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その光を僕も見た

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 広島に原爆を投下したアメリカ軍の爆撃機の副操縦士は、その任務に関して、原爆投下を中心に十一ページにわたる簡単なメモのような記録をのこした。『ニューヨーク・タイムズ』の記者に依頼されたからだという。その依頼がなければ、投下するのが原爆ではあっても、すっかりルーティーンになってしまった爆撃ミッションのひとつとして、イン・フライトの記録が残されることはなかったのだろうか。

 副操縦士によるこの直筆のメモがロンドンの競売商によってニューヨークで競売に出され、三十五万ドルで落札された。このことを伝えた日本の新聞の短い記事によると、「人間が目にしたもっともすさまじい爆発だ」とか「ぞっとするような光を目にした」といった記述がメモにはあるそうだ。広島市の上空で原爆が爆発したときのこの光を、僕も見ている。

 五歳の子供だった僕は、アメリカ軍による東京への無差別爆撃を逃れて、山口県の岩国にいた。子供が育つところとしてはたいへん恵まれた環境の場所だった。五歳の夏の僕は、海とその近辺で遊ぶことしか頭にない、陽に焼けた瀬戸内の子供だった。その夏の日は早朝からじつに美しい晴天だった。僕はひとりで外を歩いていた。本来の自宅ではないところに泊まり、朝食のために自宅へ帰ろうとしていた。あと数歩で自宅という地点で、歩いていく僕の背後から前方に向けて、たいへんに明るい光が一度だけ、空間ぜんたいに広がって一瞬のうちに走り抜けて消えた。

 半世紀以上も前の、いまよりはるかに純度の高かった空気のなかに、真夏の晴天の見本のような明るい陽ざしが満ちていた。その明るさを桁はずれに越えた、しかもただ明るいだけではなく、それまで体験したことのない不思議な質を持った光が、そこに一瞬だけ存在して消える様子のすべてを、僕は見た。

 投下機の副操縦士が書いたような、不気味な異様さやすさまじさは、広島から岩国までの距離のなかに四散し、初めて見る奇妙な質の、ただ明るいだけの、静かな光となっていた。僕はそれを見た。誰かがうしろから光を照らしたのだと思った僕は、振り返った。人の姿はひとりも見えなかった。道の前方にも人はいなかった。この道はいまもある。あの光を見たのはこの地点ですと、二、三メートルの誤差で僕は地面の一点を指し示すことが出来る。

 いつものようにその日もまた、僕は夕方まで外で遊んで過ごした。自宅へ帰る途中、海に向けて展望の開けた道の縁に立って、数人の大人が東のほうを見ていた。暮れていきながらもまだ晴天の青さを残した夏の夕方の空に向けて、濃い煙とも雲ともつかない、細く長い円柱のようなものが、微妙に曲がったり傾いたりして、上空に向けて立ち上がっていた。その頂上は開いた傘あるいは茸の頭のようなかたちをしていた。これがキノコ雲だ。

 物心がつき始める瞬間というものがもしあるなら、僕にとってそれは、広島に投下された原爆の閃光を見た瞬間だったような気がする。こじつけるわけではなく、あの瞬間から意味のおすそ分けを謀るでもなく、まったく偶然に、物心ついて以来の僕は、あの瞬間から始まっている。この光だけは過去にならない。だから僕はいまもこの光の中にいる。

底本:『自分と自分以外──戦後60年と今』NHKブックス 2004年

▶︎ 365blog |0806| エフェクトの影

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2016年8月6日 05:30
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