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エッセイ『僕が書いたあの島──片岡義男エッセイ・コレクション』より8作品を公開

エッセイ『僕が書いたあの島──片岡義男エッセイ・コレクション』(太田出版1995年)より8作品を本日公開いたしました。

アメリカ北西部、オレゴン州ポートランドからコロンビア川沿いに90kmほど東へ行くと、同州最高峰のフード山北麓にフード・リヴァー(フッド・リバー)という町があり、いつも強い風が吹いている。一時は不況の中にあったこの小さな町にある日、ウインド・サーファーがやって来て、あまりの条件の良さに住みついてしまった。それから1年の間に、この町はアメリカ中のウインド・サーファーたちの聖地となり、投資家が乗り込み、新しい企業が生まれるなど活気づいた町となった。今後の行方が興味深い。

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ハワイの田舎町。夕暮れ時、マーシャルの自宅の庭では、幼馴染たちが集まるバーベキューの準備がすすめられていた。「盛大に音楽をやるからな。お前らみんな、ギターを持って来い」と息子たちに言う。合奏がスタートした頃、西海岸に住むハロルドがやってくる。旧友たちとのあたたかい再会、昔話に花が咲き、下ネタも飛び出す。そうして男たちはひとしきり笑うのだった。

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旅行代理店が店頭で無料で配布するパンフレットや、一般的な雑誌に掲載される旅行記事、さらにはガイドブックなどから、ハワイの写真をすべて切り抜き、数十年にわたって収集している写真家の友人がいる。彼によると、それらの写真は、どれもみなほとんど同じ場所、同じ方向、同じアングル、同じ画角で撮影されているらしい。これはいったい何を意味するのだろうか。

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これはハワイで生まれ育った片岡義男の父親が語ったという話。ハワイ島はハワイ諸島の中では比較的新しい島で、今も常に活動している活火山がいくつかある。ある日の朝、起きて洗面室で髭を剃りながら、なにげなく窓の外を見ていたら、芝生のあちこちから鮮やかな赤い流動的なものが、間歇的に何度も地面から垂直に吹き出していた。溶岩流だ。家財道具を運び出し、家から急いで逃げ出した。夜、落ち着いてから、ポケットのなかの髭剃りとブラシに気づき、剃り残しの半分と伸びた分をひとりで剃った。

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心地よい風と強い陽ざしとを体に受けながら、ぼくはハワイ・マウイ島カフルイに降り立った。ラハイナではぼくがマウイにいるときには母親がわりになってくれる日系の女性が迎えてくれた。遅すぎる朝食を終え、ぼくの祖父と父をよく知る日系の老人の昔語りを聞いた後、かつての恋人に電話してみた。「ハロー」と、けだるそうに電話に出た声は、その彼女の声だった。

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ホノルルで、東京でのぼくの友人のひとりである日本女性に偶然遭遇した。袖のない洒落たつくりのシャツを着て、ショート・パンツをはいていた。ほどよいヒールのあるサンダルとショート・パンツの組み合わせは裸以上に刺激的なことがある。聞けば、彼女はショート・パンツが大好きなのだそうだ。気に入ったものが店で目にとまるとすぐに買ってしまうという。

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1953年のアメリカ映画『地上より永遠に』では、主演の男性たちが誰もみな、素晴らしいアロハ・シャツを着ていた。特にぼくが気に入ったのはモンゴメリー・クリフトが着ていたアロハ・シャツのデザインだ。白黒の映画だったのでどのような色使いであるのかはわからなかった。以来このシャツの色はひとつの謎であり続けた。そして1984年、ある本を見たところ……。

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サーフィン・フォトグラフィは、一見、簡単に撮れそうに思える。しかし波乗りの写真を撮るには、自身も少なくともセミプロ級の腕前がないと、このスポーツが持つ深みの中へ自在に出入りした写真を撮ることは出来ない。しかもプロにも素人にも見えていない波乗りの素晴らしさを、ひとつひとつ見つけ出しては写真に定着させていく感覚と技術を兼ね備えていなければいけない。チューブの内部を捉えた1枚の写真を撮ったサーフィン・フォトグラファー、スティーヴ・ウイルキングスの苦心談を紹介する。

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2022年6月28日 00:00 | 電子化計画

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