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戦後日本の転換点

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 戦後の日本にとっての最大の安全保障は、安保を軸にした日米軍事同盟の維持、そして近年ではその拡大だと言われてきた。日本と近隣諸国とのあいだの、政治的あるいは経済的その他すべての、ひとまずは安定した関係は、日米同盟という軸あればこそのものとされ、日米同盟は軍事にとどまらず、なにかにつけてのアメリカへの支持と加担へと、限定なしで広がってきた。

 これが日本にとっては唯一と言っていい選択とされ、それしかないという状態で戦後の五十八年間を過ごしてきた。選択肢がこれしかなかったとは、じつはそれ以外にもあり得たはずの選択肢の模索を、すべてさぼってきたということにほかならない。戦後の日本にとって、安全保障や軍事などをめぐる現実は日米同盟であり、したがって現実は唯一これであり、いまもそのことに変わりはない、ほかになにがあると言うのかという考えかたがおそらくいまも多数派を構成している。唯一の選択肢である現実以外のことを論じるのは無駄な空論であるという言いかたは、半世紀を越えるさぼりを正当化しようとする試みだ。そしてこのような正当化は、アメリカの要求にそのつど応じることが、日本の「主体的な判断」であるとする、さらなる正当化へと直結している。

 国益にとってもっとも現実的な選択は日米同盟の堅持だということだが、国益を可能にする経路は外交しかない。そして外交においては、可能なかぎり多くの選択肢のなかからそのつど慎重さをきわめた考えかたや方針に沿って注意深くひとつを選んでいく営みがもっとも重要だ。選択肢がひとつしかない状態は、完全にその逆でいくことになるのだから、国益を云々するのであればこれがいちばん危険な方法だ。

 政府はアメリカ追従に過ぎる、という批判のもっとも健全な根拠はこのあたりにあるのだろう。与党と野党それぞれの考えや行動が、十対七くらいの比率で報道されているとすると、十に対する七といえども、継続されれば浸透していく。アメリカに対する日本政府のありかたをどう思うか、というようなアンケート調査をすると、追従に過ぎる、という意見が四十パーセントほどは出てくる。四十パーセントの固定層がすでにあるわけだ。

 追従に過ぎると批判する側、そして批判される側のどちらも、少なくとも言葉を見るかぎりにおいては、空疎さにおいては対等だ。批判する側の言葉は、あまりにもアメリカの言いなりではないか、憲法を率先して破るのではなく守らなくてはいけないのだし、出来ないことは出来ないとはっきりアメリカに言ったらどうか、このままどこまでもついていくと日本はアメリカとともに孤立する、そしてそれこそ日本の安全保障をくつがえすことにつながる、というあたりに要約することが出来る。

 批判される側の代表は首相だとすると、批判に対する反論の言葉も、いまではほとんど固定されている。アメリカの軍事力以外にどんな選択肢があると言うのか、とはなかなか言い切れないから、国際社会の一員として日本はなにもしなくてもいいのか、などと言ってみたりする。批判する側の言葉はどこまでも均一に空疎であり、批判される側の反論の言葉は、それを重ねれば重ねるほど空疎になっていく。そしてどちらも、空疎さのなかで対等に釣り合って、動きがとれない。

 戦後の日本が外交と防衛の問題をさぼってきたのは、アメリカの傘の下にいたからだ。さぼってきた当然の結果として、世界という現実を正しく認識する力と、そのために必要な正確で深い知識や豊富な体験を、批判する側もされる側も、等しく欠いている。これが戦後日本の成果なのだ。選択肢がひとつしかないというありかたは、無能国家や失敗国家が持つ最大の特徴ではないか。身近にお手本のある独裁という無能や失敗は、たいそうわかりやすいだろう。

 どこまでもアメリカについていくと日本は孤立すると言うけれど、日本はとっくに孤立している。いま書いているこういう種類の文章のなかでは、アジアとのつきあいを半世紀を越えて日本はさぼってきた、としか言いようがない。その結果、アジアのどこにも日本は友人を持っていない、アジア全域の安定や繁栄の核のひとつとして、将来に向けて長く有効に機能するさまざまな関係というものを、どこの国とも作っていない。

 冷戦下のアジアにはアメリカの軍事力が覆いかぶさっていた。覆いかぶさるとは妙な言いかただが、アジア各国を抑えていたわけではないし、均衡させていたのでもない。アジア各国にはまだ力がなかったから、そこにアメリカへの対抗力はなく、ぜんたいの安定をアメリカが引き受けることが出来ていた。いかに引き受けたかを例証するものとしてヴェトナム戦争をとらえることは、充分に可能だ。引き受けるにあたっての拠点は、日本にある基地とそれに対する日本の協力だった。

 その冷戦下のアジアで日本は経済の活動だけをおこなった。外国はどこであれ単なる市場だった。資源を調達する市場、そして生産した製品を販売するための市場だ。そのような日本にとって、アジアは長いあいだずっと、相対的に低い位置にとどまった。見下していた、という側面は否定出来ないし、おなじアジア、という根拠のない考えをみずから覆すだけの、アジア体験も持たなかった。

 冷戦は終わり、アジア各国は成長した。だから日本から見ても、アジアにおける国際情勢は、常に大きく変化するようになった。各国との関係のありかたや内容が、絶え間なく変化していく。そのような関係を、どの国とも何重にも作らなくてはいけないのに、その用意が日本にはない。アメリカとの軍事同盟が、各国にとってはそもそも大きな不安定要素であることに加えて、アメリカの意向に沿ったかたちでの軍備拡大を、日本は続ける。

 冷戦の終結が世界にもたらしたもっとも大きな変化は、アメリカの軍事力とはどういう性格のものであるか、その本質が急速に明らかにされていった、という事実だ。アメリカの軍事力とは、アメリカが世界をどのようにとらえているかであり、その世界をアメリカがどうしたいと思っているかである、ということがすでに充分すぎるほどに明らかになった。冷戦中はこれが覆い隠されていた。自由や民主という、世界に共通するはずの普遍的な価値の、西側における守護神としてのアメリカだったが、かならずしもそうではないどころか、そのまったく逆も充分にあり得るということが、いまはすでに世界じゅうに知られている。

 戦後の日本はアジアをさぼり、安保というアメリカとの共同作業も、じつはさぼってきた、と僕は思う。ということは、アメリカとのつきあいかたを知らないままだし、なおかつ、さぼりながらアメリカにすべてをまかせてきたから、アメリカ以外の選択肢も持たないという事態のなかに、いまの日本はいる。二〇〇三年の後半から二〇〇四年の前半にかけて、このことが、主としてイラクへの自衛隊の派遣の問題をめぐって、いきなり、誰の目にもはっきりと見えるほどに、露呈された。戦後の日本はこの期間にこの意味で、確かに転換点を通過した。戦場である他国へ自国の軍隊を派遣するという一点をとらえて、それは戦後日本の転換点だと言われている。憲法第九条を自らの手で破ったのは戦後の転換点だという言いかただが、第九条だけが戦後なのではない。

底本:『影の外に出る──日本、アメリカ、戦後の分岐点』NHKブックス 2004年

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2004年 『影の外に出る──日本、アメリカ、戦後の分岐点』 アメリカ 戦後 日本 日米関係
2016年5月15日 05:30
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