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「蛇の目でお迎え」はどうつくられたか[1]

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小説はいかにして生まれるのか──。2017年1月13日、小説「蛇の目でお迎え」の舞台となった東京都世田谷区の喫茶店POEMで、取材は行われました。「片岡義男 全著作電子化計画」の萩野正昭が、作家・片岡義男の着想と創作の真髄を探ります。[全2回・連日掲載]

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全2回| 1 |

メイキングのはじまり

喫茶店の椅子に腰掛けてしばらく待っていると、階段を上がったガラスのドアの向こう側に作家・片岡義男は現れた。年が明けて初めての出会いだったので、おめでとうございますと軽く挨拶のつもりでついこんな言葉が出た。
なにがおめでたいかはまるで空疎なはじまりの会話。いやぁ、予想したとおりちょっと緊張してしまう幕開けだった。

本日のコーヒー“ブラジルフレンチ”を注文した。この店はブラジル豆のコーヒーにはかなり力がこもっているようで、他にもブラジルサウダージなんていうものもあったけれど、片岡義男は見向きもしなかった。フレンチとサウダージにどんな違いがあるのか、それは時間が許せば聞いてみよう。

「あそこに北荻夏彦は座っていたんだよ。そう、あのカウンターにね。奥には編集者の坂本が座っていた。二人並びあって。」

「荒地三枝子はここのすぐ裏に二人向かい合うかたちでいたんだ。だからちょっと見えない。」

すぐ裏とは、私たちが座った席の端に磨りガラスでできた大きな板が二枚、多少の間隔をあけて作りつけられたその向こう側という意味だ。一段下がったフロアであり、向かい合う席がいくつか設けられている。ガラスの隙間からカウンター方向を見て見えないこともないが、あえて隙間をかいくぐることでもしない限り、まあ見えないということだ。
北荻夏彦と荒地三枝子は、私たちが今いるこの喫茶店のカウンターとガラス越しの向こうという離れた位置に居合わせた。お互いが見えたことにはなっていないが、もしかして見えていたかもしれない。もし、荒地三枝子には見えたとしたら、話はさらに深くならざるをえなかっただろう。

一編の小説がどのように書かれていったのかを作家自身が語ろうじゃないかということで関係者の集まりは、このように進んでいった。

HaginoMaking_konofuyu講談社から出された『この冬の私はあの蜜柑だ』(2015年11月)の中には九つの作品が収められている。私たちが取り上げようとした『蛇の目でお迎え』はその中の一編だ。本が出されるにあわせて書き下ろされた二作品のうちの一作だという。もう一作の書き下ろしは本のタイトルとなった『この冬の私はあの蜜柑だ』である。

種明かしをしてみないか。それが今回ここで出会うことのきっかけだった。「種明かし」というか「メイキング」と言ったかもしれない。どうやって作品は書かれていくのだろうか。ごく当たり前な問いでありながら、あまり深くは追求していないというのが普通だ。それぞれに感じる何かであればいいとも言えるし、そんなこと考えても叶うわけもない、作家がじかに説明してくれることなんてない、諦めとはいわないまでも読者としては静かに自問しているぐらい、あとがきなどで多少類推できることもあるという程度だろう。
「メイキング」という言葉は映画にはよく通用しているけれど小説には似合うとはおもえない。こわい監督が怒鳴り散らすというものじゃないだろうから。どうやって書かれたのかは、手品の「種明かし」でもない。小説の舞台となった場所に立つなり座るなりして、作家が背景を語るお話にじっくりと耳を傾けるなんて最良のチャンスだと言えないだろうか。飛びつく気持ちだった。

手渡された数枚のメモ

「これから書こうとしているひとつの小説のために、その始めから終わりまでに関して、下書きとまではとうてい言えないにしても、少なくともぜんたいを見通すことの出来るメモを書きたいと僕が思うのは、物事には順番がある、という単純な原理にすべてを負っているからだ。物事の順番を無視するわけにはいかない。」

「小説が始まったとき、すでにその物語は始まっている。始まっている物語を、どこから書き始めるのかという最初の順番をきめなくてはいけない。」

そうか、単純な原理である順番を見据えたうえで全体をつかみ、静かに滑りゆく流れを生み出すことに注力するのか。

「人物たちは行動する。それにも順番がある。行動には思考がともなう。ここにも順番がある。正しい順番で重ねられていくことによって、人物たちの思考は物語の展開を作り出し、そこに彼らのアクションのすべてが付随する。心の動きもアクションも、実は物事の順番という原理にしたがっている。」

そういって、見覚えあるオレンジ色の小さなメモ帳がとりだされた。黒い万年筆のキャップがまわされた。まだ使い下ろしたばかりにも見えるペン先が輝きながら出現した。

HaginoMaking_pen_600_800

スラスラとメモはそこに書き記された。こちらからはなにを書いているのかペン先の動きはみえなかった。しばらく、ピリッと一枚を破って渡してくれた時、全てがわかってきた。

荒地さん
階段の下で待っている
傘に入れてくれ、と
コロッケを買いに行くという
彼女だけが買う

気ままな性格
気ままさのなかに
芯がある

方眼の紙、インクの黒、筆跡、字の大きさ……そうしたもろもろを含みながら書かれたメモがこれだった。

『蛇の目でお迎え』、その始まりが今まさに座っているここ下高井戸、喫茶店、POEM。あっちの椅子とこっちの椅子に腰掛けた男と女が初めて出遇う“物事の順番”の最初のページだ。お互いが座って離れた位置関係から、いっきょに動きが加わり物語は滑りだす。立ち上がり、わずかな時間差をおき階段を降りた二人を待っていた雨、傘、そしてコロッケへと視点が移っていく。引き続き、メモがもう一枚。

コロッケという食べ物
変である
日常的なのか?
そうではない
作りかたは、めんどうだ
油であげる
専門家に任せる

「コロッケが重要です。珍しいものでも高価なものでもない。常にあるようでいて自分でつくるものでもない……コロッケの存在が役割として意味を持つ。モノとの関係は私たちにとっては不可避なことであり、だからこそモノを言う。とくに小説では……」

一体どんなメモだったのか? 実物を見ていない方にそれを提示して差し上げたかったけれど、了解が得られなかった。ここでは想像していただくほかはない。アンダーラインが引かれていたり、もちろん文字は大きく書かれたり小さく書かれたりしていた。

「蛇の目でお迎え」のあらまし

作家を囲み集まった関係者は、講談社の須田美音、光文社の篠原恒木、それに『片岡義男 全著作電子化計画』から八巻美恵と私だった。関係者の詳細は後ほど順々にということにして、小説の概要、順序にふれていこう。

北荻夏彦という小説家。43歳。POEMという下高井戸の喫茶店で編集者坂本秀行(シューコー)と打ち合わせ。業界で有名な編集者。帰りがけ、雨が降っている。彼の蝙蝠傘に入れてくれと同じ喫茶店の階段から降りて来た女性と知り合うところから物語は始まる。

荒地三枝子、本名は高梨三枝子。53歳。30歳直前にコミックス作家としてデビューする。すでに30冊以上のコミックスを出している。POEMの階段下で、あいにくの雨、傘に入れてもらおうと北荻と言葉を交わす。その延長でシューコーがいることを北荻に知らされる。

二人は一つの蝙蝠傘に入り、駅へ向かうと思いきや、コロッケのお惣菜屋へ行くと荒地三枝子は言う。彼女の寄り道にお付き合いすることになって話が傘のことになり、荒地がもっている番傘に及んだ。そして、その番傘を買い取ろうとまでに至る。

荒地三枝子は松陰神社に住んでいる。人形町で祖父の代から商売をしている父が20年前に買った家に一人で住む。二人は世田谷線に乗る。北荻は下高井戸から二つ目の駅、山下で降りるはずであったが、番傘の買取話から荒地の下車駅松陰神社前まで行くことになった。

駅近くの喫茶店へ入り、北荻を残して荒地は番傘をとってくると言ってその場を去る。彼女がいない間、北荻は自宅にある京都で買った蛇の目傘のことを思い出す。ある短編小説集の表紙に蛇の目傘の写真を使ったのだ。この近所に古本屋がある。そこにその本があるかもしれない。

しばらくしてシャツを着替えて荒地は戻って来た。番傘を持っている。北荻は番傘と蛇の目傘の交換を思いついたいきさつをはなし、古本屋へ行こうと誘う。

古本屋で短編集はみつかった。これが蛇の目かと荒地は表紙の蛇の目に食い入る。交換話は成立する。

北荻夏彦は世田谷線の山下から小田急で一つ先の駅に住んでいる。商事会社に勤めた父が銀行に転職し別宅として建てた平屋建てだ。自分ひとりを住人に想定した家だ。どことなく荒地三枝子の事情と似ている。二人は古本屋で買った本を持って世田谷線を再び山下へ向けて戻って行く。

北荻夏彦の家にまできた荒地三枝子は、父親から譲られたという北荻の独り住まいの家を見る。しばし中に入った北荻が持ってきた一本の蛇の目を見て、荒地は一目で気に入った。

荒地は踏み石を門扉へ歩いて去って行く。北荻は三枝子を見送った。

また会えますよね
もちろんよ

三枝子が去ってしばらく、平凡に満ち足りていた自分に何かが足りないことを意識する。それが何かを必死に探す。コロッケがないとおもう。彼女が買ったコロッケが自分にはないことをあてつけにする。コロッケを買いに北荻は外へ出る。

盛られたコロッケが今はそこにある……口に運んでみても、足りないものを何一つ補うことはできない。テーブルの向こう側に荒地三枝子がいない事実はなんら変えることができない。

コロッケが重要です

「人物たちは行動する。それにも順番がある——」

人物たちの行動を知るために、光文社の篠原恒木さんが小説の舞台となる図を描いてくれた。これを頼りに小説の背景の地理的な鳥瞰が容易に把握できる。
篠原さんは『コーヒーにドーナツ盤、黒いニットのタイ。』(2016年2月刊)の担当編集者だった。
片岡義男いわく——きわめて優秀なロード・マネージャーとしての才能のほかに、わずかな手がかりを頼りに、広範囲におよぶ知識をPCの駆使能力と結びつけて追い詰め、手繰り寄せ、突き止め、それがなにであれ、ついには手に入れる、という探偵としての才能をも、必要とあらばただちに発揮する——人である。

“蛇の目でお迎え路線MAP”なる鳥瞰図を見てみよう。

HaginoMaking_map_line

「ストーリーが展開していく順番には、登場する人物たちの思考の順番が深く関係している。なにをどの視点からどのように考え、どこをどう経由してどこへ至ったか、というような展開を生み出すのは、すべて人物たちの思考だ。そしてここにも順番がある。ストーリーのぜんたいをつらぬく道筋という論理の順番だ。」

これに即して、登場する人物が発したキーワード、登場する人物の移動をみていこう。そこには蝙蝠傘から飛躍して番傘という言葉が生まれ、番傘はやがて蛇の目傘につながる道筋がつらなっている。そしてその道筋をボルトとナットで絞めるようにコロッケという存在がある。

「コロッケが重要です——」

おもいだしてほしいこの言葉。メモに書かれたコロッケにはアンダーラインが引かれていたことも。店を出た二人は、蝙蝠傘の中で言葉を交わす。歩いてわずかの場所に電車の駅はあるのだが、コロッケを買うとなれば駅を通過していくことになる。ただ静かに通り過ぎるようなことはさせていない。遮断機は降りる。踏切への上り勾配。警報ランプは鳴る。単調なリズム。すべてが二人を円滑に前へ進めようとはしていない。順番とか順序とかはありながら、前へとんとんコロッケの店へ導いているわけではないことを察知してほしい。

「踏切っていうのはただ遮るっていうだけじゃないんです。ほら、必ずこうせり上がっている。わずかでも登るわけです、せき止められるわけです」

コロッケがどこにでもあり、いつでも簡単に入る手頃な惣菜であることはわかっても、あまりの日常性にとりこまれて特別な意識からは遠のいている。北荻はある種の当惑を覚えたことだろう。荒地三枝子はこのフェイントをかけてくる。蝙蝠傘を支えながら北荻はただそれに従うほかはない。けれど遮断機はその道を行くふたりをしばし足踏みさせているのだ。

「荒地さん……気ままな性格、気ままさのなかに 芯がある」

荒地の命名について、ある種の満足があったことがうかがえる。作品を書き始める前にテーマを求めたことがあとがきに書かれている。『蛇の目でお迎え』のテーマはなんだろうか? 手つかずの自然という意味でのウィルダネスだ。そう言われたと片岡義男は書いている。

「これにはやや困ったが、主人公の女性は漫画家であり、そのペン・ネームが荒地三枝子であり、荒地こそウィルダネスではないか、という洒落になっている。」

作家・片岡義男はこの名前にいたくご執心だ。証拠もある。後ほど種明かしということで。

(→[2]に続く

「片岡義男 全著作電子化計画」プロデューサー・萩野正昭

注:本文中で引用されている文章は、次の作品からのものです。
『万年筆インク紙』晶文社刊
『ジャックはここで飲んでいる』文藝春秋刊
『片岡義男〔本読み〕術・私生活の充実』晶文社刊
『この冬の私はあの蜜柑だ』

HaginoMaking_konofuyu

「蛇の目でお迎え」を含む魅惑の9編。講談社より発売中
講談社|ISBN:978-4062197649 C0093|定価:本体1700円+税|四六判|266頁

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2017年4月14日 00:00