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サラリーマンという人生の成功

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 大学生だった頃、友人たちとのいきがかりのままに、僕はひとつのグループのメンバーになった。友人たちのつながりのなかからいつのまにか発生した、親睦を目的としたごく私的なグループだ。東京都内のいくつかの大学を、横につなぐような集まりだ。いまでも存続している。一年に一度か二度ほど集まり、座敷で宴会をしながら、旧交を温めて話に花を咲かせるのが、もっとも中心的な活動だ。

 この集まりが出来た頃には、メンバーは五十人ほどいた。同年令を中心に、前後の幅はせいぜい一、二年、という年齢構成だ。いまは三十人ほどが、定期的な集まりに出席している。物故者が何人かいる。行方不明の人は十人を超えている。僕はいまだにメンバーだが、会合には一度も出席していない。

 30代の頃は誰もが多忙だったのだろう、会合は二、三年に一度だったように記憶している。40代なかばあたりから、会合は定期的になった。バブルの頃には外国でパーティを開いた。異業種交流の場として先見の明があった、などと幹事が会報に書いていた時期をへて、いまはもう定年が目の前にあるせいか、一年に二度の会合はきちんと開かれ、常にそれは盛会で、そこから派生した少人数の集まりが、それぞれに活動をしている。

 会合があるたびに、報告書としての会報と、証拠写真のような集合写真が何枚か届く。会報は初めの頃は手書きだった。いつのまにかワープロとなり、それも最初は下手ゆえに私的な雰囲気を残していたが、いまでは書式見本どおりに作成した会社内のレポートのようだ。

 写真は最初の頃は白黒のプリントだった。座敷の宴会をストロボなしで撮ると、光量の不足している写真に特有の、わっと灰色にぼやけた空間の向こうに、丹前を着たおじさんたちの歯を出して笑っている顔が浮かんでいる、というような出来のプリントになる。そのようなプリントを僕は記憶している。

 20代の終わり近くに、送られてくるプリントはカラーとなった。いまよりもサイズは小さく、発色はもっときれいで、周囲に白い枠があった。ストロボを内蔵したコンパクト・カメラがいきわたり始めると、酒がまわった日本のおじさんたちの、けっしてきれいとは言えないストロボの光を反射させたてらてらの顔ばかりが、プリントのなかにならぶこととなった。そしてプリントのサイズが大きくなった。

 会報も写真も、そのつど僕は捨ててしまった。とっておけば、そしてそれらを時代順にならべて観察するなら、特に写真のなかに、彼らの生きてきた時代の変化を、如実すぎるほどに見て取ることが出来るはずだ。

 彼らは、その全員が、昔の言葉で言う会社員だ。写真のなかに見る彼らの人生は、回を重ねるにつれて、つまり年齢を重ねるにつれて、少なくとも外見上は、日本のおじさん度をひたすらに高めていく人生だった、と僕はとらえる。東京オリンピック前後に日本の大学を出て会社員となった青年たちは、ひたすら日本の会社おじさんになっていく日々を、そしてそれだけを、送ったようだ。

 彼らを撮影した数多くの写真を、いま僕は記憶のなかに見ている。見かたとしては不正確きわまりないものだが、最後に残るひとつの印象は、間違っていないと僕は思う。会合のつど写真にとらえられた彼らは、年齢とともにおじさん度を確実に高めていき、いまとなってはどう取り返しもつかない、決定的なところに到達している。そして彼らのおじさん度のなかには、おじいさん度が、確実に加わりつつある。

 これまでに送られてきた、おそらくは百枚を超える写真を、僕はひとまとめに記憶のなかに浮かび上がらせる。そしてその記憶を、もっとも新しい彼らの写真にと、重ね合わせる。あるときから、写真のなかの彼らに関して、どこかが変だ、なにかがおかしい、と僕は思うようになった。ふと感じる思いだから、真剣に追求しないまま、時間は経過した。

 変である度合いは、年を追うごとに、高まっていった。なにが変なのか。どこがおかしいのか。陳腐な座敷におけるごく平凡な宴会写真を見て、なぜ自分はそんなことを思うのか。彼らの写真から、どこかが変だ、という印象をなぜ僕が受けるのか、その理由が、最近になってはっきりとわかった。謎は解けた。じつにつまらない謎だった。

写真のなかにとらえられている三十人ほどのおじさんたちは、全員がきわめてよく似ている。この事実が、なにかどこかが変だ、という印象を僕に持たせ続けたのだ。おたがいにその外見をかたっぱしから自分に移植し合い、写し取り合って相似性を高めることに無上の喜びを感じているような、そんな関係のなかに彼らはいると言っていいほどに、彼らはよく似ている。

 あるまじきほどに、こんなことがあっていいはずがないほどに、彼らは相似形だ。似ているのは彼らの外観だけではない。内部に培われた質が、事実上は同一だと言っていいほどに、おなじだ。差はあるにしても、そのことに意味はない。

 彼らはあまりにもよく似ているから、三十人の集合写真を見ると、おなじおじさんが三十人いるのではないか、と思ってしまう。おなじ体型、おなじ顔つき、おなじ笑いかた。かもし出す雰囲気がおなじ。服は見分けがつかないほど似ている。おなじ笑い声が聞こえてくる。おなじ匂いがしてくる。

 彼らのおんなじ顔つきは、一様に丸い。明らかに太っている。笑いかたは、まったく無防備な日本のおじさんだ。それにはそれの良さはあるのだが、三十人集まってコンパクト・カメラに向かい、全員がおなじ顔でおなじように笑ってストロボの光を浴びていると、これは相当に気味が悪い。彼らが宴会の座敷で笑っている様子が、僕の目に浮かぶ。彼らの言葉が聞こえてくる。彼らの笑う声を、僕は聞く。

「日本人はねえ、なんてったって横ならびが好きだからね。これがいかんのだね、じつは」
「みんなが好きだから、みんながいかんのだよ」
 ワッハッハッ。
「ほら近ごろ流行の護送船団だよ」
「みんなで渡れば怖くないというやつか」
 ワッハッハッ。
「みんなで渡ってると、みんなやられちゃう時代だ」
 ワッハッハッ。
「そうだよ、やられちゃうんだよ」
「アメリカにね」
「しかし、あの大統領には、やられたくないね」
 ワッハッハッ。

 なごやかと言うべきか、幼稚と言うべきか、おそらくは後者だろうが、こんなことを言っては笑っている彼らは、ほんとにおなじ体型をしている。彼らの生活形態は、日本における会社勤めという、極限に近い相似形だ。形態だけではなく、価値のひとつひとつが、すべておなじだ。身のこなしがおなじようだ。食生活はものの見事に同一だ。うちのかみさんがスーパーで買ってきて、手抜きをしながら作ったのを食べる。つきあいの酒も接待の宴会も、みんなおなじだ。一様に運動不足で、鈍ったような印象のある、太くて丸っこい体つきだ。

 百貨店のセールで買った紳士上下の替えズボンは、形態記憶の白いシャツとともに、その胴まわりや腰において、パンパンに張っている。その張りを、父の日のベルトが、律儀に締めている。

 彼らはおなじように老けていき、おなじように病気になるだろう。そして最後の最後、あとはもう死ぬだけとなった頃にようやく、悲惨な状況は個別的にくっきりと、差異を獲得するのではないか。幸せはどれもみなおなじようなものだが、不幸はひとつずつみんな違う、というやつだ。

 しかし、これは甘い考えだ。そうはいきっこない。そんな文学的な時代は、とっくに終わった。最後の最後においてこそ、彼らの人生はなんの区別もいっさいつけがたく、同一となるのではないか。論理の筋道としては、そうならざるを得ない。

 名ばかりの施設にほうり込まれて、彼らは死んでいく。あるいは、そのへんにほうり出されたも同然の状態で、息を引き取っていく。ひょっとしてあなたがたは、全員でおなじ人生を生きたのですかという問いに対して、そのとおりです、と彼らは答えなくてはならない。

 おなじ時代の日本を、彼らはおなじように生きてきた。ほぼおなじ年に生まれ、おなじ価値観のなかで成長し、ほぼおなじ年に、区別のつけにくいおなじような大学に入った。なんの素養も蓄積もないという均一さのままに、全員が卒業して会社に入り、その会社の人としてのみ生きた。

 いったいなんのために、彼らはこんなふうに生きたのか。みんなとおなじように生きるためにだ。最近の彼らが集まったお座敷の宴会を写真で見ると、みんなとおなじように生きるという彼らの人生は大成功だったのだ、と僕は確信を持つ。

 官僚が仕切った統制や管理による国家の運営は、人々の身の上で大成功を収めた。そしてその大成功が、ほぼそっくりそのまま、轟々たる音を立てながら、失敗としての本質を明らかにしつつある。それがいまという時代だ。

底本:『坊やはこうして作家になる』水魚書房 2000年


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2015年12月28日 05:30
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