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東京で電車に乗ると、なにが見えますか

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 結婚式場の広告ポスターを、僕は以前から興味を持って観察している。東京だと、結婚式場の広告ポスターは、電車のなかに特に多い。

 文字だけで構成したポスターは皆無だと言っていい。結婚した女性が手に入れるはずとされている幸せについての、およそ愚にもつかないコピーに、絵や写真があしらってある。絵の場合は、花嫁の顔が描いてある場合が圧倒的に多い。写真の場合もそうだ。

 僕がこれまで観察した結果では、若い花嫁をひとりだけ写真に撮ってポスターのメイン・テーマとしたものが、もっとも多い。次に多いのは、花嫁とその同性の友人、あるいは、花嫁の母親とおぼしき女性が、花嫁とふたりで幸せそうにしている写真だ。

 次によく見るのは、西欧白人の男女が、花嫁と花婿に扮した写真だ。花嫁は日本女性、そして花婿は白人男性、という場合も最近ではよくある。もっとも少ないのは、日本人の花嫁と日本人の花婿が、ふたりきちんとそろって、正面をむいている写真だ。皆無と言っていいほどに、これはすくない。結婚式場の広告ポスターに、花嫁は登場しても花婿は登場しない。

 こちらをむいている花嫁に対して、花婿が斜めにむきあい、したがって花婿はこちらに背中をむけている、という場合をごくたまに見かける。花婿の顔は見えない。見えるのは彼の後頭部、首のうしろ、肩、そして背中の上のほうだけだ。

 日本の結婚式場の広告ポスターには、花嫁ひとりだけが登場する場合が圧倒的に多い。同性の友人、あるいは母親とふたりの場合がそれに次ぎ、白人どうし、あるいは花婿が白人の場合が次に来る。

 花嫁の父親が出てくるのがその次であり、そのあとようやく、花婿が登場する。彼が花嫁とともに正面をむいている全身像は、めったに見ることが出来ない。ごくたまに見かけるとするなら、その花婿は式場のフロア係の男性のようだ。

 花嫁と花婿とが、おたがいに相手を見つめあっているところを横からとらえた写真を、おなじくごくたまに見る。なぜ、花嫁と花婿が、ふたりともきちんと、広告写真に登場しないのだろうか。

 こちらに背中をむけている花婿は、会社に就職して営業に配属され、お得意先まわりにかり出された新入社員の初日のようだ。花嫁は、良くも悪くもとにかく花嫁として、すくなくともそのときだけは日常を脱し得ている。しかし花婿は、会社員まる出しのリアルさだ。このリアルさは、夢をだいなしにする。式場の広告ポスターには、だから花婿は出てくることが出来ない。

 ほんのすこしだけ極端に言うなら、ごく普通の若い女性にとって、結婚とは会社員の妻になり、うちのかみさんと化すことでしかない。ただひたすら夢だけを訴えるポスターに、そんな現実はどう考えたって出すわけにはいかないだろう。それに、女性を待ちかまえている会社員の妻という世界に対する、女性たちの拒否の姿勢も、花婿のいない広告ポスターの中に、読み取ることが出来る。

(片岡義男エッセイ・コレクション『「彼女」はグッド・デザイン』太田出版、1996年所収)

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1996年 『アール・グレイから始まる日』 エッセイ・コレクション 広告 東京 片岡義男エッセイ・コレクション『「彼女」はグッド・デザイン』 男女 結婚
2017年4月11日 05:30
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