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エッセイ『なぜ写真集が好きか──片岡義男エッセイ・コレクション』より8作品を公開

エッセイ『なぜ写真集が好きか──片岡義男エッセイ・コレクション』(太田出版/1995年)より8作品を本日公開いたしました。「参考リンク」から、それぞれのエッセイで取り上げている写真家のホームページなどへ移動できます。

マンハッタンを歩きまわるという体験のなかで、視覚による体験は、相当に大きな一部分を占めるはずだ。そのときの視覚体験をカラー写真でモンタージュすると、非常にうまくいった場合、ロバート・ウオーカー(1945 -)の『ニューヨーク・インサイド・アウト』のようになる。くっきりとした明るい陽ざしと、その陽ざしのなかにあるさまざまな強い色は、確かにこのモンタージュの重要なひとつの要素だ。このように、強い色がひとつの重要な要素となっているモンタージュを、この本の序文を書いているウィリアム・バロウズは、カラー・ウォークと呼んでいる。88点の写真を見ていくと、まさにカラー・ウォークだ。
参考リンク:Robert Walker『NEW YORK INSIDE OUT』

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ルー・スタウメン(1917 - 1991)の写真集『タイムズ・スクエア』には、1940年から1942年ごろにかけての写真と、1980年から1982年くらいまでの写真が、本のなかでほぼ並行するかたちで収録してある。映画作家としてアカデミー賞を二度受賞したスタウメン自身は、このような構成の写真集を、ペーパー・ムーヴィーと呼んでいる。写真は常にタイム・マシーンであり、すでに経過してしまった40年という時間をフィルターのようにして観るペーパー・ムーヴィーだ。パラレルになっている時間のうち、こちら側の時間、つまり現代よりもやはりむこう側にある過去のほうが、眺めていて面白い。
参考リンク:Lou Stoumen『Times Square 45 Years of Photography』

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ぼくはかねてより絵葉書というものに興味を持っている。なぜ絵葉書がぼくにとって面白いのか。それは現実に存在する場所、例えば観光名所のようなところを絵葉書的にあけっぴろげにリアルに写真に撮って一枚の絵葉書にこしらえあげるという行為は、その場所が持っているイメージを強力に蒸留して一滴のエッセンスにしてしまうような行為に例えることができるからだ。そんなわけで、絵葉書というものについて勉強を続けている。その重要な一部分として、ジョン・ベーダー(1938 - )の『ギャス、フード、アンド・ロッジング』(『ガソリンを入れて、食って、寝て』とでも訳せばいいだろうか)というタイトルの本を読んだ。ものすごく面白い本だったので、その理由についてすこし書いてみよう。
参考リンク:John Baeder インスタグラム

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写真家のスティーヴン・ショア(1947 - )は、ものすごく普通で平凡な場所を、アンコモン・プレイセズ(ちょっと普通ではない場所の数々)と呼んだ。アメリカ中を旅してみつけたそんな場所を8×10のカメラでカラー写真に撮り、その中から49点を選んで1冊の写真集にし、タイトルを『アンコモン・プレイセズ』と名づけた。これらのカラー作品はどれもみな、主として真正面から、あるいはごく普通に斜めから淡々と撮っている。しかし、撮り方の普通さの中には知的で繊細な集中力がいつもきっちりと充満している。それが陳腐きわまりないアメリカの風景の断片を、知覚の覚醒および深化といったような世界へと、鑑賞者をつれていってくれる。
参考リンク:Stephen Shore ホームページ

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ジョエル・マイエロヴィッツ(1938 - )は、写真集『ワイルド・フラワーズ』の巻末に、写真を撮るためにストリート・シーンを見るときの自分について、「町へ出ていってどこに立ちどまっても、もし私が注意深く見るならば、目の前にあるカオスないしはヴォイド(なにもない虚ろな空間)から、興味を持ちうる何ごとかを、必ず見つけることができる」と書いている。そして写真集に収録されている写真はそのどれもが、注意力のすべてを注ぎ込んで切り取られたものであり、崇高さといってよい雰囲気を永遠に持つことになった。
参考リンク:Joel Meyerowitz ホームページ

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1960年以後のアメリカの写真にもっとも大きな影響をあたえたのは、ロバート・フランク(1924 - 2019)の『アメリカ人たち』だったという。しかし刊行当時は圧倒的多数の人たちに、アメリカをグロテスクにねじ曲げ、醜悪な形で提示したと激しく非難された。いつでもどこでも誰の目にも見えていながら気がつかれなかった日常的なアメリカらしさをというものを醜悪な形で提示した、というのが理由だ。しかしこの写真により、世の中の大きな事件や出来事をほんとうに写真に撮るのは不可能なのだということがわかってしまい、それ以後のアメリカの写真は、いろんな意味でプライヴェートに、パーソナルになっていった。
参考リンク:MIRRORS AND WINDOWS(ニューヨーク現代美術博物館)

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写真家のチョーンシー・ヘア(1934 - 2019)の『インテリア・アメリカ』という写真集は、アメリカの家の内部を住人の許可を得て撮ったものだ。じっくりと見ていった結果として、ぼくの気持ちの内部に残ったものは、かなり強い疎外感のようなものだ。アメリアをその広い底で支える、ごく普通の人々が住む家をチョーンシーが撮影しプリントすると、そこに現れるのは日常性にぴったりとはりついて存在している、閉所恐怖症を触発してきそうなほどに怖い、閉ざされ断絶された世界だ。これは彼自身が生きてきた人生も大きく影響しているようだ。
参考リンク:CHAUNCEY HARE RESOURCES

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アメリカのビルボードは、どこで眺めても実に面白い。まずあの巨大さがいいし、風景のなかに突然、強引に割りこむように存在しているところも現代的に不気味で面白い。そして、どのビルボードも実に端的で明快で、直接に感覚へ訴えてくる。ロサンゼルスの一角で見たマクドナルドのビルボードは、広告を超えて非常に説得力のあるモダン・アートそのものだった。ロバート・ランドー(1953 - )とサリー・ヘンダスンの共著による『ビルボード・アート』はそんなビルボード・アートの写真を集め、時代の動きと重ね合わせて解説した本だ。
参考リンク:Robert Landau ホームページ

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2022年9月13日 00:00 | 電子化計画

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