おそらくその誌面で『老人と海』の英語の原題を見た僕は、ふたつの定冠詞は問題にしないことにして、seaという英語に海という日本語をあてはめ、old manにはもっともニュアンスが希薄な、老人というふた文字をあてがって全体を『老人と海』とし、そうなのか、seaは海なのか、海とはseaなのか、という理解のしかたを経由して、海、というひと文字を脳に刻んだ。そしてそれ以後、海という文字は、そのままそこにあり続けている。

 僕は妙なところでやっかいな子供だったようだ。もちろんそれ以前に海という文字は知っていたし、現実の海の体験も子供なりに持っていたけれど、海のひと文字を頭のなかに固定するためには、ヘミングウェイの小説の英語題名のなかにある単語の助けを借りる必要があったとは。したがって、老人と海、というフレーズは、僕の頭から消えることのない、四文字熟語だと言っていい。海、という文字を見るたびに、あるいは言うたびに、ほんの一瞬にせよかならず、僕は『老人と海』を思い浮かべる。

 子供の僕にとって、海とは瀬戸内海だった、という事実とどこかで深く関連しているだろうか。海、というひと文字による海は、子供の語句にとっては、存在しなかった。瀬戸内、という実体とその言葉が、まず僕の脳に刻まれたのだろう。そのあとで、海が海として、少なくとも日本語の言葉として独立するためには、驚いたことに、ヘミングウェイの『老人と海』が、きっかけとして強力に作用する必要があった。瀬戸内海という海は、きわめて固有的なものとしてそこにあったのだが、そこから海だけを取り出すには、なにほどかの抽象化の過程を体験しなければいけなかったようだ。

 ではきみにとって海とはなになのか、という問いに対しては、体験のなかからなにかひとつずつみつくろっては、そのつどそれを答えとするほかないようだ。たとえば、よく晴れた日の午後に飛行機でホノルルを出発し、夜になってタヒチに到着するまで、その飛行機は海の上を飛び続けた。窓辺の席で額を窓に当てたまま、僕は眼下の海を見て過ごした。一度だけ小型の貨物船を見た。それ以外は、海だけが視界のなかにあった。夜になると、当然のことだが、海は見えにくくなった。それでも僕は、窓ごしに下を見ていた。海とは、一例として、こういうものだ。

 ひどく偏った、しかもまったく個人的な、あるとき一度だけ体験した、じつに奇妙な海なのだが、海というひと文字のなかに、すべてはあっさりとのみこまれてしまう。

8  読

 読、という漢字に関しては、音読と訓読の両方を、同時に覚えた。教えてくれたのは、母親だった。本を読め、というのが母親の口癖のひとつで、成長していく子供が本を読まずにいると馬鹿面になる、と言っていた。この頃のお前は馬鹿面だ、と僕は何度言われたかわからない。おそらくその結果だろう、読書という言葉は母親と分かちがたく結びついている。

 なんのために本を読むのかというと、それは読解力を育てるためだ、と母親は言った。読解力という言葉も、母親はしばしば口にした。本を読んで字面だけなぞるのではなく、内容を自分のものとし、自前の思考と判断のための素材として常に蓄積させていくこと、というような意味だったのだろう。いまの僕を予見して、書くためには読め、読まずになにが書けるか、というようなところまでは考えてはいなかった、と僕は言っておく。

「どく」と「よむ」あるいは「よみ」のいろいろを国語辞典でおさらいしてみた。音読。黙読。愛読。熟読。乱読。積ん読、という言葉は辞典に出ていない。買ったはいいけれど、読まないままに積んである何冊もの本、という意味だ。いい言葉だと僕は思う。この言葉の対極にあるのは、読破だろうか。

 読み書き。読み漁る。読み返す。読み合わせる。読み上げる。読み飛ばす。読み応え。読み流す。読み取る。たくさんある。しかしどれもみな、俗世の処しかたではないか。数字を読む。票を読む。人の心を読む。手相を読む。人が読むのはじつは本ではなく、俗世のあれやこれやなのか。

 鼻毛を読む、という読みかたを、ついさきほど、僕は初めて知った。「自分にほれている男の心を見すかして手玉に取る」ことだという。女性が一定の思惑のもとに男の鼻毛を読むとは、どういうことなのか。相手の男性の表情の変化を鋭く観察し、考えていることを的確に見抜いた上で、自分にとって有利なほうへと誘導していく、というような営みのことだろう。

 読みさし、という言葉に久しぶりに出会った。まだ読んでいる途中の、という意味だ。まだ読んでいる途中で中断する行為は、読みさす、となるようだ。読んでいる途中は、読みかけ、とも言う。読み掛け、と書くのだとは、これも知らなかった。

 読人を、どくじん、と読んでしまいそうな自分がいることも、発見した。見た瞬間に頭のなかでは、どくじん、と読んでいて、読む人という意味だろうか、などと考えている自分だ。よみびと、と読む。よみびとって、なんですか、と反応する人は多いだろう。読み人知らず、となるとさらにわからない人は増えるような気がする。誰も読まない本、などと解釈する人もいるはずだ。こんなことを思っていると、なんとなく楽しい。

 読人とは、僕が使っている辞典によれば、「その歌を作った人」という意味だ。ワープロで平仮名入力して変換すると、詠み人、と出て来る。歌とは和歌なのだから、という注釈をつけて、和歌なら詠み人と書いたほうがふさわしいかもしれない、と僕は思う。

9  歌

 書き順、という言葉を知ったとき、その書き順の手本のひとつとして、最初に書かされた漢字が、田だった。忘れもしない、と言いたいところだが、小学校の何年生で田という字を体験したのか、正確なことはもはやわからない。三年生くらいではなかったか。たまに学校へいくと、その日に教室で教えられたことを、一種のショック体験として、いまだによく覚えている。いくつかあるのだが、ここでは書き順についてだけ、語っておこう。

 田んぼの田の字が書けなかった僕を先生がわざわざ指名して黒板に書かせた話は、いつだったかすでに書いた。縦、縦、縦、そして横、横、横と、合計六本の短い直線でかたちだけは田の字を作った僕は、みんなに笑われた。

 この田の字のときも、たまには学校にいってみようか、という気持ちで二時間目から教室に入ったのだった。それから三か月ほど経過したのち、たまたま登校した日の最初の授業が国語だった。その授業でも書き順が教えられていたが、田の字の次は歌という字へと、学ぶ対象は多少の複雑化をとげていた。

 黒板に先生が白いチョークで書いた、歌というひと文字をいくら見ても、どこから書いていいものか、見当はまったくつかなかった。どのように書いても、かたちになっていればそれでいいのだろう、とはさすがに思わなかった。自分はまったく知らないけれど、書くための正しい順序というものは確かにあるのだろうと、小学生の僕は思った。

 歌という字は左右ふたつの部分から出来ている、と先生は言った。その左の部分から書いていくのだ、ほら、こうして、と先生は書いてみせた。左側にふたつ重なっている「可」という部分品の書き順は、知らなかった僕にはじつに新鮮だった。そうか、こう書けばいいのか、という最初の認識を自分がおこなった喜び、とでも表現すればいいだろうか。

 歌という字は「うた」と読むし「か」とも読む、ということを教えられたのも、このときの授業だったと記憶している。「うた」と読む場合と「か」と読む場合とを、いくつかの例とともに教わった。しかし、たとえば、「さあ、みなさん、歌いましょう」と書いてるのを、「さあ、みなさん、かいましょう」と読むことはまるでなかったのだから、ひとつひとつの現場における正しい使いわけかたは、このときここでこの人に教わりました、と特定出来るようなものではないのだろう。

 歌という字は、以上のような事情で、僕の場合は小学校低学年の自分と、きわめて強く結びついている。だから歌という字を見るたびに、文脈とはまったく関係なく、幼いイメージがかならずともなう。歌がいつまでも大人にならない。歌は小学生のような子供のものとしか思えず、歌うのは子供たちが幼い歌を歌っている様子しか、思い浮かばない。これを修正するのはもはや不可能だろう。歌ではなくsongあるいはsingならいいのではないかというと、そうもいかない。どちらの英語の言葉でも、とっさに想起するのはミッキー・マウスやドナルド・ダックなのだから。

10  文

 日本語で使う漢字のなかで、僕がもっとも好いているのは、文という漢字だ。かたちが素晴らしい。わずか四画だ。僕が手書きすれば、僕が書く字は下手な字というものの典型でしかないが、きちんと書くなら、文というひと文字が意味する膨大な世界を、ものの見事に結晶したような趣がある。

 文とは、僕が使っている国語辞典によれば、考えを言葉でつづり表したもの、ということだ。まず、考えがある。言葉のつらなり、つまり文になるのは、そのあとだ。文は人なり、という言葉があるが、これは最終段階のことであり、僕としては、初めに文あり、しかるのち人あらわる、と言い換えたい。

 これまでに人間が考え出して言葉に綴った英知のすべて、それが文だ。文にすれば考えがよりよくまとまるだろうし、多くの他者に伝えることも可能になる。英知は広まる。そして蓄積されていく。その上にさらに考えが、言葉によって文として積まれていく。

 すごいねえ、と心から感心する。文というひと文字を、下手ながら紙に書いてみる。ここに人間の英知の歴史のすべてがある。連想として、人という漢字も素晴らしい、と僕は思う。人は二画でやっつけられた。文は四画だ。これ以上は必要ないのではないか。これ以上は余計なことなのではないか。

 文のつく言葉を辞典で探したら、文案、文意、文通などから始まって、文楽、文例、文話にいたるまで、六十三あった。そのうち文房具が三文字で、文金高島田が五文字であるほかは、すべて二文字だ。

 文弱という言葉を僕は知らなかった。武士が本来の務めをおろそかにして書物を読みふけること、という意味だそうだ。文台も、わかるようでわからない言葉だった。読もうと思っている本を置いておくための小さな机、という意味だ。文物も、知っているようで知らなかった。一国の文化が生み出したもの、という意味だ。文話はどうか。文章に関する、主としてその作りかたをめぐる、さまざまな話だという。

 文という漢字は、ふみ、とも読む。そしていったんふみになると、そこには、手紙、という意味しかないようだ。これは不思議だ。ぶんのもっとも末端の、いちばん小さなひとかけらが、ふみなのだろうか。

 文殻という言葉を僕は知らなかった。このふたつの漢字の取り合わせ、そしてひとつずつから連想することを重ね合わせて、正解に到達することが出来るかどうか。ふみがら、と読む。文は手紙だ、読んでしまえば殻だから、人からもらってもういらなくなった手紙、という意味だ。用を果たした手紙は、書かれた言葉だけが紙の上に残った、ぬけ殻となる。文使は、手紙を届ける人、という意味だ。ふみづかい、と読む。文机は、本を読むための小さな机だ。文月は、僕ならついうっかりと、ぶんげつ、などと読みかねないが、陰暦七月のことで、ふみづき、と読みましょう。

11  本

 本という漢字ひと文字のもっとも一般的な意味は、人に読んでもらいたいことを書いて印刷し一冊に綴じたもの、とでもなるだろうか。そしてその本は、目の前にある買ったばかりの本であると同時に、人類がこれまでの歴史のなかで作って来たすべての本、でもあり得る。きれいなかたちをしたわずか五画のこの漢字ひとつは、すさまじい広がりを持っている。それでいて、ぱっとひと目見て、少なくともごく一般的な意味なら、識別することが出来る。

 本などなんの関係もなく、一年に一冊も読まない人が増えているという。そのような人たちに、次のような言葉は、なんの意味も持たないのだろうか。本を読む、読まない、本を貸す、借りる、本を棄てる、売る、整理する、なくす、探す、大事にする。本と出会う、という言葉もある。本に書いてあること、本から得た知識、といった言いかたもある。

 書籍や書物などの汎称としての本の他に、意味はかなりたくさんある。国語辞典にあるとおり、もとになる大事な部分、生まれつきそなわっている性質、中心となる主たるもの、正当な手続きをへてそうなったものであることが証明されるもの、略式ではなく本格的な、いま問題にしているこのこと、などの意味だ。「細く長い物の数」という説明は面白い。野球のヒットやホームランの数だそうだ。ホームランを二十六個打った、という言いかたをする日本人が、やがてあらわれるだろうか。

 頭に本の字がつく言葉を国語辞典で調べたら、本位や本意から本論そして本割まで、じつにたくさんあったなかで、僕には、ほんに、という言葉がいちばん面白かった。「関西の方言、老人語」と説明されている。TVドラマや映画のなかで、「ほんに可哀相なことよのう」といった使いかたをされている。本に、と書くとは知らなかった。「どんな点から見ても疑いなくそうだと判断される様子」という説明も楽しい。

 書物や書籍という意味での本を、僕は自分で書く小説の題名のなかに、まだ一度も使っていない。フランスで『本を読む女』という映画が公開されたときには、そうか、そう来たか、という軽い感銘を覚えた。僕もなにか試みよう。『なぜ本を読むのか』という題名で、愉快な短編は書けないか。

 本を書く人であるこの僕が、買ったばかりの本を何冊か紙袋に持って、用事のあった銀行に寄ると、ご本人様ですか、と窓口の女性に訊かれ、本日付で手続きさせていただきます、と言われて用事が終わり、駅まで戻ると改札の前で、知人の女性と偶然に会った。立ちどまって顔に両手を当てた彼女は、「本当!」と叫ぶように言った、というつい数日前の出来事を、いまこうして本紙に書いている。僕が好む冗談ではなく、本当の話だ。

 本、さらには書物、書籍も、俳句の歳時記に入っていない。季節など超越しているからだろう。本がブックなら、書籍や書物は英語でなんと言うのですか、と訊かれたのは何十年も前のことだが、いまだにその人の口調まで記憶している。

12  楽

 楽、というひと文字は、「タノシイ」を別にすると、一般的には「ラク」そして「ガク」という読みかたの、ふたとおりだ。読みかた、つまりは音声は、意味なのだから、「ラク」と読んだなら、その意味は、「喜び楽しむ」という広がりのなかにある、ということになる。「ガク」と読んだなら、「音楽あるいはそれに関係したこと」という意味になる。

 意味が使いかたをきめる。使いかたは、音声、つまり読みかたをきめる。ぜんたいをつらぬくこのような基本的なルールを、楽、つまり「ラク」や「ガク」について、いくら厳しくてもいいからきっぱりと教わった記憶が、少なくとも僕にはない。

 出たとこ勝負でひとつずつ、覚えていったのだろう。楽園は「ラクエン」と読み、悦楽は「エツラク」と読む、という調子で、その言葉に出会う状況ごとに、ひとつずつ。そしていつのまにか、ぜんたいをつらぬく基本的なルールを、多少はぼんやりとしたものではあっても、自分でまかなえるようになっていったのではないか、といまの僕は想像する。

 ひとつの言葉が実際に使用される具体的な状況ごとに、そのひとつの言葉に関して、音声や使いかたを覚えていく、という日本語習得に関する基本中の基本がここにある、と僕は考えている。日本で育った人は千秋楽を「チアキガク」とは読まなくなるのだ。今日のいまここにあるこの状況は「センシュウラク」という状態なのだよ、と教えられるよりも先に、多くの日本人は、千秋楽を「チアキガク」とは読まなくなる。

「お楽になさってください」という言いかたがある。正座してかしこまらなくてもいいですよ、という意味だ。「楽にしてくれよ」という言いかたをすると、基本的な意味はまったくおなじままに、「寝そべって漫画本を重ねて枕にしていいよ」というあたりまで、ニュアンスは広がる。しかしどちらの言いかたでも、意味や言いかたの核心となっている、楽、のひと文字には、そのかたちにも、そして読みかたにも、変化はまったくない。

 意味も音声も、したがって使いかたも、日本語の漢字においては、しっかりと出来上がっていて、その核心が変化するようなことはいっさいない。この意味では、日本語の漢字は、きわめて硬質なものだ、と言っていいと僕は思う。この硬質さには、したがうほかない。さきほど書いたとおり、その言葉に出会う状況という具体性のなかで、ひとつずつ降参するかのように、覚えていくしか方法はない、ということだ。

 行楽、という言葉を、「ギョウガク」と読んで笑われたのは、あるかなきかの遠い思い出だ。その遠さと均衡させるように、ごく最近の読み違いはないものかと、僕は探している。なにかないだろうか。楽、という文字のある言葉の、とんでもない読み違いの可能性が、どこかにないものか。楽天イーグルスを、「ガクテンイーグルス」といまさら読んでみても、わざとらしいだけではないか。苦楽を「クガク」と読み、それをともにするほうが、いま少しましだと思う。

13  風

 僕がいま使っている『新明解国語辞典』で「風」の項を読んでいくと楽しい気持ちになった。「風」というものの説明が、まず面白い。次のとおりだ。

「人間に知覚される程度の速さを持った空気の流れ」と説明されている。このくらい正確な文章なら、小説に使える。ひとりの人の視点から書き直せばそれでいい。たとえば次のように。

 彼女の肌は空気を知覚した。その空気は、なぜか動いていた。ある程度の速さで、どこからとも言いがたいあのあたりから、どこへとも明言しづらいそのへんに向けて、その空気は動いていた。これは風だ、と彼女は思った。いま自分がひとりでいる集合住宅の五階の、どこからも風など入りようのないこの部屋にも、風はあるのか。机に向かって椅子にすわっている彼女は、部屋のあちこちに目を向けた。肩ごしになにげなくうしろを見た。生まれて初めてと言っていいすさまじさで、彼女は悲鳴をあげた。

 一編のホラー・ストーリーの始まりではないか。一陣の風がどこからともなく吹くと、それをきっかけにして物語が始まる。

 風、という言葉を使ったいろんな言いかたが、それぞれに面白い。風に舞い上がる。風に吹かれる。子供は風の子。風を食って逃げる。風の便りに聞く。柳に風と受け流す。自由競争の風にさらす。風が吹けば桶屋が儲かる。じつに多様な状況のなかで、風は自在に吹いている。

 風に吹かれるとは、文字どおりには、風を体に受けている状態だが、世間の風に吹かれてますよ、と言えば意味はまったく異なる。ふと臆病風に吹かれましてね、となると意味はさらに別な方向へ向かう。風を吹かせる、という言いかたもある。『新明解』によれば、その意味は次のとおりだ。「自分はそういう立場にあるのだから偉いのだといった、いかにも尊大な言動や態度をとることを表す」。正社員風を吹かせる、という言いかたを、昨年の夏、どこかで読んだ。

 国語辞典の「風」の項には、風の前の塵、という言いかたが挙げてある。物事のもろくはかないことのたとえ、だそうだ。これは知らなかった。風光る、という言いかたは俳句の春の季語で、太陽の光を受けとめている緑の葉が風に動き、まるで風が光っているかのように見える様子を、こんなふうに表現する。風を入れる、という言いかたの意味はなんとなくわかるが、自分で使う言いかたではない。どういう風の吹き回し、も使わないが、このまま短編小説の題名には使えるかもしれない。

「風」の項を出たところでの風言葉は六つだ。風当たり。風草。風知草。風通し。風待ち。風向き。「風」を「かざ」と読むなら、もっとある。風穴。風脚。風折れ。風上。風切り。風口。風車。風下。風花。風花とは風に吹かれて飛んでくる積雪のことだ。風窓。風見。風向き。風除け。こうしてならべていくと、風という文字のつく言葉を、自分でも作ってみたくなる。簡単に作れそうに思う。しかし、手ごわい。それは僕にでもわかる。

14  緑

 いま住んでいる場所へ引っ越した当初、しばしば人が僕に言ったのは、「このあたりはまだ緑が多いですね」という言葉だった。樹がたくさん生えている、という字面どおりの意味を越えて、自然環境が豊かそうですね、といった意味も含まれていた。

 こう言われるたびに、緑とはなにか、と僕はひとり頭のなかで考えていた。落葉樹か、それとも枯れ葉にならない樹なのか。広葉樹か、針葉樹か。ひょっとしたらそのくらいの区別は、言外になされているのではないか。カシ、シイ、クスノキなどの照葉樹が、地域的に見て中心になっているのか否か。なにしろ知らないことだらけだから、ひょっとして、と思い始めるときりがなかった。

 いまあらためて『新明解国語辞典』にあたってみると、緑とは樹の葉の色、とそっけなく説明してあるだけだ。方言としてなら松の若芽を意味するし、雅語ならばおなじく松の若葉だという。一般的に使う緑は、樹の葉ならなんでもいい、ついでにあらゆる草の葉も、といったところか。樹も草もあるけれど、急斜面に民家がいつのまにか何軒も建つ景色を、すでに何度となく見ても来た。

 緑、という漢字ひと文字が頭につく言葉は、たくさんあるようでじつはごく少ない。僕がいま使っている『新明解国語辞典』によれば、そんな言葉は四つしかないことがわかる。緑のおばさん。正式には学童擁護員と呼ぶそうだ。緑の黒髪。日本語としていまもかろうじて現役だろうか。しかしこの言葉を小説のなかで使ったら、髪を緑色に染めているのですか、と呆れたように訊き返されそうな気がする。緑の羽根。正しくは平仮名で、みどりの日は五月四日だが、以前は四月二十九日で、さらにそれ以前には、この日は天皇誕生日と呼ばれていた。いつのまにかみどりの日となり、今年のカレンダーでは昭和の日という祝日だ。

 緑は「みどり」であると同時に「りょく」でもある。「りょく」なんとか、という言葉は、『新明解国語辞典』によれば、十九個ある。それぞれ面白い。緑陰、という言葉がいま二十歳の人に通じるだろうか。そんなことを書くこの僕も、緑陰をそれだけ見せられたら、なんのことだかわからず、かなりあわてるかもしれない。若葉の繁った樹の下の涼しいところ、というほどの意味だ。

 緑樹と緑林の違いを説明せよ、という設問に出会ったなら、降参するしかない。緑樹は見て字のごとし、そして緑林は、群盗や馬賊の異称だという。緑地、緑地帯、緑土、緑野、という言葉を簡明に説明せよ、と言われたらかなり困る。緑酒とは、なにか。うまく飲むことの出来る良質の酒、という意味だ。緑風は青葉を渡る初夏の風だ。緑豆とは、なにか。はるさめの材料で、その根は、もやしと呼ばれる。

 緑、というひと文字は、女性の名前でもある。僕はまだ一度も使ったことがない。緑という名の女性が登場する昔の小説に、愉快な文章があるかもしれない。「緑はたちまち顔を赤くし黄色い声を上げて怒った」というような。

15  雨

 雨の降りかたを言いあらわす日本語の種類は、驚くほどその数が少ない。双璧をなしているのは「しとしと」と「ざあざあ」だ。このふたつしかない、と言ってもいいほどなのだが、雨の降り始めを言いあらわす「ぽつぽつ」がある。降って来る雨滴がまだ少ないのだ。これには「ぽつりぽつり」という変形がある。「ぽつぽつ」のほうが変形だろうか。「ぽつぽつ」という言いあらわしかたにいま少し念を入れるなら「ぽつりぽつり」となる。さらに念を入れるなら「ぽっつりぽっつり」となる。

「しとしと」には変形はないが、「ざあざあ」は「ざあっと」降るときもある。「さあっ」と降る場合もある。昔の夕立は、「さあっと来た」のではなかったか。「ぱらぱら」という降りかたもある。降り始めの雨滴が開いた唐傘に当たるときの音だ、と僕は解釈している。いま少し雨滴が大きくなると「ばらばら」と降る。「しょぼしょぼ」という降りかたがある。降りかたであると同時に、そのときのその雨を受けとめる人の、主観的な状態をも言いあらわしているから、ある人にとっては「しょぼしょぼ」でも、また別の人にとっては、ごく穏やかな雨降りでしかない、ということは充分にあり得る。

 一九二五年の童謡『あめふり』は、下校時に雨が降り始めたから、お母さんが唐傘をさして学校まで迎えに来てくれた、といううれしさが、ふたりで雨のなかを帰っていく楽しさと重ねてある。母と雨のなかを歩く幼い子供の楽しい気持ちが「ピッチピッチ、チャップチャップ、ランランラン」と表現されている。失われて久しく、二度とあり得ない日本の、典型ではないか。おなじく一九二五年の『雨降りお月さん』にも唐傘が出て来る。

『雨だれの歌』では、雨だれが落ちる様子が「ぽっつり」と表現されている。『雨だれ』という歌もある。雨だれの音はピアノを弾く音のようだ、という歌詞の歌を、僕はかすかに記憶している。梅雨の頃に音楽の授業で教わった。「シトシトピッチャン、シトピッチャン」という音をご記憶だろうか。知らない人はまったく知らないだろう。僕は後者に属するけれど、人に教えられて知っている。これも日本における雨の音の一例だ。

「雨がふります 雨がふる」という歌い出しは『雨』という歌だ。「雨よ降れ降れ」は『雨のブルース』で、「雨は降る降る」は『城ヶ島の雨』の歌い出しだ。一九三九年の『或る雨の午後』では「雨が降ってたしとしとと」と歌い出され、一九五四年の『雨の酒場で』では、並木に降る雨は「ささやき」だ。

 一九四〇年の『小雨の丘』という歌では、小雨が大活躍している。いまは亡き母と寂しい私を、小雨が結んでいる。静かに降る雨は「そぼ降る小雨」で、それは「夢のようなこぬか雨」でもあり、「亡き母のささやき」のようでもあり、そうなると小雨は「心の涙」であり、亡き母の面影は雨のなかに「けむりて浮かぶ」のだ。作詞はサトウハチローだ。小雨という日本語から詩人が作った傑作だ、と僕はとらえている。

16  夏

 夏に関しては、それは季語だ、ということにつきる。立夏から立秋の前日までが夏だ。立夏は五月六日頃、そして立秋は八月八日頃だ。陰暦では四月、五月、六月が夏にあたる。

 日常的に、あるいはそうではなくても、使う人はまずいないと思うが、三夏という言葉があり、それは初夏、仲夏、晩夏の三つをひっくるめた総称だ。九夏もある。夏の九十日間を意味する。炎帝や朱夏という言葉を、たったいま僕は知った。夏の漢名だそうだ。猛暑日などとは言わずに、朱い夏のひときわ朱い日に、などとエッセイに書いてみたい気もする。手紙の冒頭に、暦の上では本日は立夏ですが、などとは書かず、夏いよいよ立ちまして、というような書きかたが、許されるかどうか。

 麦の秋、という言葉があるのを、歳時記で知った。麦秋とも書く。むぎあき、あるいは、ばくしゅう、と読む。夏の季語だ。麦が熟する五月、六月、梅雨の前のごく短い期間だ。五月そして六月を気候的な背景にした短編小説の題名を、『麦が熟する』とするのは、クラシックでいいかもしれない。

 歳時記のなかで夏を見ていくときりがない。くらげ、に久しぶりに出会った。海月、あるいは、水母、と書く。夏が始まった子供の頃、海で泳ぐとかならずや、くらげに遭遇した。くらげの頭を上から抑えこむようにして海に沈めつつ、くるっとひっくり返して掌に載せ、空中にほうり上げる、という遊びに興じたのは遠い思い出だ。

 夏、という漢字を最初に知って覚えたのは、小学校の一年生の、夏休み前ではなかったか。小学校で六回、中学と高校で三回ずつ、合計で十二回も、夏休みという異世界を体験した。大学も含めると十六回にもなるが、大学生の四年間、夏休みと言えば単位未修得者のための夏期講習に通った。いつもは学生の多い大学構内が、がらんとして陽ざしだけが強く、あれは歳時記に加えてもいいほどの、見事な日本の夏だった。

 最後の夏期講習以来、夏休みとはなんの関係もない年月を過ごして来たが、そのなかを探すと、おなじくらい見事な日本の夏が、いくつかなくもない。祇園祭はそのうちのひとつだ。山鉾巡行の十七日にはなぜだったか忘れたが、午後から四条にいた。夕方になるにつれて人はすさまじい勢いで増えていき、ついには身動き出来ないまでになった。

 その四条を逃れてふと脇道に入ったら、驚くべきことにそこにはずっと向こうまで人の姿はひとつもなく、静かな夏の夜がいかにも暑そうに、その身を横たえているだけだった。碁盤の目の路地を、右に曲がり左に折れては、人のいない都を呆然とひとりで歩いたのも、遠い思い出になりつつある。この思い出は更新したいと願っているが、今年は忙しさにかまけて、その機会を逃した。来年はかならず、ということにしておこう。

『割り勘で夏の日』という題名の短編小説を書いたのが、もう四年も前のことだ。もっとも暑い頃の夏の日の物語を今年も書こうか。六月の雨降りの午後を背景にした物語はつい昨日書いたから。

17  秋

 秋、という言葉の意味の説明を、愛用の国語辞典で読んでみた。初めての体験だ。じつにいい。「温帯で暑い夏が終わり寒い冬になるまでの間の、さわやかな気候の季節。木の実が生り、台風が来る、九・十・十一の三か月」という説明がしてあった。

 かねてより僕が思い描いていたのは、特定の季節のなかで、その季節を背景にした短編を考え、なるべくその季節のなかで書き上げる、というふうにして、「暑い夏が終わり寒い冬になるまで」の季節の推移の順番に七つの短編をならべ、一冊の本にする、というアイディアを実現させることだ。まだ実現させていない。今年はいい機会かもしれない。

 いまからなら、「温帯で暑い夏が終わり」という部分、つまり秋のいちばん初めの頃を物語の背景にして、短編小説を考えることは、充分に間に合う。季節は容赦なく進展していく。ひとつ書き上げる作業と、次の季節を背景にした物語を考える作業は、おそらく並行するだろう。次の物語を考える作業と、もうじき終わろうとしている季節を背景にした物語を書く作業が、ひとつに重なる。忙しいはずだ。これが秋の忙しさだ、と痛感することが出来るのではないか。

 秋思、という言葉がある。しゅうし、と読む。秋が深まるにつれてセンチメンタルになること、という意味だ。この意味のとおりの短編小説を書いて、秋の短編七つのまんなかあたりに置くのはどうか。秋意、という言葉もある。しゅうい、だ。秋の気配、という意味だそうだ。この秋意という言葉ひとつから、じつによく出来た短編小説を作り出すのは、作家にとっては醍醐味というものではないだろうか。

 秋色は、秋らしい景色のことだ。そして秋水は、しゅうすい、と読み、秋の季節の澄みきった水、という意味だ。このふたつだけからでも、短編小説としての物語を、虚空から引き出すのも、作家ならではの楽しみであるはずだ。「そこここに秋の気配の感じられます今日この頃」という書き出しの手紙が、つい先日、届いた。これにも僕は感銘を受けた。少しずつ確実に深まっていく秋の気配、というものを的確にならべて、物語の進展と見事にひとつにしてみせる芸も、作家なら披露してみたくならないか。

 秋風。秋寒。秋雨。秋雨前線。秋晴れ。秋日和。秋祭り。このような言葉を国語辞典のなかに拾っていくだけでも、そこには早くも物語への確実な予感があると僕は感じる。日本の作家は、日本語を使う人だ。そのような人は、季節から逃れることが出来ない。特に秋からは。

 遠い昔、小学校一年生だった僕にあたえられた、毛筆による習字の最初の課題は、あきかぜ、という四つの平仮名だった。三重丸の評価を喜んだが、二年生のときの春夏秋冬という漢字四つの課題を書いたものは二重丸だった。それ以後、ごくあっさりくるっとひとまわりだけの、一重丸の評価が長く続いた。秋という文字は美しい。必要にして充分な、すっきりとした姿を僕は好む。

18  薄

 薄、と書いて、すすき、と読む。「秋の七草の一つ。野山に生える多年草。大きな株になり、白い尾のような花穂は風に吹かれて光り、詩歌の好題材」と、僕の使う国語辞典には説明してある。すすきの穂、と子供の頃の僕は言っていたが、国語辞典的に言うなら、すすきの花穂なのだ。花穂は尾花とも言う。すすきの穂が僕の身辺から姿を消して四十年にはなるだろう。すすきの穂を、この四十年、見ていない。もちろん、手にも触れていない。これは重大な欠落感を自分の内部に生むはずだ、と思うのだが、こうして文章に書くときだけ、欠落感が浮かび上がる。

 秋になると誰かが、どこからか、すすきの穂を何本か折って来て、ごく簡単に飾っていた。秋が終わる頃にはいつのまにか、それはなくなっていた。そういうことが自分たちの日常として出来る人が、子供だった僕の身辺には何人もいた、ということだ。

 薄、は秋の季語だろうと思って俳句歳時記のなかを探したら、芒という字で出ていた。すすきはカヤとも言う。屋根を葺くのに使った。濁り酒が秋の季語であることを同時に知った。ごく日常的な空間で男がひとり、秋の夜の濁り酒を楽しんでいる。彼がいるその空間のどこかに、すすきの穂が何本か、きわめて素朴に飾ってある。このような光景が想像のなかに見えた瞬間、僕にとってすすきの穂は、秋の光景として完成する。

 アルマニャックでもカルヴァドスでもいいではないか、という意見はあるだろう。しかし僕は、ここでは、濁り酒をとる。日本語で言いあらわす日本の秋に関して、ここまで僕が生きて来たあいだのどこかで、と言うよりもまだごく幼い頃、すすきの穂とともに日本の光景を作って完成するものとして、濁り酒を探り当てていたような気がする。

 歳時記のなかで秋を散策していたら、落穂、という言葉に出会った。落穂拾い、という言いかたで、ずっと以前から落穂という言葉は知っていたが、稲刈りの終わった水田で落穂を拾い歩いた体験は、残念ながらない。小麦なら麦踏みから脱穀まで、二度経験している。おそらく小麦の落穂は拾って歩いたことだろう。

「農家では一粒の米も大切に扱うため、落穂拾いはゆるがせにできない仕事であった」と、歳時記は言っている。落穂拾いすらしたことのない僕が、店で米を買って来てストウブ社のココットで炊き、これはうまいね、などと言っている。

 麦の黒穂、という言葉を、歳時記のなかに見つけた。半世紀などゆうに越えた、久しぶりの遭遇だ。黒穂病菌の寄生で麦は黒穂病にかかる。「菌は種子から入り、花穂に上がって黒色の胞子堆を作る。穂は黒色の粉状となり、収穫できない」と歳時記には説明してある。麦の穂がまっ黒な粉になった、あの粉の感触を、僕の指先がいまも記憶している。いまの僕の指先に、子供だった頃の指先の感覚が、淡くはなりつつもそのままに、いまも残っているのだ、と思うことにしよう。麦の黒穂という言葉は、ただし、夏の季語だ。

19  鈴

 鈴、というひと文字はいまだに謎だ。いつ、どこで、この字を覚えたのか。小学校六年間の前半、六歳、七歳、八歳くらいの頃ではなかったか。日本語は、実際に使用される現場で、使用例とともに覚えていく。それはどんな現場だったのか。ひょっとして、鈴木さんという名前のなかにある文字としてだったか。鈴木さんという名の人と知り合い、主として仕事で、なんらかのかかわりを持った人の数は、この半世紀で「五指に満たない」という言いかたが無理なく使えるほどに、少ない。日本に多いと言われている鈴木さんだが、どこにいるの、と言っていいほどに、僕は遭遇していない。

 小指の先ほどの大きさの金属製の鈴が、子供の頃は身辺にいくつもあり、したがってしばしば目にしたし、手に取って遊んだ記憶もある。いまは身辺にない、したがって久しく見ていない。それでも、鈴という字は知っているし、忘れることはまずないだろう。

 りん、あるいは、れい、とも読む。呼鈴と電鈴だ。どちらの言葉も僕はこれまで自分の文章のなかで、一度も使ったことがない。電鈴は電気じかけのベルのことだ。りん、と読む鈴のひと文字は、僧侶が読経のときに区切りとして鳴らす金属製の小さな鉢のかたちをした仏具だ。国語辞典を見ていま知った、と言っていい。その文字を知っているとは言っても、知っている内容はいびつなのだ。すず、の場合は、鈴り、そして鈴虫くらいしか知らない。神楽鈴に多くの鈴がついている様子から転じて、一本の枝に果実が多く実っている様子を言う。スズナリと書くと、それは下北沢のあそこだ。

『日本語基礎知識三〇〇〇問』という本を作りたい、とかつて思ったことがある。題名のとおり、日本語の基礎知識を問う三〇〇〇の簡単な質問とその正解の本だ。「鈴虫はなんと鳴きますか」という質問は立派に成立する。りん、りん、りん、で正解だろうか。鈴蘭は現物を何度か見たことがある。その可憐な姿は寒冷地の多年草そのものだ。日本のいたるところに、すずらん通り、という商店街があり、そこではほとんどの場合、街灯が鈴蘭の花を模している。三十分もあれば、自宅からもっとも近いすずらん通りを、僕は歩くことが出来る。

 こうして鈴という文字をめぐって書いているあいだずっと、どこかにひとつ鈴を忘れかけているはずだ、という思いが意識の片隅にあり続けた。鈴蘭について書いてもまだはっきりしなかったその鈴を、ついさきほど、思い出した。『すずかけみち』という歌だ。

『鈴懸の径』は昭和十七年に灰田有紀彦が作曲し灰田勝彦が歌った。Eマイナー三十二小節のこの歌は子供の頃に覚えた。良く出来た歌のひとつに過ぎなかったのだが、「戦争を遂行する日本国家によって大学生の日常など学徒動員であっさり消されてしまう予感を歌にしたものだ」と、大学生だった頃、ハワイアン・バンドの先輩に教えられ、それ以来、僕にとってはもっとも大事な鈴となっている。鈴懸はプラタナスとも言い、並木に好まれる丈の高い樹だ。

20  学

 学、という文字との最初の遭遇は、小学校一年生になる寸前の頃だった、というかなりはっきりした記憶がある。入学する小学校の名前を母親が手書きし、「こう書くんやで、よう見とき」と僕に見せたのだ。時あたかも戦中と戦後の境目だったから、母親は当然のこととして、学の字を學と旧漢字で書いた。こんな字をどうやって書けばいいのか、と幼い僕は途方に暮れたが、そのすぐあと、新漢字を見て拍子抜けすると同時に、これなら自分にも書ける、と思った。僕にとっての学はそこから始まった。

「少年老い易く学成り難し」という言葉を覚えたのが、小学校二年生くらいではなかったか。それから三十年ほどあと、「なりがたし、という言いかたにはまだ余裕がある。これからなるかもしれない、という含みがあるじゃないか。いまの俺たちに則して言うなら、学ならずだね。学などなりっこない、と言ってもいい」と友人が言って笑ったのを覚えている。いまでも、学ならず、のままだ。

 学という文字ひとつでは、実用上の意味はほとんどない。学位、学院、学園などから始まって、学理、学歴、学割にいたるまで、頭に学のつく言葉をいろいろ覚えないといけない。国語辞典を見ていたら、学恩という言葉を初めて知った。「師と仰ぐ人から受けた学問上の恩」という意味だそうだ。学匠、学殖、学僕、といった言葉の意味をご存じだろうか。

 頭に学の字のつく七十足らずの言葉を辞典で見ていたら、見たとたん、ごく軽くにではあるが、嫌な気持ちになる言葉がいくつかあることを、いまさらのように発見した。学芸会。学習参考書。学割。学則。学童。学年。学帽。学力。学歴。

 小学校から大学まで、学年はすべて体験し、その結果として、学歴はただの大卒で、学割はたまに使ったが学力はないままに、学則はよく知らない、そして学習参考書は買ったことがない、というような読み込み冗談しか書けない。学、というひと文字だけを使う場面は、学のあるなしという、あるかないかの明確な二分法に従うときだけのようだ。学とは、まずなによりも、それがあるのか、ないのか、という区分けの基準として、少なくともかつては、充分に機能したようだ。

 国語辞典には、がく、まなび、まなぶ、という三種類が記載されている。学については以上のとおりだとして、学び、という言いかたをしたら、それは学問という意味で、雅語的な言いかたである、ということもついさきほど、僕は初めて知った。学ぶ、と言うならその意味は、国語辞典をそのまま引用すると、「教わる通りに、本を読んだり、物事を考えたり、技芸を覚えたりする」ことだ。学ぶためには、まず誰かから、あるいは、どこからか、教えられる場面が不可欠のようだ。

 卒業式でかならず歌う歌の一節に、「学びの庭にも早いくとせ」と僕は記憶している歌詞がある。学びの庭だったか、それとも、おしえの庭だったか。どちらでもいいのだが、主語が学校なら、教の庭、だろう。

21  葉

 葉、という言葉の意味を、端的に、的確に、説明することが自分に出来るだろうか。しばらく考えたあとの結論は、どうやら出来そうにない、ということだった。「草木の茎・枝に生える物。普通、平たくて緑色。光合成・呼吸作用を営む」と、僕が使っている国語辞典には説明してある。そうか、これでいいのか、と僕は思うが、これ、がまったく出て来ないのだから、どうにもならない。

 葉っぱ、という言いかたは、「口頭語的な表現」だそうだ。口語ではなく、口頭語だ。国語辞典でこの言葉を見て、いま初めて知った。葉、という音声にするよりは、葉っぱ、という音声にしたほうが、音声による言葉として、他者に伝わりやすいのだろう。一枚の葉は奥が深い。

 自分にとって、どのくらい深いのか。葉という漢字を自分で紙に書くとき、僕は日本文字としては書けないから、デザイン的に書いている。横の線が五本、縦の線が六本、そして斜めの線が二本の、合計十三個の部品をデザイン的に配置して、葉、という字に見えるようにしている。仮の日本文字ですね、記号のようなものですか、と言われたなら、そうです、と答える。

 なぜそんなことになるのか。出発点は子供の頃にある。漢字であれ平仮名であれ、日本の文字を日本の文字らしく書くトレーニングを、僕は子供の頃にほとんど省略した。縦の線は縦の線でしかない。とめる、はねる、のばすなど、日本文字の書きかたを知らない。したがって字はひどく下手であり、見ていると当人がまず不愉快になるほど下手だから、そこをなんとか脱却するために、文字をデザイン的に書くという逃げ道を見つけた。原稿用紙の枡目に手書きするようになって、この手法は二年ほどで確立された。

 たとえば葉を書くときにまず書かなくてはいけない草冠は、単なる横線一本に、それを三等分した位置に、左側に一本、右側にも一本、短い縦の線を入れる、という考えかたであり、そのとおりに書いている。草冠を草冠らしく書く、という習字を僕は経由していないから、あらゆる文字をこう書かざるを得ない。

 すべての文字をデザイン的に書くことによって、下手な字の視覚的な気持ちの悪さを自分は迂回する、そしてその字を見る第三者にとっては、ひと目見ただけで識別出来る文字とする、というご苦労さんな方針にしたがって、文字を書いている。原稿用紙の枡目、という枠のなかで完成された方針であり、原稿用紙を使わない現在、自分が手書きする文字には明らかに不愉快な緩みがある。

 手書きの文字の下手さかげんを、いくらデザイン的に書いて迂回しても、象形という出発点から逃れることは出来ない。僕が葉の字を思いっきりデザイン的に書き、最後の木の部分を小さめにすると、一本の木が枝を何本も広げ、その枝のすべてに葉が繁っている様子が、浮かび上がる。口という字を正方形に書こうが黄金比の長方形に書こうが、人の顔にある口とおなじことだ。

22  寒

 寒、という文字のつく言葉を歳時記でたどっていくと、そこには日本の冬があるのではないか、と僕は考えた。小寒。大寒。寒。寒し。寒波。三寒四温。厳寒。などとならんでいる言葉は、見ればなんとなくわかる。しかし、いちばん最初の小寒を、こざむ、と読んでいた。正しくは、しょうかん、だ。大寒も、おおざむなどではなく、だいかん、だ。冬の寒さが三日続くと次の四日間は温かい、という周期が、三寒四温だ。これも、歳時記の説明を読んで、そうだったのか、といまさらのように思う。

 寒卵という言葉を見つけた。かんたまご、と読む。寒中に鶏が産んだ卵のことだ。塗り椀に寒卵を割り落とすと、その瞬間、ほかの季節の卵にはない重さをふと感じる、という意味の俳句が、寒卵という季語を使った句の一例としてあげてあった。

 これは日本語とその向こうにある日本の感情の勉強だ、と僕は感じた。ほかの季節の卵より重い、と感じるのは、割り落とした次の瞬間だ。もはやその卵は自分の手を離れて塗り椀のなかなのだが、その卵に寒中の重さを感じる。計測すれば実際に寒中の卵のほうが重いのだろう。しかもその卵を受けたのは塗り椀だ。

 寒中の卵を塗り椀に割り落とした次の瞬間、ほかの季節の卵にはない、寒中の卵だけにある重さを感じるのが、日本の冬の一例だ。僕はそのような体験を持ってはいないが、言われればわかる、という世代の最後ではないか。塗り椀の内側の、あの色と曲面そして質感が、寒卵の重さを絶妙に増幅している。受けたのが塗り椀でなかったなら、寒卵の重さは見過ごされたかもしれない。これは明らかに日本語の勉強だ。勉強したからには応用したい。僕ならどのように応用するのか。

 寒中のひときわ寒い日の夕方、待ち合わせた女性はくっきりと赤く口紅をつけて、あらわれた。その美しい唇を見ていると、やがてかならずやなにか辛辣なことを言われるのではないか、と相手の男性は思い始める、というような応用をしてみたくなる。

 鮮やかに赤い口紅に、寒中の寒さが、視覚的に重さをあたえている。そしてその重さは、その唇のあいだから自分に向けて発せられる言葉の重さ、つまりは辛辣さへと、彼の気持ちのなかで転換される。日本語の妙だ。寒中の寒さは彼女のくっきりと赤い口紅を経由して、彼にとっての辛辣な言葉となる。小説のなかで使ってみよう。猛暑日の午後に書くといい。

 歳時記のなかでは冬の次は新年なのだが、新年には寒という字のつく言葉はなかった。日本の新年に寒はない、という発見をした。秋には、やや寒、肌寒、朝寒、夜寒、そぞろ寒、かんなどがあった。やや寒は、うそ寒、秋寒、とも言う。やや寒と肌寒はおなじような意味で、昼夜の別はない。秋がもっとも深まり、朝や夜に特に寒さを感じる頃に、朝寒そして夜寒が登場する。春にはかんあけかん、春寒などがあった。日本語は寒さに敏感な言葉だが、夏のなかには梅雨寒ひとつがあるだけだった。

23  青

 青という漢字、そしてそれが体現する青という色について、最初に学校で教えられたとき、先生は青を空と結びつけ、青は空の青です、と説明したのではなかったか。青という文字を、青空という文字とともに学んだ、と僕は記憶している。小学校の一年生あるいは二年生にとって、青は空とほぼ同義語だった。

 そしてその青は、赤、青、黄色、という三つの色のひとつとしても、教えられた。空が青だったなら、黄色はなにだったか。いまから六十数年前のことだから、当時の子供でも知っていたごく身近な黄色には、タンポポしかなかった。赤はなにと結びつけられたか。しばらく考えていたら思いついた。戦争に大敗した直後だったとは言え、日の丸は赤かった。赤は日の丸の赤ですよ、と先生は言ったに違いない。

 自分の外にある世界を必死で認識しようとしている子供にとって、色はその根底で作用した。赤も黄色も大事だが、空の青はあらゆる認識の基本として機能した。空は、つまりこの世は、ブルーなのだ。頭のなかでは空と分かちがたくひとつである青は、いかなるときも一定してそこにある無限と言っていい広がりと奥行き、という絶対の基準だった。

 頭に青のつく言葉を国語辞典でたどってみた。青青から始まって、青梅、青蛙、青魚、青写真、青信号、青筋、青大将、青天井、青竹、青柳など、どれもなかなか楽しい。青人草は、あおひとぐさ、と読む。人の増える様子を草の生え繁る勢いになぞらえた言葉で、国民という意味だが、明らかな昔語りとなった。

 肯定的とは言いがたい意味合いで青が頭につく言葉がいくつかある。青臭い、青二才、青侍、青ぶくれ、青ざめる、青息吐息、青い顔、青っ洟。青道心は仏門で僧になったばかりの人のことだ。青さとは、農産物を収穫するときの、出来ぐあいの判断基準として、重要だったのだろう、と僕は想像する。したがって、まだ青いとは、まだ出来ていない、という意味だ。

 青という文字は、せい、とも読む。せい、としての青が頭につく言葉はたくさんあるだろうと思ったが、思いのほか少ない。二十に満たない。青春。青少年。青年。青雲の志。青果。青磁。青鞜。青銅。青票は国会で反対を表明するときに投じる青い札のことだという。青山は木の青々と繁った山だ。自分の墓を作る場所でもあるそうだ。人間至る処青山有り、などと使う。

 青の次は日本語の順番では赤なのだ。青という文字が頭につく言葉を国語辞典で最後まで見ていったら、いきなり、赤赤、という言葉に遭遇した。「赤一色であるという感じを与えることを表わす」と説明されていた。念のため青青の説明を見たら、「青一色であるという感じを与えることを表わす」と説明してあった。

 青青や赤赤のようにおなじ言葉を繰り返す言葉には、さらに黒黒と白白がある。黒黒とは、あくまでも黒く見える様子のことだ。白白には、しろじろ、そして、しらじら、のふたとおりの使いかたがあり、当然のことながら意味はちがう。白白だけ意味と使いかたがふたつに分かれる。白ならばこそ、と思っていいのだろう。

24  波

 一九七四年に短編小説ひとつで僕は作家としてデビューした。『野性時代』という雑誌に掲載されたその短編の題名は「白い波の荒野へ」というものだった。初めての小説を夢中で書いた。一週間ほどかかっただろうか。題名はきまっていなかった。書き上げてからも題名はつけようがなく、デスクに向かって椅子にすわり、困っていたところ、文庫本が何冊か目にとまった。僕に贈呈された新刊の文庫だった。その新刊の文庫は当時の業界の言葉で文庫フェアと呼ばれた期間に、宣伝や販売に力を集中させるためのものだった。どの文庫にも帯が巻いてあった。その帯には、白い荒野へ、というコピーが印刷してあった。

 書いたばかりの短編の題名は、これでいいのではないか、と僕は思った。だからそのとおりにしようと思ったのだが、波の、というひと言をまんなかに入れて、白い波の荒野へ、というフレーズを作り、それを題名にきめ、原稿用紙の空白にしてあった冒頭に、書き入れた。「白い波の荒野へ」の誕生だ。デビュー秘話とも言うべきこのエピソードを、ずっと以前、一度だけ僕はどこかに書いた。

 海底で眠り続ける女性が寝返りを打つたびに、この海には波が出来るんだ、と夏休み,夏期講習,祇園祭,山鉾巡行,四条,割り勘で夏の日,秋,季節,物語,薄,すすき,アルマニャック,カルヴァドス,濁り酒,歳時記,落穂拾い,ストウブ社,ココット,麦,鈴,鈴木,すずらん通り,鈴懸の径,昭和17年,1942年,灰田有紀彦,灰田勝彦,プラタナス,学,學,葉,口頭語,寒,青,赤,黄,黒,白,波,1974年,白い波の荒野へ,野性時代,文庫,デビュー秘話北海岸で太平洋を前にしてすわりこみ、真顔でそう語っていた、ヒッピーとサーファーの中間のような男性との会話のなかから、「白い波の荒野へ」という短編は生まれた。

 それからじつに四十数年後のたったいま、歳時記に波はあるだろうか、と僕は思った。土用波はかならずあるはずだ、と確信して目次を見たら、あるではないか。説明の文章を引用しておきたい。「夏の土用のころ、主に太平洋沿岸に押し寄せてくるうねりのある高波のことで、時に激しい海鳴りが起こることもある。これは南方海上で発生した台風から生じたうねりによるものである」。きわめて平凡な説明だが、書き写していると、子供の頃に海との距離を置いて陸地から眺めた土用波を、ほんの一瞬、思い出す。

 山波。甍の波。人の波。時代の波。都市化の波に洗われる。長い不況の波をかぶる。好調の波に乗る。作品に波がある。国語辞典から書き写した、人の世のあちこちで立つという、さまざまな波のうちのいくつかだ。波板とはトタンや塩化ビニールの板のことだ。波打ち際。波打つ。波頭。冒頭につく波の字を「なみ」と読む言葉を国語辞典のなかに数えたら、ほんの十数個だった。もっとたくさんあるかと思ったのだが。

 波風。波路。波しぶき。波立つ。波の花。これは「白く泡立って寄せる波」であると同時に、「水商売やすもうで、盛り塩の称」でもある。波の穂。波乗り。波間。波枕。波除け。

 日本の夏におだやかな海へ波打ち際から入っていき、海面が臍を越えると、ごく小さな波が来ても、ああ、海だ、波がある、と思う。夏の日に海へ来ている自分と海との関係において、自分はまさに凡人だなあとつくづく思うようになったのは、三十代に入ってからだったか。

『読売新聞』2014年4月25日〜2016年3月25日 毎月最終金曜日夕刊に連載

 


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2020年6月12日 07:00
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