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十四年まえのペーパーバック

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 一冊のペーパーバックが、いまぼくの目の前にある。いつのまにかたくさんたまってしまったアメリカ製のぺーパーバックの山のなかから、さがしだしてきたものだ。もう何年もまえに読んだ本なのだが、ふと、なんの理由もなく再会したくなったので、さがしてきたわけだ。

 読んだのが何年くらい前だったか、正確には記憶していない。十年はたっているだろうなと思いながらコピーライトを見ると、一九六七年となっている。

 刊行されたばかりの新刊としてロサンゼルスの空港で買ったのをはっきりと覚えているから、読んだのも一九六七年にちがいない。十四年もまえだ。東京へ帰ってきてから、身のまわりにいろんなかたちで存在している日本的なものに対してうんざりしつつ早くも疲れを覚えながら、これといった必然性もなしに、ぼくはこのペーパーバックを読んでみた。

 読んで、すくなからず感激した。著者が書いていることに関して、全篇にわたってほぼ完全に賛成できるし、とにかく素晴らしい本だと思ったから、なくなってしまわないようにきちんといままでとっておいた。たいていのペーパーバックは、読みおえると友人にあげたりしてぼくの手もとを離れていく。しかし、感激した本は、自分のものとして残しておく。このペーパーバックも、自分の手もとにとっておいた一冊だ。

 バーバラ・ジョンズ・ウォーターストンというアメリカ女性が書いた本で、題名は『プル・ユアセルフ・トゥギャザー あるいは、おカネをほとんどかけずに素敵になる方法』という。目次を見ると、服、肌、髪、化粧、ダイエット、といった平凡な項目がならんでいて、アメリカによくある女性むけの自己改良を説いた実用書のようだ。

 たしかに実用書だし、読みはじめたときのぼくの気持ちは、アメリカの一般的な実用書にいつもある独特な雰囲気を楽しもうということだったのだが、読みはじめるとすぐに、単なる実用書ではないことに気づき、そこがまずうれしかった。

 そのまえに、題名の『プル・ユアセルフ・トゥギャザー』の部分に、ぼくはすこし気持ちをひっぱられていた。

 プル・ユアセルフ・トゥギャザーという、ごく日常的なきまり文句の、この本の題名として使われている文脈でのニュアンスは、きちんとした統一感を欠いた、散漫でばらばらになったしどけない自分を、自分の内部に自前でつくりだす強い求心性によってしっかりとまとめなおし、いい方向にむけなおす、といったようなことだ。

 服、肌、髪、化粧といった、主として自分の外側の問題が、内側のメンタルなことがらと結びつけて説いてあることを暗示させるタイトルだなと、ぼくは感じた。題名の後半の部分、『あるいは、おカネをほとんどかけずに素敵になる方法』のほうにはさほどの期待はしていなかったのだが、プル・ユアセルフ・トゥギャザーには、読みたい気持ちをそそられるなにかがあった。

 あるささいなことをきっかけにして、いまの自分はまったく散漫に崩れていてほとんどなんの魅力もなく、このままでは外面的にも内面的にもほんとうに駄目になってしまう、と著者がはっきり気づいたところから、この本は、スタートしている。

 魅力のない自分の、その魅力のなさは、まずなんといっても服装に、もっとも端的にあらわれているのではないかと、著者は直感的に思う。いまの自分の、魅力のない状態を冷静に総点検した彼女は、魅力のなさの確認の第一歩として、自分のクロゼットにつまっている服を、ひとつひとつ、そしてぜんたい的に、見なおしていく。

 それまでは気づかなかったことが、目の前にはっきりと見えてくる。自分が自分のためにこれまでせっせと買いこんできた服が、あらためて見なおしてみると、まるっきり散漫なのだ。衝動買いしたり、つまらない流行に動かされたりして買った服、あるいは、つまらない自分をおおいかくそうとして買ったトンチンカンに派手な服など、とにかくろくなものがない。自分の服を自分自身の投影として見ていくと、散漫で統一を欠いたろくでもない服の数々が、そっくりそのまま、自分自身の状態であるわけだ。

 クロゼットのなかからひっぱりだした服の山を前にして、彼女は、いまさらのように、愕然とする。こんな服を着ていたのではどうにもならないし、自分を内面的にも外面的にもトータルに魅力的にしていくには、こんな服はもはやなんの役にも立たない。

 いったいどうしたらいいだろうかと真剣に考えた彼女は、クロゼットに入っていた服すべてを、すててしまう。ごく基本的なもの、たとえば白いTシャツとか、しっかりとはきこんだブルージーンズ、男物のちゃんとした白い長袖のシャツ、クルーネックのシェトランド・セーターなど、ごく少数を残して、あとはみんなすててしまう。

 ここが、このペーパーバックの、もっとも感動的なところだった。がらくた同然の、どうでもいいような服をぜんぶすててしまうという行動は、魅力のない自分にきっぱりと別れを告げ、自分を魅力ある女性にしていくトレーニングの開始の決意であるわけだ。

 つまらない服をみんなすててしまうところから、彼女の、真剣でしかも徹底的な自己改造がはじまっていく。

 服や肌、髪などから、ダイエット、化粧、運動、旅行、時間の使い方、金銭の問題などさまざまなことがらに関して、素敵な人になるための知恵が、この本の全篇にちりばめられている。馬鹿ばかしいことにはぜったいにおカネを使わず、必要最小限の出費でこなしていくというスパルタンな考え方に支えられ、どの知恵もみなそれぞれに説得力があるのだが、外面的なハウ・トゥの部分だけを見ていると、合理的によくできた実用書でしかない。

 しかし、外面的なハウ・トゥが内面の深い部分での自己改造としっかり結びついていくところに目をむけるなら、単なる実用書をこえた、非常にスリリングな、ひとりの女性の成長記録だ。魅力のない女性から素敵な女性へと成長していく様子を描いた、感動的な記録だ。

 この本ぜんたいのテーマをひとことで言うと、トレーニングだ。

 魅力がなかった頃の自分は、なんにもトレーニングしていなかったから、魅力がなかったのだ。自らに課したトレーニングをきちんとこなしていくことによって、自分の内部に魅力の種をすこしずつためこんでいく。それ以外に、素敵な人になる道や方法はぜったいにないのだと、著者である彼女は、自分がおこなうことになった自己トレーニングをとおして、読者を説得していく。

 いまある自分をすこしでもよくしていくためには、自分で自分にトレーニングを課すしかない、という彼女の考え方に、ぼくは全面的に賛成する。自分にトレーニングを課し、きたえ、みがき、シャープにしていく以外に、どんな方法や道があるというのだろう。ありはしない、と彼女は言っている。

 自分で自分をトレーニングしなくてはいけないのだ、と彼女は気がついたからいいものの、気がつかなかったり、うすうす気づいてはいてもトレーニングに手をそめるということをしないままでいたなら、どうなるのだろう。

 魅力のないままの自分でいるよりほかないのだ。すこしでも魅力的になりたいと思って女性たちは服を着て化粧をし、髪をととのえるのだが、人間のような複雑な生き物がそんな簡単なことで魅力的になれるはずがない。

『アール・グレイから始まる日』角川文庫 1982年所収
底本:片岡義男エッセイ・コレクション『自分を語るアメリカ』太田出版 1995年


1982年 『ターザンが教えてくれた』 『自分を語るアメリカ』 アメリカ 女性
2016年1月29日 05:30
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