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彼女の部屋の、ジャズのLP

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 ぼくが彼女にはじめて会ったとき、ぼくはまだ少年であり、彼女は五歳年上の大人の女性だった。すっきりと成熟をとげた、いい雰囲気をたたえた、優しい、そして芯のある女性だった。

 彼女と知り合ったのは、当時のぼくの自宅から歩いて十分ほどのところにあったビリヤードだ。二階はダンスの教習所になっていて、彼女はそこで上級者のダンシング・パートナーをときたま務めていた。いつもは、階下のビリヤードにいた。そこで働いてたわけではない。しかし、いつもそこにいたのだ。奥の階段を二階から彼女が降りてくるときの様子は、まるで映画スターのようだった。ここでこんな人がなにをしているのだろうかと思うほどに、彼女は美しい人だった。

 ぼくは子供の頃から手ほどきされてナイン・ボールその他が達者であり、彼女もナイン・ボールは好きだった。ぼくたちはよくふたりでゲームをした。ゲームをとおして最初に知ったのは、彼女はたいへんな負けず嫌いであるということだった。

 そのビリヤードから歩いて十五分ほどのところに、彼女はひとりで住んでいた。ある一軒の家の、広い敷地の片隅に別棟で建てた、当時としてはきわめて洒落た造りの二階建ての家の、その二階が彼女の部屋だった。一階には別の人が住んでいて、二階へは建物の外にある階段をあがっていくのだった。

 彼女のその部屋へ、ぼくはよく遊びにいった。いらっしゃい、と誘われたり、いっしょに帰りましょうと言われて、いっしょに帰ったりした。居心地のよい部屋だった。キチンでぼくが料理を作ったことも、何度もある。

 西に面してほどよい大きさの窓のある部屋が、彼女にとって書斎のような部屋になっていて、そこにアンプとプレーヤー、スピーカー、そしてモダン・ジャズのLPがあった。窓の両側にスピーカーがあり、反対側の壁のまえに置いたディレクターズ・チェアにすわって、彼女は窓の外に視線をむけ、さまざまなジャズのLPを聴いていた。ぼくも、いっしょに聴いた。いろんなプレーヤーの名前と演奏、そしてその演奏の収録されているLPのジャケットを、ぼくはその部屋で覚えた。

 ジョニー・スミス。ジョージ・シアリング。イリノイ・ジャケー。バド・シャンク。スタン・ゲッツ。チェット・ベイカー。ハワード・ロバーツ。ジミー・クリーヴランド。エディ・ヘイウッド。窓に面して左側の壁に本棚があり、下の二段がLPのおさまる高さだった。下の一段はすべてジャズのLP、そしてその上の段も、半分はジャズだった。

 彼女のこと、そして彼女の部屋について思い出すと、そこでのさまざまな体験の結晶として、タル・ファーロウのLPをプレーヤーにかけるとスピーカーから出てくる音を、ぼくは思い出す。

 彼女と彼女の部屋には、タル・ファーロウがもっとも似合っていた。彼女も、タルはとても好きだと言っていた。「ハウ・アバウト・ユー」「エニシング・ゴーズ」「アイ・ラヴ・ユー」「リーン・オン・ミー」「ワンダー・ホワイ」「イッツ・ユー・オア・ノー・ワン」「テンダリー」。冬はシェトランド・セーターとコーデュロイのスラックスで、そして夏はカーキー色のショート・パンツでディレクターズ・チェアにすわり、彼女はタル・ファーロウを聴いていた。聴きながら彼女がなにを思っていたのか、なにが見えていたのかは、当時も、そしていまも、謎のままだ。居心地よく好きな音楽を聴いているとき、人はなにを思うのだろう。

 何年かあと、ぼくは彼女と再会した。以前とおなじように彼女は美しく、その後の自分について語る彼女の横顔を見ていると、彼女はまさに「イッツ・ユー・オア・ノー・ワン」の曲そのものであり、演奏はタル・ファーロウ以外にはあり得ないのだった。

『きみを愛するトースト』角川文庫 1989年所収
底本:片岡義男エッセイ・コレクション『「彼女」はグッド・デザイン』太田出版 1996年


1989年 1996年 「彼女」はグッド・デザイン きみを愛するトースト アイ・ラヴ・ユー アンプ イッツ・ユー・オア・ノー・ワン イリノイ・ジャケー エッセイ・コレクション エディ・ヘイウッド エニシング・ゴーズ キチン ゲーム コーデュロイ シェトランド・セーター ショート・パンツ ジミー・クリーヴランド ジャケット ジャズ ジョニー・スミス ジョージ・シアリング スタン・ゲッツ スピーカー スラックス タル・ファーロウ ダンシング・パートナー ダンス チェット・ベイカー テンダリー ディレクターズ・チェア ナイン・ボール ハウ・アバウト・ユー ハワード・ロバーツ バド・シャンク ビリヤード プレーヤー モダン・ジャズ リーン・オン・ミー レコード ワンダー・ホワイ 二階 大人の女性 彼女 映画スター 書斎 片岡義男エッセイ・コレクション 負けず嫌い 部屋 階段 LP
2016年3月4日 05:30
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