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英語で読むとよくわかる日本

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 日本に関する多くのことについて、僕は英語をとおして学んだ。英語をとおしてとは、抽象化して、と言いかえてもいい。そしてさらに、抽象化してとは、余計な邪魔ものなしに、と言いかえることが出来る。

 たとえば『源氏物語』に関して、邪魔になるものと言えば、「紫式部」「日本そして世界初の長編小説」「光源氏」「平安時代」「宮廷生活」といった日本語だ。このような単語は、すべて、大学入学試験につながった高等学校の国語の授業を僕に連想させ、『源氏物語』とのあいだに距離を作ってしまう。と同時に、いま列挙したような言葉をつないでいくと、『源氏物語』に関しての、きわめて皮相的で陳腐な理解が頭のなかに出来てしまい、それもまた真の『源氏物語』から僕を遠ざける。

 すべてが英語になってしまうと、以上のようなかたちでの邪魔をされることなしに、『源氏物語』というものの理解の深みへ、僕は到達することが出来る。そのあとで原文を見ると、本質の理解の上に原文の情緒や感触が、ほどよく重なっていく。

 末松謙澄という人が短縮版として英語に翻訳した『源氏物語』を、僕は何年も前に、アメリカのジャーナリストの友人からもらった。『源氏物語』を絶賛した彼は、「まだ読んでいないのならぜひとも読みたまえ」と言って、その英語訳を僕にくれた。僕はそれを読んだ。読んだのはたいへんな正解だった。小説を書いて日々を過ごしている僕にとって、日本語による小説のいまも生きている原点は『源氏物語』だという認識を、英語の『源氏物語』はあたえてくれた。原文にも接してみた。僕は充分にそれを楽しむことが出来た。こんどはアーサー・ウエイリーによる英語訳を手に入れて、読んでみようと思っている。

 歌舞伎、俳句、盆栽、合気道、近代史、現代史、囲碁、将棋などについて、僕は英語で学んだ。『方丈記』も井原西鶴も、英語で読んだ。いまの日本のさまざまな領域や問題について、英語で書かれた数多くの本が出版されている。それらを好んで読む趣味が、僕にはある。英語をとおして知る日本でもっともいいのは、なんと言ってもラフカディオ・ハーンだ。

 日本についてなにごともいちばん良く知っているのは日本人である我々だ、という凡庸な確信のなかに、圧倒的多数の日本人たちは生きている。その日本人が日本語で読めば、なにについてであれ、たちどころに真の正しい理解を手に入れるはずだという単なる思いこみのなかで、じつはおそろしく皮相的で悲劇的なまでに陳腐な理解というものの表面を、ただ撫でているだけにしか過ぎないことに、その圧倒的に多くの人たちはいつまでも気づかない。

 日本のあらゆることがらに関して、きわめて正しくてしかも深い理解を、英語だけをとおして手に入れることは完璧に可能だ。日本に関して、日本語を経由せずに到達する理解の深度というものが、日本語の外の世界に確実に存在している。日本および日本文化はたいへんにユニークであり、外国人がそれを理解することはとうてい不可能であるとする、日本ユニーク論を日本の人たちはこれまで信じて来た。そして、自分が信じていることはそのまま現実だと、思いこんで来た。日本はユニークであるということは、日本は日本人のみにとっての聖域であるということだ。聖域は、しかし、たとえば英語という外国語によって、とっくに開放されている。

底本:片岡義男エッセイ・コレクション『本を読む人』太田出版 1995年

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1995年 『源氏物語』 日本語 片岡義男エッセイ・コレクション『本を読む人』 英語 言葉 読む
2017年1月30日 05:30
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