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片岡義男.com 全著作電子化計画

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評論・エッセイ

主体でも客体でもなく

 鎖国という制度を終わりにして開国したとき、日本は西欧から技術としての科学を受け入れ、科学の精神のほうは受け入れなかった、としばしば説かれる。多くの人たちが、何度も繰り返して説く。そしてまともな反論を、少なくとも僕は見ていない。
 奈良の大仏や明治維新の大砲のように、自分のところで役に立つ科学技術は受け入れて活用するが、精神に関してはまったく別種類の精神ですでに充分に間に合っていたから、科学そのものとしての科学精神は、日本には入ってこなかった。日本が技術としての科学を受け入れ、精神としての科学を受け入れなかったとは、基本…

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