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チャタヌーガ・チューチュー

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 朝のまだ早い時間なのに、居間はもう暑かった。陽がさしこんだりはしないのだが、むっとするような空気がこもっている。

 新聞を持った徳一は、居間からキチンへ歩いた。

 キチンは北側にあり、この小さな家のなかでは、たいていの場合、いちばん涼しい。

 テーブルから窓辺に椅子を持っていった徳一は、新聞を椅子に置き、クッキング・レンジへ歩いた。朝の起きぬけにわかして何杯も飲むコーヒーの残りを、レンジにかけなおし、熱くした。

 熱くなるのを待つあいだ、北側の窓へ徳一は歩き、外をながめた。

 隣の家とのさかいになっている庭に、明るくて強い陽ざしが、いっぱいだった。暑そうな陽ざしだ。風は、とまっていた。

 十二月のはじめだというのに、ハワイではいつもこうだ。日本の十二月を、徳一は、ふと思った。

 日本では、十二月なら、陽ざしは明るくても淡泊なものだ。こんなにまぶしくないはずだ。

 このところ、徳一の視力は、急速に落ちたように思える。目には自信があったのに、この強い陽ざしのせいで、年よりも早くに目が老けていきそうだ。

 窓の外を、彼はさらにながめた。黒いスラックスが腰のまわりでだぶつき、やせて無駄のない、小柄で陽焼けした体に、ワン・サイズ大きいTシャツが、洗いたての白さで心地よさそうにかぶさっていた。みじかく刈りつめた髪は、ちょうど半分くらい、白くなっていた。

 コーヒーのわく音がした。窓辺からレンジにひきかえした徳一は、ヒートをオフにした。愛用のコーヒー・マグに熱いのをなみなみと注ぎ、新聞を置いた椅子までひきかえした。

 コーヒー・マグを窓枠のうえに置き、徳一は椅子にすわった。Tシャツのえりもとにはさんでいる眼鏡の黒いケースをはずし、なかから老眼鏡をとりだした。

 眼鏡をかけた徳一は、新聞を広げた。

 窓から、甘い香りの風が、ふっと、吹きこんだ。庭に咲いている熱帯の冬の花の香りを、風がはこんでくる。

 新聞には、スーパー・マーケットのクリスマス・セールの広告が、早くも大きくのっていた。クリスマスの買物シーズンにむかって、ダウンタウン・ホノルルでは自動車の交通渋滞が目立ちはじめている、というニュースをラジオでやっていた。もう、クリスマスなのだ。

 売り出しの広告をいくつかながめてから、徳一は、英語のローカル記事から、読みはじめた。知っている言葉のひろい読みだがなんとか読めて意味もつうじる。

 窓枠に置いたコーヒー・マグを、徳一は手にとった。わきたったばかりの熱さがほどよく抜けたコーヒーを、徳一は音をたててすすった。息子や娘たちがいるときには、お父さんは行儀が悪いといって責められるので音はたてないが、ひとりのときには盛大にすすりあげる。

 そうやってコーヒーをすすりながら、徳一は新聞を読んだ。

 しばらくすると、家の外の道路に、自動車の音が聞こえた。徳一は、その音に注意をむけた。

 長男の徳光が帰ってきたのだ。あの音は、彼の車の音だ。デソートのSー7カスタム・コンバーティブル・クーペ。アルバイトでためた頭金で徳光が中古で買ったのだが、新車からまだ一年たっていない一九四〇年型だった。

 エンジンの音が、とまった。

 正面のスクリーン・ドアの閉じる音がし、足音が居間を抜けてきた。

 徳光が、キチンに顔を突っこんだ。

「やあ、パパ。お早う」

 英語で、徳光が言った。彼は日本語も喋れるのだが、いつも白人とまったくかわらない英語で話をする。

「お早う」
「コーヒーの香りがしたのでね」
「まだ熱いよ。飲みなさい」

 徳一は、はずして手に持っていた眼鏡で、クッキング・レンジを示した。

 わきの下にかかえていた何枚もの七十八回転レコードをテーブルに置き、徳光はカップにコーヒーを注ぎ、立ったまま飲んだ。

「ああ、うまい。パーティは夜どおしになってしまい、友だちのところで眠ってきた。ビールを飲みすぎたよ」

 徳光は母親似だ。だが、口もとは父に似ている。父の年になれば、父とそっくりの口もとになるだろう。すこし長めにした髪をポマードでなでつけた、中肉中背の好青年だ。

 コーヒーを飲みおえた徳光は、レコードを注意深くかかえあげた。

「それはみんな買ったのかね、ハロルド」

 徳光のアメリカ名はハロルドという。ハロルドと呼ばないと、彼はきげんがよくない。

「借りたんだ。いい音楽ばかりだよ。すこし聞かせようか」
「そうだな。いい音楽なら、聞きたいもんだ」

 ハロルドは、キチンを出ていった。すぐに、居間の電蓄が、鳴りはじめた。軽快にはずむジャズで、あいだにコーラスで歌が入った。歌詞は徳一にも聞きとれた。

ちょいとごめんよ
チャタヌーガ・チューチューってのは、あそこのあれかい
第29番プラットホーム
よっしゃ、靴でもみがいてもらおう
四時十五分前にペンシルバニア駅を出て
雑誌でも見てるうちにバルチモア
食堂車でディナー
そしてカロライナあたりを走りつつ朝のハム・アンド・エッグスを食べるほど素敵なことは
ちょっと、ほかに、ないでしょう。

 音楽にかさなって、低い爆発音が遠くからとどろくのが、聞こえた。音は、いくつもかさなった。

「ハロルド。いまの音は、なんだろう」

 立ちあがった徳一に、いきなり、超低空で飛ぶ飛行機の爆音が、窓からおそいかかった。思わず、徳一は、しゃがんだ。飛行機は家の屋根すれすれに飛び去った。

 ハロルドが、キチンに走ってきた。つづいて二機、三機と、超低空を飛ぶ音が、かさなった。

「演習かな」

 と、ハロルドが言った。

 演習ではなかった。戦争だった。飛んでいったのは、真珠湾を攻撃してきた零式艦上戦闘機だった。

底本:『アップル・サイダーと彼女』角川文庫 一九七九年

今日のリンク: 真珠湾攻撃
動画:当時のカラー映像をもとにした日本のドキュメンタリーの一部です。[12/7 6:30追加:閲覧注意]


1979年 『アップル・サイダーと彼女』 アメリカ グレン・ミラー ハワイ 戦争 日系 祖父 移民 音楽
2015年12月7日 05:30
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