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雨の京都、主演女優、そして発泡する日本酒

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「たまには対談をしてみませんか。相手は主演女優です」

 と友人が言った。 

「いつ、どこで、誰と」

 と僕はきいてみた。

 土居裕子さんが京都での公演に入るにあたって、スケジュールに半日の空きがある、と友人は答えた。 

「彼女の写真も撮りたいのですよ。誰かいい写真家はいませんかね」

 佐藤秀明さんをおいてほかにない。と言うよりも、写真において彼の弟子である僕は、楽しそうな仕事や取材の旅行には、かならず佐藤さんを誘うことになっている。友人は佐藤さんのスケジュールを確認した。佐藤さんに京都へ来てもらえることになった。だから僕も、四月十日午前八時三十四分のひかり号に乗ることになった。

 当日、六時に起きた僕は、ゆっくり朝食を食べ、三十分ものゆとりを持って新横浜の駅に着く予定で、自宅を出た。小田急で町田までいき、そこから横浜線に乗り換えようとした。小田急から横浜線への、丸井の前をとおる連絡通路は人で埋まっていた。朝の通勤通学の人たちだ。

 これはすごい数の人だ、と僕は思った。八王子方向と横浜方向と、半々に分かれるにしても、とてもこれだけの数の人たちが横浜線に乗ることは出来ない、と僕は考えた。僕の考えは正しかった。横浜線に乗った僕は、中山という駅で降りることになった。中山で多数の人が乗って来て、あまりにも満員となったので、乗っていられなくなった。ちょっと混んでいる電車から満員電車まで、僕は乗ることが出来ない。

 中山駅のホームの端っこに傘をさして立ち、僕は八本もの電車をやり過ごした。どれも満員だったからだ。あらかじめ満員の電車のなかに自分の体を入れる方法に八種類ほどあるのを、僕は観察して学んだ。どれも僕に出来ることではなかった。

 ひかり号には、したがって、乗り遅れた。一時間二十分後のひかり号に僕は乗った。京都も雨だった。ホテルのコーヒー・ショップで、関係者全員が怒りもせずに待っていてくれた。写真家の佐藤さん、この対談の提案者である友人、そのパートナーの女性、女性プロデューサー、そして主演女優だ。

 男性たちは昼食を食べ、女性たちは女優の着替えのために部屋へ消えた。昼食と着替えが終わり、僕たちは全員、雨のなかへタクシーで出ていった。まず祇園の和傘屋さんで傘を買うことになった。それをさして散歩道を歩いている土居さんを写真に撮るのだ。傘は赤がいい、と僕は思った。

 思ったとおりの傘が傘屋さんにあった。それを買い、散歩道へむかった。散歩道に着くと雨がすこしだけ上がった。桜が咲き、そして散ってもいた。濡れている木々の緑が美しかった。なんとなく、いつのまにか、撮影がはじまった。主演女優にとって、いまのこのような時間は、日常の時間なのだろうか。それとも、舞台に出てストーリーのなかの役を演じているときと、ほぼ同質の時間なのだろうか、などと僕は考えた。

 銀座と青山でそれぞれ一度ずつ、僕は土居さんの舞台を見た。ある日の午後、土居さんほか数名の人たちと、一杯のコーヒーを僕は飲んだ。おなじメンバーとともに、別な日に、僕は土居さんとピザを食べた。アンチョヴィーのピザも一杯のコーヒーも、そして雨に濡れた京都の桜も、主演女優にとっては、生身で演じる虚構という二重時間のはざまのどこかなのだろうか。

 答えは出ないままに、撮影は無理なく進行し、すんなりと終了した。さて、おやつの時間だ、と言って写真家や土居さんは僕を見た。僕たちはタクシーに乗り、今宮神社へむかった。今宮さんのかざり屋で、僕たちはあぶり餅という最高のおやつを食べた。

 TVの時代劇『鬼平犯科帳』のタイトル・バックに出てくる場所からほんの数歩のところだったせいか、カタオカさんは時代劇に出るといいですよ、まげが似合いそう、という話になった。どんな役を演じるといいか、いろんなアイディアが出たが、適役であるかどうかは別として、僕が自分で納得出来る役だけについて書くなら、それは人形佐七と寺子屋で同級だった変わり者の男、という役だ。向島の芸者が生んだ子で、いまは長崎出島で通訳として仕事をしている。変わり者だけにユニークな知人友人が多く、そのうちのひとり、たとえば離島に隠れ住む謎の写真師は、佐藤さんがそのまま地で演ずることが可能ではないか。

 おやつを食べたあと、良い子もあまり良くない子も、いったんホテルに戻った。僕は風呂に入った。CNNを見ながら体を乾かし、服を着てロビーへ下りていくと、やがて全員が集まった。

 夕食は梁山泊だった。今出川、鞠小路を南へ下がりはじめてすぐにタクシーを降りると、左へ入っていくわき道がある。突き当たりに大きな赤い提灯が見える。梁山泊の魅力的な入口だ。僕たちは座敷に上がってテーブルを囲んだ。店主の橋本さん、料理を作る美男子たち、そして美しい奥さんの礼子さんと、すべて健在で僕はうれしかった。

 店主が、毎日、筆で手書きする口上と題したメニューには、食べたくなる料理がたくさんならんでいた。材料も手際も味も僕は信頼している。心を引かれるまま、僕たちはかたっぱしから注文した。

 さて、いよいよ対談かな、と思うまもなく料理がテーブルにならび、どれもみなおいしく、一同みな悦び、感嘆の声を上げ、食べはじめた。不思議な酒、と店主が呼ぶ酒を、店主がみずから持って来てくれた。発泡する日本酒だ。忍耐と研究を土台に創意と工夫を注ぎこみ、天啓を得て七年ののちについに完成した酒だという。香り、味、喉ごし、料理との絶妙な調和などに僕たちは感銘を受けながら、あっと言うまにひと瓶を空けてしまった。

 酒と料理と歓談の渦のなかに巻きこまれて、対談は跡かたもなく消えた。舞台でミュージカルや芝居が演じられているとき、それを見る観客を巻きこんで、そこには日常とは異なった時間が流れる。たとえば観客席にいながら、そのような異時間にからめ取られることを断固として拒否する人はいませんか、と僕は土居裕子さんにきいてみた。

 丹波の地鶏の山椒焼きのふた切れめを口のなかで嚙みながら、

「います。寝てる人」

 と主演女優は答えた。

 さきほど、最初のひと切れを口に入れたとき、

「うわっ、これはおいしい!」

 と彼女が叫んだ、その丹波の地鶏だ。

 客席にならぶ客の顔は、見えるときと見えないときがある。見えるときには、どの顔もほの白く、一様に舞台のほうをむいている。そのなかに、よく目立つ位置の席にひとり、顎を胸に埋めて眠っている客がいる。ほの白い顔の列のなかにあって、その人だけは、髪の黒さを舞台にむけている。黒い穴に見える。あらゆる種類の時間を吸いこんでしまうブラック・ホールのようですよ、と土居さんは説明してくれた。

「覗き穴から見るんですよ。あの人、まだ眠ってる。ようし、私があの人を起こす、と舞台裏で宣言して、舞台へ出ていくのです」

 先週も京都に来て筍を食べる仕事をしたと言う写真家の、筍を絶賛する言葉を受けて、メニューにある筍料理のすべてを僕たちは食べた。焼いた筍、煮た竹の子、揚げ出し筍、筍の木の芽和え、そして仕上げには筍雑炊も食べたような気がする。お造りは桜鯛、平目、ほたるいか、若狭のぐじ、いか、桜鱒と、メニューに出ているのをどれもみな食べた。ぐじは素晴らしく、塩焼きでも、そして桜蒸しでも、食べた。

 夕食を楽しく美味に終わって、僕たちは店を出た。雨は上がっていた。しばらく散歩するとたいへん良かったのだが、僕たちはすぐにタクシーに分乗した。そしてホテルに戻った。部屋に入って浴槽に湯を満たすのにちょうど適した夜の時間だった。

 関係者全員の部屋はおなじフロアにあった。僕の部屋は廊下のいちばん奥だった。奥にむけて歩きながらふりかえった僕に、主演女優は、 

「おやすみなさい」

 と、顔を傾けて、言ってくれた。

 次の日は美しく晴れた。写真家、対談提案者、そのパートナー、そして僕の四人は、ホテルで朝食を食べた。小さな四角いパッケージに入ったグレープ・ゼリーを、トーストの表面にバター・ナイフでのばしていくと、その濃い葡萄色は、少なくとも僕にとっては、世界のどこにいても朝食の色となる。透明なガラスの壁のすぐ外では、竹林が朝の風に揺れていた。

 朝食のあと、僕たちは散歩に出た。堀川に出てそれをむこう側へ渡ると、二条城跡という散歩のスペースがあった。僕たちはそこに入り、二時間ほど散歩した。外国から来た観光客がたくさん歩いていた。どの人も、ちょっと困ったような表情をしていた。なんだかよくわからないけど、これはちょっとまちがえたかな、つまらないところへ来てしまったかな、どうしたらいいのかな、ここにはいくら歩いてもなにもなさそうだな、という彼らの表情が、僕にとってはもっとも面白いものだった。

 お昼は麩屋町通りをずっと上がっていったところにあるお弁当屋さんで、四人はお昼を食べた。体の内部に残響のようにいつもある東京に、京都にいるときの僕を取り囲む京都の感触が、一定のテンポで衝突していく。その衝突は、心地良い。昼食の大切な一部分として、僕はそのような衝突を楽しんだ。東京の残響が中和されるわけではないけれど、半分ほどに小さくなることは確かだ。

 三時過ぎのひかり号に乗るために、僕たちは駅へむかった。駅にあるキオスクという場所で僕は買いものをした。東京では売ってないので忘れなければ買って来てください、とさる女性に頼まれたイチゴ・ポッキーというものを、僕は三箱買った。

 僕たちがこのようにして日常時間のまっただなかを流れていた頃、主演女優の土居裕子さんは、すでに舞台の上を覆う異時間のなかにいたはずだ。その日、彼女は午前十一時までに楽屋に入り、午後すぐに始まる出演者四人だけという芝居に出ることになっていた。おなじ京都の、さほど遠く離れてはいない場所で、ひとりの魅力的な女優が日常とはまったく別の時間を作り出していることに思いをはせつつ、僕たちは二階建てのひかり号に乗った。

底本:『ノートブックに誘惑された』角川文庫 1992年

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2016年9月15日 05:30
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