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過去とはつながっていたほうがいい

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 信濃町の慶應病院で生まれた僕は、何日かあとにそこから自宅へと連れ帰られた。自宅へはそのとき初めていったのだから、帰った、という言いかたは当てはまらないようにも思うが、そんなことはどうでもいいだろう。この自宅とその周辺で、僕は五歳まで育った。東京の子供だ。そしてその子供は、お利口な坊やちゃん、と呼ばれることが多かった。これもまた、どうでもいいことか。

 この自宅のあった場所へ、僕はごく最近、いってみた。目白駅を出て道を渡り、左つまり西に向けてしばらく歩き、やがてふと右への脇道に入り、すぐに今度は左へ曲がり、まっすぐいって右へ曲がって、ほら、ここだよと、自分で自分に道順を案内するかのごとく、迷うことなくその場所へ僕はいくことが出来た。道順としてはごく単純なものだし、道のありかたそのものは基本的にはなんら変化していない。だから何十年ぶりであろうとも、かつて自宅があった場所へいくのに、迷ったりすることはないのだ。

 自宅はもちろん跡かたもなく消えていた。しかし土地の権利関係は変わっていないようで、自宅跡にはおなじような大きさの家が建っていた。二十五歳のときにも僕はここを訪れたことがある。そのときは幼い僕が住んでいた頃とほとんど変わっていず、したがって周囲の光景のなかには、三歳や四歳の僕の面影すら、残っているように思えたほどだ。これは一九六五年のことだから、いわゆる「戦後」は東京のいたるところにまだ残っていた。「戦後」が残っているとは、戦前・戦中とそのまま陸続きであるということだ。

 しかしいまはもう、道を別にすると、その周囲のすべてが、大きく変わってしまっている。当時の名残はいっさいないと言っていいのだが、道のつきあたりに一軒だけ、築六十年を越える雰囲気の、二階建ての民家がまだ健在だった。見覚えがあるようでいて、ないとも言える、不思議な対面をしばらく僕は楽しんだ。築六十年を越えているなら、この場所に住んでいた幼い僕は、毎日のようにその家を見ていたはずだ。おやおや、あの坊やじゃないか、久しぶりだね、とその家は思ったのではないか。

 この位置にこの幅と長さでこの道がある、ということだけは変化していないが、それ以外はすべて消えていた。ただし住宅地という基本は変わっていないから、しばらくそこに立っていたり、あたりを歩きまわったりしていると、その場所の基本的な性格は、昔日とほぼおなじなのだな、と思えるようになった。昔はもっといろんな要素があったが、それらがすべて消え去り、のっぺりと奇妙に均一な様相を呈しているのは、まさに現在だった。道の途中に左へ入っていく私道があったと記憶しているが、それが消えていた。家を建て替えるとき、私道の持ち主はそれを敷地のなかに取り込んだのだろう、などと僕は想像を楽しんだ。

 昔はいろんな要素がたくさんあった、とたったいま僕は書いた。たとえば道ひとつとってみても、いまは平坦さと均一さをことのほか心がけたアスファルトで、なんの趣もなく舗装されているだけだ。昔は舗装されていない土の道で、中央には長方形の飛び石が、道の入口から奥まで、続いていた。土のなかにほぼ沈み込んだ飛び石の、等間隔に連続している様子を、いまの僕の体がまだ覚えている。なぜならその飛び石の上を、三輪車で往ったり来たりして、幼い僕は何度となく遊んだからだ。飛び石と土の部分とが等しい間隔で交互に連続する上を、僕は三輪車で走っていく。三つの小さなタイアが受けとめる飛び石と土の連続感が、僕の体のなかに入ってきて、それを僕は受けとめる。そしてその感覚を、いまでも僕の体は記憶している。過去という広がりと奥行きのなかの一点に、僕はいまでもこのようにしてつながっている。

 飛び石は砂利をコンクリートでつなぎ固めた造りのものだった。土の部分との感触の落差の大きさを、いまの僕のなかに残る五歳の僕が記憶している。冬の寒い頃には、この道の両端には霜が降りた。「くっく」を履いた小さな足でそこを踏むと、思いがけない深さで、足は霜の底まで沈むのだった。雨降りの明くる日には土の部分は滑った。転んだことが一度や二度はあるはずだ。道の両側に並ぶ民家には、生け垣があった。しゃがむとなかの庭が見える板塀もあった。空き地として草が生えているだけの庭には、いまでは信じがたいことだが、野生のリスがいた。

 この道にとって特徴的な部分がひとつだけいまも残っていることに、ほどなく僕は気づいた。外の道からこの道へ入ってきたすぐのところが、なぜか少しだけ、道幅のぜんたいにわたって、隆起しているのだ。この隆起も、三輪車ごしに僕は記憶している。手を引かれて歩いただけでは、記憶しなかったのではないか。アスファルトで平坦にそして均一に舗装された路面の下に、昔よりは少しだけ低くなったように見えるものの、このかすかな隆起が健在ではないか。舗装するときに削ってしまえば作業はやりやすかったはずだが、なぜだかかすかな隆起のとおりに舗装してある。そしてこの隆起は、僕の幼友達だ。この隆起を僕は親しく知っている。隆起のほうも僕をよく知っているはずだ。残念ながらいまはもう、お利口な坊やちゃんではないけれど。

底本:『自分と自分以外──戦後60年と今』NHKブックス 2004年


2004年 『自分と自分以外ー戦後60年と今』 少年時代 東京 目白 過去
2016年1月17日 05:30
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