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オン・ロード

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 道路は、たしかに、きわめて日常的で陳腐な光景だ。

 だが、ひとたびオートバイにまたがって走れば、魔法のサーキットになる。

 道路がただ道路でしかない人に、魔法のサーキットについていくら語っても、らちはあかない。

 しかし、ぼくやあなたなら、あそこのあの道路を愛するオートバイで走っていて、魔法にかかる瞬間を、よく知っている。

 魔法の復習をしてみよう。

 オートバイと路面との関係は、着実で厳格だ。前後ふたつのタイアは、路面を相手に保つべき一定の関係を、まともに走っているかぎりいついかなるときでも、律義に保ちつづけている。

 タコメーターの赤い針がいくらレッド・ゾーンに振れこんでいても、地軸に対するあなたのそのときの宇宙がどんなにリーンしていても、タイアは、文字どおり一寸きざみで路面をたぐりよせては、うしろへ押しやっている。

 ぼくやあなたのオートバイは、常に、路面を這うのだ。

 乗っているぼくは、そのオートバイの、忠実な従者だ。堅実なしもべだ。

 オートバイとの完璧な一体感が生みだす幸せな緊張感がぼくの内部をひたしているとき、ぼくは、そのオートバイのまさに従者となる。走りつづけていく瞬間また瞬間のなかでオートバイが欲していることをひとつひとつ適確におこなっていく従者だ。

 そしてこの従者には、特典がひとつだけあたえられている。魔法にかかる特典だ。

 すでに確認したように、オートバイは常に路面をなめて走る。飛んだりはしない。

 従者であるぼくは、オートバイとの一体感が深まれば深まるほど、オートバイという走る機械が持つメカニズムの囚人となる。従者は、メカニズムのとらわれの身だ。

 走行の状況を正確に読みとっては判断しつつ、クラッチを切らなくてはいけない、つながなくてはいけない。シフト・アップしなくてはいけない、シフト・ダウンしなくてはならない。アクセル開閉の微妙なコントロール、ブレーキの操作。右に左に倒れこむときの、意識と無意識の両方にまたがった、全身的な肉体操作。走っているあいだずっと、この作業が、なんらかのかたちで連続する。四速にほうりこみ、あとはエンジンの粘りまかせというような走りかたをするときですら、ライダーの両手両脚、それに注意力や判断力の総体は、おたがいに絶妙な連携を保ったうえで、多忙をきわめる。

 ライダーの肉体は、メカニズムにからめとられる。オートバイの気化器が不調をきたすと、自分の右手が故障したように感じるほどに、ライダーの肉体はメカニズムに組みこまれ、同時に、メカニズムはライダーの肉体の内部にとりこまれていく。

 歯車やカムのひとつひとつ、シャフトの一本一本に、ライダーの筋肉がからみ、まつわりつく。オイル・サーキットの内部をめぐる熱いオイルといっしょに、ライダーの赤い血が循環する。

 こんなふうにして、良きライダーの肉体は、オートバイというすさまじいメカニズムをかたときも離れることはないが、ある日、あるところで、ある瞬間、彼の感覚や意識の大きな部分が、魔法にかかる。肉体やメカニズムからある程度まで解き放たれ、そのときのライダーがつかまえている宇宙空間を、自在に飛びはじめるのだ。

 オートバイと路面との関係の成立によってライダーのものとなっているスピードが、このとき、重要な役を果たす。

 オートバイにまたがって走っているライダーが自分のものとしている時速何十キロかのスピードは、ライダーと空間との関係を、激変させてくれる。

 オートバイで走っているとき以外は、人と空間との関係は、緊張感をまったくと言っていいほどに欠いている。時と場合によるけれども、そしてその人の感受性にもよるけれども、オートバイで走っていないとき、空間に対する人の知覚は、鈍化している。おたがいの関係はかったるいものであり、大いに弛緩している。

 空間に、自分の肉体や感覚が、トータルなかたちでぶつかっていかないからだ。自分の存在によって、スペースを切り裂かないからだ。両方とも、静止してしまっている。スべースに対する知覚の能力は鈍くなったまま惰眠をむさぼり、空間というこの素晴らしいものをきわめて陳腐で日常的なものにおとしめている。

 ライダーの分かちがたく一体になった肉体と意識感覚は、オートバイにまたがって走りはじめたとたん、空間との緊張感に満ちた関係を開始する。

 オートバイというメカニズムがライダーに対して要求してよこすことにひとつひとつ適確にこたえることによってオートバイを操縦しつづけることの緊張に加えて、スピードとむき出しの肉体のおかげで自分にむかって飛んでくる空間との、スリルに満ちたこのうえなく官能的なつきあいが、スタートする。

 ライダーである自分にむかって、スペースが飛んでくる。そして、そのスペースは、無限だ。つきてしまってもうこれでおしまいということは、ぜったいにない。感覚の広がりかたに応じて、好きなだけ、いくらでも、ライダーはスペースを自分にたぐりよせ、自分の肉体と感覚にぶつけてやることができる。

 この宇宙の、全スペースが、オートバイ・ライダーであるあなたやぼくのものになってしまうのだ。オートバイで走っているとき、ライダーは、全空間を、自分の感覚の内部で所有している。

 そして、スペースのなかには、ありとあらゆるものが、ぎっしりとつまっている。

 夏の陽ざしがある、春の風がある。雨の香り、入道雲の予感、遠い夕焼けの町。季節感の、およそ想像を絶したこまかなグラデーションが、空間には常に充満している。朝陽の輝き、夜の海を照らす青い月。ひとりで見つめつづけた海の潮騒、セミしぐれ、深い秋の湖の静寂。

 どんなものでも、注文していただければ、空間のなかから好きなだけ自由自在に、ひっぱり出してみせることができる。

 ライダーは、空間のなかへ飛びこむ。オートバイにまたがっている緊張感によって鋭く繊細にみがきをかけられた彼の感覚は、スピードが自分のほうにたぐりよせて自分にぶつけてよこす空間のあらゆる要素に触れ、それをうけとめ、自分の内部にためこんでいく。

 走るライダーは、空間をかたっぱしから自分のものにし、かっさらっていく。風や陽ざし、空気の香りを、広い空間のなかから自分にひきよせ、自分のスピードによって凝縮させ、自分の感覚に同化させていく。

 意識や感覚の広がりは無限にちかいから、肉体の反射神経や筋肉の働きはオートバイのメカニズムの忠実なしもべになりつづけたまま、ライダーひとりですべて所有してしまっている空間のあらゆる彼方へ、意識や感覚は飛んでいく。

 メカニズムにからめとられた肉体に必ず付随しなければならない注意力や判断力などのほかになお、良きライダーは感覚の充分な余剰を持っていて、これが彼を空間へ解き放つ、カタパルトになる。

 解き放たれた彼の意識や感覚は、オートバイという不思議な生き物によって、凝集され、同時に、増幅される。魔法にかかるのだ。日常的な生活のなかではまずありえないことだが、オートバイにまたがって走ると、自らを魔法にかけるのは、まばたきのようにたやすい。

 その魔法のささやかな一例をあげてみよう。ライダーなら、およそ誰でも、身に覚えがあるはずだ。

 山のなかの小さな盆地の宿で、朝早く、目を覚ます。明日も必ず快晴だ、という幸せな予感とともに、昨夜は、眠りについた。その幸せな予感は朝になっても体内に生きていて、宿の窓から空を見たとたん、躍動してわきたつ。見事な青空なのだ。気もそぞろに食事をし、出発の用意をととのえる。そして、出発。エンジンが始動する。またがって走る。

 早朝の、山のなかの道をいく。きらめく陽ざしが路面や樹々の葉の朝露をかわかしていくときの香りが、小鳥の声とともに、空気のなかに満ちている。

 体はほぐれてきた。感覚は全開。そして、オートバイは、快調そのもの。風が、じつに見事に、肉体の内部を、吹き抜ける。

 高原の入日にさしかかる。ほかに誰もいない、美しい空間だけの道路を、さあ、走るぞ! 右に左にいくつかカーブをこなし、アップ・アンド・ダウンを何度かこえて、まっすぐなのぼり坂。

 かさなりあう台地の背を、のぼり坂が直線でのびている。道路の両側から緑のスローブがなだらかに落ちこみ、陽ざしのきらめく青い空が、おおいかぶさっている。のぼり坂のいちばん下から、駆けあがっていく。空にむかって、せりあがっていく。

 直線ののぼり坂の頂上が、青い空と接している。底なしの空間である青空と路面とは、まさに紙一重でおたがいに接しあっているのだという感覚が、のぼり坂の途中で、ライダーの意識のなかに目を覚ます。

 オートバイの振動や排気音、エンジン音、そして全身に当たる風などとひとかたまりになって、直線を駆けあがる。頂上に到達したその瞬間が、魔法の瞬間だ。

 オートバイとそれにからむ肉体を路面に残したまま、感覚は、路面と紙一重で接している底なしの空間のほうに、入りこんでしまった。感覚は急激に拡大されて空間をとりこみ、その空間の内部を飛びはじめた。ありとあらゆる方向の彼方に感覚の触手はのび、同時に、路傍の夏草の葉の一枚、小石のひとつも見逃がさない。

 道路は、走っているかぎり永遠につづく、起伏するS字カーブの連続になる。あの高原の、直線ののぼり坂の頂点で、ぼくの道路は魔法のサーキットに生まれ変わる。

 オートバイごと実際に空を飛んでしまうのではないから、なおさらこの魔法はスリリングなのだと、ぼくは感じている。

 一寸きざみに路面をたぐるタイアやメカニズムに肉体の大部分をからめとられつつなお、感覚の余剰部分は自由に解放される。しかし、注意力や判断力にちょっとした手抜きがあれば、いつかかならずしっぺがえしがきて、ライダーは路面にひき倒され、叩きつけられ、ひとたまりもない。魔法どころではないのだ。こうした、複雑な意識の総体が、ぼくやあなたのオートバイなのではないのか。

『コーヒーもう一杯』角川文庫 1980年所収
底本:片岡義男エッセイ・コレクション『彼の後輪が滑った』太田出版 1996年


1980年 1996年 『コーヒーもう一杯』 オートバイ 季節 片岡義男エッセイ・コレクション『彼の後輪が滑った』 道路
2016年3月9日 05:30
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