アイキャッチ画像

林檎の樹の下で

LinkedIn にシェア
LINEで送る
Pocket

 空から雪が降る。その雪が山につもる。春になって、雪どけがはじまる。雪どけの水は山から谷をくだり、平野の河を流れる。その河の水が農産物を育てる。人間が、その農産物を管理する。

 自然と人間の共存、あるいは、自然の片隅を利用して人間が生きていくことに関して、大昔から有効であった図式が、大小の差はあれ、これだ。

 ワシントン州のヤキマ・ヴァレーも、この図式にあてはまる。コロンビア河の支流のひとつであるヤキマ河によってつながれているふたつの盆地であるヤキマ・ヴァレーは、七十種をこえる農産物の産地だ。アメリカ国内では、リンゴ、ミント、そしてホップの中心的な産地として知られている。

 ヴァレーの西側を、カスケード山脈が南北に走っている。太平洋からの湿った空気を、この山脈がさえぎる。山には冬のあいだ雪が降るが、ヴァレーそのものは天然の温室のようであり、年間降雨量の平均は八インチ。一年三百六十五日のうち、三百日は陽が照っている。

 ヴァレーの土質は、肥沃な火山灰だ。カスケード山脈の雪どけの水を灌漑して、たとえばリンゴ園が、生きている。

 ゴールデン・デリシャス。レッド・デリシャス。ワインサップ。ローマ・ビューティ。ジョナサン。グラニー・スミス。いろんな品種のリンゴができるが、色はまっ赤で、すこしたて長になったシルエットを持ち、人々がリンゴに対して抱くイメージに、もっともぴったりとあてはまる。日本でもリンゴのイメージは赤だが、シルエットには一定の伝統はないようだ。アメリカでは、リンゴのシルエットは、たてに長い。

 ヴァレーの気温は、一日のなかで大きく変化する。リンゴがたて長のシルエットを持って成長することに、一日のなかでの気温差の大きさが、深く関係している。だが、いまでは、いかにもリンゴらしいたて長のシルエットを人工的につくりだす方法が開発されている。

 赤く熟したリンゴを手にとり、じっとながめていると、不思議な気持ちになる。これが一本の樹に実ったのかと思うと、これこそまさしく自然の妙技だと感じると同時に、その自然の妙技には、どことなく魔法的なものを感じてしまう。空から雪が降り、その雪が河の水となって平野を流れるという自然の営為そのものに、魔法じみたところがあるのにちがいない。

 赤いリンゴの収穫を人間の営為としてかなり大きなスケールで意図的にやるとなると、たいへんな労働となる。花が咲くころに霜が降りたりすると、数十万ドルという単位で、リンゴ園は大損害をこうむる。したがって、リンゴ園の母屋や納屋には、気温が一定の限度をこえてさらに下降すると警報の鳴りひびく警報器がしかけてある。

 この警報器が鳴ると、リンゴ園に配置してあるディーゼル・オイルのストーヴに、いっせいに火がつけられる。ストーヴの火は、まわりの空気をあたためる。空にむかって上昇していくあたたかい空気を、風車が地上に追いかえす。

 ディーゼル・ストーヴの数は、たとえば百六十エーカーの広さのリンゴ園だと、三千個にも達するという。

 冷たい空気でリンゴの花がやられるのを、こうしてふせぐ。これよりもうすこし不安定な方法として、気温がさがってきたら花に水をかける方法もある。花を水でおおい、その水をこおらせる。貴重な花を、一時的に氷づけにするのだ。氷がとければ、花は無事だ。

 リンゴがめでたく実ったなら、これを収穫しなくてはいけない。リンゴ園の、一本一本の樹に人間がとりついておこなう手仕事だ。

 この手仕事を、季節労働者たちがおこなう。収穫期の農場をピックアップ・トラックで転々として生活する、移動労働者たちだ。

 アメリカ国内の移動労働者に加えて、メキシコから不法入国者してきた労働者たちがリンゴを収穫する。ワシントン州のヤキマ・ヴァレーにかぎって言えば、メキシコからの不法入国者たちの労働力なしでは、リンゴはまったく収穫できない。

 労働者たちの報酬は一時間の最低保証額が三ドルに満たないが、リンゴの収穫期には、二十五ブッシェル入りの木箱ひとつをリンゴでいっぱいにして七ドルになる。夫婦で働き、さらに手伝ってくれる子供がふたりいたとすると、一日に二十五箱はこなせる。テキサスやアーカンソー、カリフォルニアなどから、収穫期になると移動労働者たちが集まってくる。

 メキシコからの不法入国者たちにとっては、収穫期のリンゴ園でひと月も働けば、年間の総収入を軽くこえる額の現金が、稼げてしまう。

 一九七七年の数字だが、ヤキマ・ヴァレーにある四万二千エーカーのリンゴ園から、一万五千名のアップル・ピッカーが、二千五百万ブッシェルのリンゴを収穫したという。ヤキマ・ヴァレーぜんたいのリンゴ収穫量のこれは半分にあたり、アメリカ全体に対するリンゴ供給量の六分の一をまかなったという。

 自分の父も、自分とおなじく農場から農場へと渡り歩く移動労働者であったという、アーカンソー出身のミグラント・ワーカーは、カリフォルニアの玉ネギ畑のなかで死んだ自分の父を思い出しつつ、自分のことを語る。

 「リオ・グランデ・ヴァレーで綿花、野菜、柑橘類を収穫して、インピーリアル・ヴァレーで野菜、そしてサン・オーキン・ヴァレーではアプリコットとピーチ。それからオレゴン州とワシントン州でチェリー。そのあと、このヤキマ・ヴァレーのリンゴを収穫する。秋になって学校がはじまると、夏のあいだずっといっしょだった二人の子供たちを、グレイハウンドの長距離バスに乗せ、アーカンソーのおばあさんの家へ帰す。感謝祭には夫婦でアーカンソーに帰り、そのあとふた月、フロリダに移動して柑橘類の収穫をおこなう。クリスマスのホリデーには再びアーカンソーに帰り、それからまた六か月、移動労働の旅に出る」

 彼の子供たちもまた、彼とおなじく移動労働者になるかもしれない。移動労働者になる運命から脱出するためのまず最初のステップは、学校教育だ。

 だが、たとえばあてにしていたフロリダの柑橘類が不作でそこでの労働がふいになると、年収の三分の一がなくなってしまう。こうなると子供も労働を手伝わなくてはならず、子供たちは事実上は文盲にちかいまま成長し、やがて彼らも移動労働者となる。

(『コーヒーもう一杯』1980年所収、日付画像©佐藤秀明作品より)

関連エッセイ

1月18日 |ダブル・バーガー


3月15日 |カウボーイ・ブーツ


4月19日 |アイダホ州のジャガイモ


8月26日 |ラスト・アメリカン・カウボーイ


9月27日 |ハイウェイのある風景に挽歌がスニーク・イン


10月30日 |アップル・サイダーと彼女


1980年 『コーヒーもう一杯』 アメリカ メキシコ ヤキマ・ヴァレー リンゴ ワシントン州
2017年1月19日 05:30
サポータ募集中