VOYAGER

片岡義男.com 全著作電子化計画

MENU

お知らせ

ラハイナを想う——片岡義男が書いたラハイナ

 ハワイのマウイ島で大規模な山火事が発生し、8月13日までに100人近い方が亡くなり、1300人が行方不明とのことです。亡くなられた方々に対し、深く哀悼の意を表するとともに、被災された皆さんに心からお見舞いを申し上げます。

※マウイ島復旧へのご支援については、ハワイ・コミュニティ・ファウンデーションの「マウイストロング基金」のページをご覧ください(日本語あり)。

 今回の火災で最大の被害を出した、マウイ島西部にある街・ラハイナは19世紀初頭にハワイ王国の首都が置かれた場所で、米国の歴史的保護区にも指定されている観光地のひとつです。
またラハイナには、明治時代に「官約移民」として多くの日本人が渡り、サトウキビ畑などでの労働に従事しました。そのうちの一人が、作家・片岡義男の祖父、片岡仁吉です。仁吉はその後日本に戻り山口県岩国市に居を構えます。そして太平洋戦争中、まだ幼かった片岡義男はその祖父の家に疎開をしていました。

 片岡義男は作家としての活動初期にハワイを舞台とした作品を多く発表しています。その理由について、「子供の頃から深く巻き込まれてきたハワイへの思いをなんとかしたい、という衝動に突き動かされて、次々に小説を書いた。(中略)僕が子供の頃から巻き込まれたハワイは、祖父と父親とを介して知らされた日系社会のハワイだった」とあるエッセイに書いています。また、『僕が書いたあの島』(1995)の「あとがき」では、ハワイとは「居心地の良い場所」であり、自身が小説家としての道を模索する中で「日常の言葉をいったん置いて、そこからさらにその先へと模索の道をのばしていくための、途中のキャンプのような時空間だった」とも書いています。ハワイ、そしてラハイナは片岡義男にとって「もうひとつの故郷」なのです。

 ラハイナとそこに住む人々に心を寄せつつ、片岡義男が書いたラハイナやマウイ島が登場する小説やエッセイのいくつかをご紹介いたします。そして、現地の皆さんの生活が1日も早く取り戻せるよう祈念いたします。

《マウイ島やラハイナが登場する片岡義男作品》
[小説]

『ラハイナまで来た理由』
 片岡義男の祖父と父が住んだハワイについて書いた渾身の長編です。優れた農業技術者だった祖父、その息子である「僕」の父は、アメリカ軍の軍人でした。そして姉が異母姉であることが姉弟関係に微妙な影を落とします。

『ラハイナの赤い薔薇』
 朝食とは極めて個人的なもの。もし一緒に住んでいる人がいるなら、その人のために、ロケラニ・ア・ラ・ラハイナを忘れてはいけません。ロケラニとは、小さな赤い薔薇の花のこと。朝の食卓には必需品なのです。

『とても暑い、ある日』
 主人公の沖島は日系三世で、ホノルルの探偵社に勤める調査員。ラハイナに住む日系の老人から、日本留学中に事故で亡くなった愛娘の当時の生活についての調査を依頼されます。調査を進めるうちに、見えてきたある真実とは……。

『ベイル・アウト』
 海に魅せられる人たちを大きく2つに分類するならば、サーフボードで実際に海に出ていく者と、そうしたサーファーや海をフィルムに収める者に分けられます。フィルムを撮る者はサーファーに魅せられ、サーファーはフィルムに映った海に魅せられ、新たな挑戦に出るのです。

『時差のないふたつの島』
 片岡義作品には「主人公が物語を書き始めるまでのストーリー」が多くあります。この作品もその1つですが、重要なのはその中に島の歴史=人々の時間がそこに描かれているという点です。佐藤秀明さんの写真とともにお楽しみください。

[エッセイ]
『僕がもっとも好いている海岸』
「マウイ島のぜんたいを上空から見ると、人の胸像を横から見たような形をしている。その顎の下あたりにあるマアラエアから30号線を西にむけて自動車で走るのが、僕は子供の頃からたいへんに好きだった。ほかの場所もいいのだが、マウイの西側を海沿いに西へ、というコースは特にお気にいりだ。ラハイナからさらに西へ、胸像の頭のてっぺんに至るまでのルートは最高だ」

『オカズヤのオイナリサン』
「稲荷ずしは子供の頃からよく知っている。好きな食べ物のひとつだ。(中略)しかし、子供の頃からずっと、出来不出来はあるにしても、稲荷ずしはどれもみな稲荷ずしでしかない、と僕は思っていたようだ。そして一九六八年のマウイ島ラハイナで、僕はこの考えを決定的にあらためることとなった」

『五つの夏の物語』
「常夏の場所では、時間が夏のまま止まったような錯覚のなかで、毎日をやり過ごすことが可能だ。どの日も昨日のリプレーのような、おなじ日の繰り返しのなかに身を置いている錯覚を特に強く感じるのは、ハワイでも地元の人に言わせると暑い場所、たとえばラハイナだ。ラハイナにいると僕の時間は止まる」

『父親に間違えられた僕』
「ラハイナ・ショッピング・センターの奥のほうに、いまはもうないかと思うが、かつては小さな食堂があった。(中略)気温のたいそう高い、よく晴れた日の午後、僕はそこで遅い昼食をひとりで食べた。日常はおなじことの繰り返しをその基本とするなら、そのことの具現のような食事だった」

『謎の午後を歩く』
「ラハイナに戦前から住んでいる日系の人で、いま八十代なかばで記憶の確かな人なら、ラハイナ・パンプのカタオカさんという人を、かすかにせよ記憶しているはずだ。パンプとはポンプのことだ。ラハイナから山裾に向かい、その裾を少し上がったあたりに、ラハイナ・パンプがある。砂糖きび畑が大量に必要とする水を、畑ぜんたいに巧みに作った水路へ、一定の間隔を置いて一定の量で、流さなくてはいけない。そのためのポンプを中心とした水量管理の仕事を祖父は続けた」

『移民の子の旅』(全12話)
古い文献も参照しつつ、日本からの最初のハワイ移民の始まりから明治政府による公式の「官約移民」に至るまでの道のりと、ハワイ王国の歴史を織り交ぜながら書かれた長編エッセイです。

2023年8月15日 15:30 | 片岡ニュース

このエントリーをはてなブックマークに追加