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白い縫いぐるみの兎

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 一九四五年の二月の後半、五歳の子供だった僕は、両親とともに東京駅から汽車に乗り、途中で一度も乗り換えることなく、東海道線そして山陽本線とたどっていき、山口県の岩国に到着した。汽車のなかで一泊し、合計では二日以上かかったと思う。汽車が混んでいた記憶はない。僕たちは座席にすわりとおすことができた。嫌な出来事はいっさいなにもなく、きわめてすんなりと僕たちはその旅を終えた。東京に生まれ育ち、東京の坊やとしてひとまず出来上がっていた五歳の僕にとって、その汽車旅は最初の旅行となった。

 一九四五年の二月の後半と言えば、アメリカの機動部隊が硫黄島への上陸作戦を開始していた頃だ。日本はアメリカそしてその連合国を相手に戦争をしていた。三年前、一九四二年の四月に、B-25という爆撃機が十六機、日本の至近距離まで接近した航空母艦から飛び立ち、東京を爆撃した。アメリカ軍による東京空襲の始まりだ。

 ミッドウェイ、ガダルカナル、アッツ、マリアナ、レイテ、と続いていく戦局は急傾斜で敗色を深めていき、一九四五年三月十日の、三百二十五機ものB-29爆擊機が飛来した、無差別大虐殺の東京大空襲を日本は体験した。もちろん当時の僕はなにも知らなかったけれど、この東京大空襲を幼い僕はすれすれのところでかわしたようだ。岩国には戦前にハワイから帰った祖父が住んでいて、そこは東京にくらべればはるかに安全だろうという素人の勇敢な判断のもとに、僕たちは疎開したわけだ。

 この東京大空襲のあと、沖縄へのアメリカ軍の上陸があり、広島と長崎に原子爆弾が投下され、八月十五日の戦争終結へとつながった。当時の日本社会の事情を体験としてよく知っている人たちがまだ中年にさしかかったばかりの年齢だった頃、そんなときによく東京から岩国までノン・ストップでいけたね、と二十代の僕は何度も言われた。東京から岩国まで、通しで切符を買おうとしても、それがまず無理だったのではなかったか、と彼らは誰もがおなじことを言った。

 生まれて間もない赤子の僕に、僕だけを相手にする専任の乳母がついた。当時としてはごく普通のことで、特別なことでもなんでもない、とずっとあとになって僕は母親から聞かされた。結婚してそれがすぐに破綻し、僕の自宅の近くに兄と住んでいた女性で、当時の日本映画の美人女優のような容貌の、立ち居振る舞いの美しい、きれいな東京言葉を喋る人だった。誰もが婆やと呼んでいたから、僕もなんの疑いもなしに婆やと呼んだが、二十三、四歳だったのではなかったか。

 あの大敗戦の年の日本で、東京から岩国まで、幼子を連れた両親が汽車旅を無事に終えることができたのは、この若い美人の乳母のおかげだったと、ずっとあとになって僕は母親から聞かされた。僕と別れるのが嫌で初めのうちは泣いてばかりいたのだが、婆やはいつもめそめそしてるから嫌いだ、と幼い僕に言われたとたん、僕たち三人の東京から岩国へ向けての疎開をめぐって、獅子奮迅の働きを始めたという。

 たいした量ではないけれど荷物を送ることができたのも、通しで切符が買えたのも、混まない汽車を見つけて三人分の座席を確保できたのも、戦時下の長旅が可能となったのも、すべて婆やの働きだったと、ずっとあとになって僕は母親から聞いた。目に涙をためて、あのこには恩がある、と深い心情を吐露していた。こんなことはけっして言わない母親だっただけに、目に浮かんでいた涙の印象は強く、その涙の遠い向こう側に、若く美しいひとりの女性の、懸命な仕事ぶりを僕は想像することができた。

 妙齢の魅力ある美人が必死の形相で頼み込めば、たとえば当時の国鉄の担当者は、切符はない、荷物は送れない、なにもできない、知らない、と言ってばかりはいられない。よし、なんとかしよう、とその人が思ってくれれば、あの敗戦の年とはいえ、裁量の余地は少しはあったのだ。すべての手筈を完璧に整え、準備万端これも整えきって、出発の日の朝、自宅を両親とともに出ていく僕を、乳母は見送った。

 乳母は泣いていた。そして幼い僕は、白い縫いぐるみの兎の両耳を、小さな手でしっかりと握っていたと、母親が思い出話として二十年ほどあとに語った。汽車の座席にすわっていたあいだずっと、その縫いぐるみを僕は手に持ったまま離さなかった、という記憶がかすかにある。自宅から僕が自分の手で持って出たのは、その兎の縫いぐるみだけだった。兎の縫いぐるみを手から離さないことによって、幼子は幼いなりに、心の平静を維持しようとしていたに違いない。緊急避難としての引っ越しに向けて、乳母や両親たちが忙しく動きまわるただならぬ様子を受けとめた結果として、汽車旅の二日間の僕は、僕なりに、緊張の極みにあった、といまの僕は書く。あのとき一度だけの、あのような旅だった。

初出:雑誌『AZUR』東京ニュース通信社 2008年11月
底本:『ピーナツ・バターで始める朝』東京書籍 2009年

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2017年3月10日 05:30
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