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雨の午後、コーヒー・ショップで

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 いまは雨の日の午後だ。五月の終りちかい。春のおしまいなのだろうか、それとも夏のはじまりなのだろうか。むしあつい。しかし、いまぼくがいる場所は、涼しい。空気もそんなに湿ってはいない。ここは、東京という都会のまんなかにある、コーヒー・ショップの二階だ。

 コーヒー・ショップは街角に建っていて、通りに面した壁はいちめんガラス張りのようになっている。店内の色はダーク・ブラウンで統一し、落ち着いた気持になれるようにしてあるらしい。いろんなかたちの照明がいたるところにあり、観葉植物の鉢が、本気とも冗談ともつかない様子で、いくつも置いてある。

 BGMが流れている。アメリカの中年男性が、しわがれをよそおったバリトンで『ミー・アンド・ボビー・マギー』をうたっている。こんな歌が、ごく当然の店内インテリア装飾のように、冷房でつめたくした空気のなかへ、天井のスピーカーから、流されている。

 こうした簡単な描写が読み手の気持のなかにどのようなコーヒー・ショップを描き出すのか、書いている当人にもよくわからない。べつにどうということもない、よくあるようなコーヒー・ショップだ。コーヒーは、いろんな種類が用意してある。豆を指定したりせず、ただホット・コーヒーと注文して出てくるコーヒーは、酸味が強くて濃いものだが、そんなに悪くない。

 そのコーヒーを飲みながら、いまぼくは、このみじかい原稿を書いている。BGMが次の曲になる。ドリー・パートンの『ジョリーン』だ。

 ぼくが書かなければならないみじかい文章のテーマは、都市におけるサバイバルとかいって、都市のなかで自分がいかに生きのびていこうとしているのか、都市と自己の内面とのかかわりにあいについて、個人的に書くのだそうだ。

 都市におけるサバイバル、というような言葉を自分の手で原稿用紙に書きつけたら、二時間ほどまえに会った友人を思い出した。

 その友人はすでに結婚していて、子供がふたりいる。都心のマンションに住んでいるのだが、生活環境を多少とも改善するために、郊外に家を買おうとしている。

 しばらくまえから資金づくりの算段を、ああでもない、こうでもない、と彼はやっていた。どうやらめどがついたらしく、どこにどんな家を買うのか、その狙いもほぼ定まったらしい。

 さきほどその彼に会ったら、彼は、自分が買おうと思っている家のカタログを見せてくれた。必要な総資金は一億円をこえるそうで、そのうちの半分を自己資金でまかない、のこる半分がローンだそうだ。

 こういったことが現実にどういうかたちで都市生活の実感となってあらわれてくるのかぼくはよく知らないが、カタログに描かれている家の明らかにアメリカふうのたたずまいやキチンの現代ふうな明るさなどを見ていたら、ロサンゼルス衛星都市の郊外につくられている住宅地のことを、連鎖反応的にぼくは思い出した。

 その住宅地は、日本的な意味での住宅地のスケールは、軽々とこえてしまっている。広大な自然の地形を徹底的に逆手にとって利用し、いかにもほんとうの自然のなかに夢の住宅環境が入りこんできたという感じにつくってあり、山あり湖ありの、日本でいえば最高級のゴルフ・コースのなかに、余裕たっぷりに民家を点在させたという印象だ。

 建てられている家は、アメリカ的な文化生活の現代におけるひとつの頂点のような感じなのだが、ぼくが一週間だけ客人として滞在した体験から言うと、基本的にものすごく不自然な感じのする、神経をじわじわと圧迫するようなカリフォルニア的なノイローゼ環境だった。

 自分自身の絶えざる努力によって生活を向上させ、ついに三十代なかばでこんな夢の住宅地に家を持ったそのアメリカ人の友人は、無邪気にうれしそうだった。彼と同世代のぼくは、心から彼の今後の無事を祈らずにはいられなかった。

 さきほど都心のコーヒー・ショップで会った日本人の友人に対しても、いまぼくは、まったくおなじ気持を抱いている。どうか、ほんとうに、ご無事で。都市におけるサバイバルは、ぼくの場合、このひとことにつきてしまう。そしてぼく自身は、もはやとうてい無事ではありえないほうへ、落ちこんでしまっている。

底本:『コーヒーもう一杯』角川文庫 1980年


1980年 5月 『コーヒーもう一杯』 クリス・クリストファーソン『ミー・アンド・ボビー・マギー』 コーヒー ドリー・パートン『ジョリーン』 東京
2016年5月31日 05:30
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