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自分らしさを仕事にする

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 なんらかの仕事をし、それに対する報酬を金銭で受け取り、その金銭で自分の生活の全域を維持させていく、というもっとも一般的な意味での仕事を、この僕といえどもおこなっている。おこなっているどころではない、のべつまくなしにびっしりと、休みなく毎日、四六時中、そのように仕事をし続けて、すでに三十五年以上が経過している。

 ではその仕事の内容はなになのかというと、いまこうしてここに書いているような文章を、次から次へと書くことなのだ。領域はかなり広いと自分でも思う。肩書は作家であっても、小説だけを書いているわけではない。むしろ小説はごく一部分であり、それ以外の文章を書くことのほうが圧倒的に多い。そしてそれゆえに、次から次へと書くことが可能なのだろう、と思っている。

 このような仕事のための材料は、どこから手に入れるのか。それはどこにもない。あるとすればこの僕というひとりの人の内部に、すでに入っていることが材料になるだけであり、それ以外のものは使いようがない。生まれてから今日までの僕という、このひとりの人のなかにあるものの総体が、そしてそれだけが、僕の仕事のための材料だ。

 僕がそのようにして書き続ける文章は、どんな文章なのか。もっとも端的なひと言で言いあらわすなら、それは、僕が書く文章、という種類の文章だ。僕にしか書けない文章、という言いかたをしてもいい。僕だからこそ書く文章、とも言えるだろう。こんなことを書く奴はほかにいないよ、といった言いかたをしてもいい。多くの場合、そのように評されてもいる。僕らしさを材料にして、僕らしい文章を書き続けること。これが僕の仕事だ。自分らしさを、僕は三十五年にわたって、仕事としてきた。これからもそれを続ける。

 仕事を始めた二十代なかばの頃、この僕はすでに、知り合う人たちをして辟易させるほどに、僕らしい人だったに違いない。自分らしさを材料にして、その頃から僕は僕らしい文章を書き続けたのだから、文章をひとつ書くそのたびに、僕は僕らしさの密度を高め、僕らしさを尖らせてきたことになる。自分をよりいっそう自分らしくする営みを、僕は仕事にしてきた。

 書く文章ごとに、新たな自分らしさの地平を開拓しなければならない。少なくとも原則的には、それ以外の道はあり得ない。だから僕はそうしてきた。さらなる自分らしさを目標にして、僕は自分をどこまでも特殊化させてきた、という言いかたをいま僕は試みる。

 三十五年以上という時間のなかで、自分を特殊化させ続けてきたいまの僕は、世界がいくら広くてもここにひとりしかいないという、おそろしく特殊な職人ないしは技術者なのだろう。倒(こ)けつ転(まろ)びつは当然のこととして、貧乏暇なし、青息吐息、火の車、といった状態をさらに越えて、食うや食わずであってもおかしくはないのだが、そうとも言えないのだから、そこにおいて僕は、自分らしさという特殊性を、さらに何段階も増幅させてもいる。

 こういったきわめて特殊な自分という人が過ごした日々から、一般的な法則を引き出すことは可能だろうか。なんらかの仕事を三十年、四十年と続けるとは、その仕事と不可分に一体のものとしての自分を、特殊な状態の奥へさらにその彼方へと、自ら導き追い込んでいくことでもあるのだというような一般的な法則を。

底本:『自分と自分以外──戦後60年と今』NHKブックス 2004年


2004年 『自分と自分以外ー戦後60年と今』 仕事 書く 自分 言葉
2016年3月19日 05:30
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