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エッセイ『ターザンが教えてくれた』より10作品を公開

ターザンが教えてくれた』(角川書店1982年)より10作品を本日公開いたしました。

カリフォルニアで観た一本のみじかい映画を、ぼくはいま思いだしている。主人公がおもむろにハイウエイのむこうから登場する。オートバイにまたがった警官だ。その乗り手は若い女性なのだということが、ときたま、観客にむかってふと念を押すように、さりげなく強調された——。

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大学を卒業した年の四月一日から三か月間、ぼくは毎日、会社にかよった。月曜から金曜まで、毎朝おなじ場所からおなじ電車に乗りこむ人たちの顔ぶれがほぼ一定していることに、まもなくぼくは気づいた。そのなかに、若い女性がひとり、いた——。

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海のすぐそばに建っているリゾート・ホテルのプールサイド——ラスト・オーダーはぼくだけだった。ドライ・マティニを一杯、ぼくは頼んだ。お盆にドライ・マティニをひとつ乗せたウエイトレスが、やがてプールサイドに出てきた。

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現実の光景を、ただあるがままに描いただけなら、その絵はおそらく統一もなにもない、雑然とした、紙の上における二次元の現実でしかないだろう。が、リチャード・エステスという画家の描くリアリズム絵画は、なんとも言えず素晴らしい。大きな魅力に満ちていて、見る人の気持をひきつけて離さない。

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『一九五〇年代の映画スターたちのポートレート』は、いろんな意味で面白い。当時を知っている人たちは、スターの顔を見ていくだけで飽きないだろうし、知らなければ序文を読んで勉強するといい。非常にすぐれた当時の映画スタジオ・フォトグラファーたちのテクニックに、学ぶところが多いことを知るにちがいない。

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ぼくは子供のころ、西部劇をたくさん観た。だから、西部劇、というとその当時に観た数多くの西部劇が、あいまいではあるけれどもひとかたまりのイメージになって、まず頭にうかんでくる。『ロング・ライダーズ』は、こういった意味での西部劇からは遠くはなれた西部劇だった。

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ハイウエイを西にむけて走っていた。ぼくから見て前方の、いちばん手前にいる自動車は、鮮やかなグリーンの車だった。それがオールズモービルのトロナードだということが、ぼくにでもわかる距離まで、接近した。いったいどのような人がどんな感じで乗っているのかちょっと見てみたい、という興味にかられたのだ。

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現住所も家も家族も持たず、定職もなく、放浪の旅に必要なほんのわずかな身のまわりのものだけを持ち、ただ乗りの貨物列車を乗りついでは、鉄道の網の目を頼りに、アメリカじゅうを気ままに流れて歩く男たちのことを、ホーボ(HOBO)と呼ぶ。語源は日本語だとも言われている。ほうぼう、あちこち、流れ歩くから。

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あたりは、とても静かだった。おそい秋の、よく晴れた一日の夕方だ。畑のなかの道路に、自動車は走っていなかったし、人も歩いてはいなかった。——トランペットの音が、聞えていた。澄んでおだやかな、夕暮れの芳しい空気のなかを、その音は、透明に、しみこむように、流れてきた。中学校のほうから聞えてくるのだった。

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「乾杯」と、ぼくが言った。微笑して、彼女もグラスをかかげた。気のせいかもしれないが多少ともぎこちなく、ぼくたちはグラスの縁をあわせた。ぼくはすぐにドライ・ジンの炭酸水割りに唇をつけたのだが、彼女は、手に持ったグラスのなかを見ていた。「なんのために?」と、彼女が言った。「え?」「なんのために?」——。

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2022年5月24日 00:00 | 電子化計画

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