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長距離トラックと雨嵐

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 沈んでいく太陽にむかってアリゾナを西に走ると、あらゆるものが、黒いシルエットだ。

 夏の終わりの雨嵐も、シルエットで見ることができる。

 行手の荒野が、暗い影のなかにのみこまれている。丘のつらなりや、その丘に生えているユッカやサワーロ、あるいはジョシュアの樹が、燃え立つようなオレンジ色のバックドロップに可憐な影絵になっている。そのさらにむこうの、遠い山なみが、透けて見えるような淡いシルエットだ。

 低い位置にまでさがってきた夏の太陽は、分厚い雨雲によって、かくされている。

 行手の荒野のなかに、トゥースンの町ぜんたいにすっぽりおおいかぶさるほどの大きさだ。

 雨嵐のすべてが、トラックの運転台から、見える。

 雨雲の底は、平らだ。トゥースンの上へ低くその雲は降りている。地表と雲の底とのあいだにあるすきまのむこうが、オレンジ色に燃えている。雨雲のはるか彼方、一片の雲もない落日の西空だ。このすきまに、雨がシルエットになって見える。トゥースンの町にぶちまけられているすさまじい夏の雨が、淡い灰色の靄(もや)だ。

 おおいかぶさった雨雲の平らな底と、シルエットになった黒い地面とが、あちこち、灰色の靄で結ばれている。天が裂ける、という言葉を誰もが信じてしまうような猛烈な豪雨なのだが、その雨雲ぜんたいを見渡せるほどの遠距離から見ると、シルエットになった豪雨は、やはり淡い靄でしかない。

 雨雲の平たい底の、ぜんたいから雨が降るということは、ないようだ。靄の太い柱が雨雲と 地表を何か所かで結びつけ、その場所は変化していく。ひときわ激しい雨の部分は、淡い灰色をとおりこして、黒い幕のようになる。

 運転台の正面ガラスに、大きな雨滴が、ばらばらと当たる。トゥースンをおおっている雨嵐から、風に乗って飛んできたはぐれ雨だ。

 夕焼けの空に、雨雲は、ひとつの国のように、浮かんでいる。底の部分は一様に不吉な灰色 にくすんでいるが、頂上は太陽の光にさしつらぬかれ、黄金色に燃える。

 雨雲は、何層にもかさなりあって溶合した巨大なかたまりだ。底から頂上までの高さは、タ陽にむかって走る長距離トラックからトゥースンの町までの距離を、はるかにこえている。

 底の部分は、トゥースンの町ぜんたいに重くおおいかぶさって動かない。分厚い盛り上がりのなかばから頂上にかけては、かたちが刻々と変化していく。

 内部からもくもくとわきあがって空を侵触し、領域を拡大していく。頂上の稜線が、右の端から左の端まで、灼熱の黄金色の縁取りだ。雨雲の国を支配する奇妙な神々が、いつその稜線上に姿を見せても不思議はないように思える。

 風にあおられたはぐれ雨が、再び、正面のガラスを叩く。

 いつだったか都会のなかで見た小さな光景の断片を、ドライバーは、ふと思い出す。灰色に曇った生温い都会のなかをトラックで抜けようとしていたとき、雨が降ってきた。坂道の下の交差点に立っていた若い女性が、空を見上げて顔をしかめた。不快感と敵意の充満したあのしかめっ面の醜さを、ドライバーは、瞬間、思い出した。あの女性は、不幸な女性にちがいない。 夏のアリゾナの、狂ったようなオレンジ色の空にシルエットになった雨嵐を、彼女は見たことがないのだ。

 荒野の黒い地表と雨雲の底とのあいだの空間は、ほぼおなじ幅で一直線になったオレンジ色のべルトだ。巨大な雨雲が、その上に乗っている。黄金色に縁取りされた稜線のむこうから、雨雲にかくされている太陽の光が、放射状にのびていく。その、きらめく光の彼方が、オレンジ色に燃える夕焼けの空だ。

 黒くシルエットになった丘のつらなりのむこうに、ささやかなトゥースンの町はのみこまれて見えない。その見えない町にむかって、いま長距離トラックが一台だけ走るハイウェイは、 まっすぐにのびていく。

 このハイウェイを何度走っても自分は決して飽きないという確信を、ドライバーはすでに彼の生き方にまで高めている。

 トラックがトゥースンの町に入るころには、雨はもうあがっている。遠い山なみの上に、丸い黄金の太陽が、ぽっかりと浮かんでいる。鮮烈な落日だ。森のハミングバードや荒野のボブキャットたちも、この落日を見ているにちがいない。

 荒野のなかにぽつんとひとつだけある風車が、見事なシルエットだ。サボテンや岩山が、今日もよろこんでその全身に夕陽を受け、自らを影絵に変えていく。

 視界を埋めつくしている平坦な荒野が、山なみの稜線についにひっかかった太陽の光を、ごく浅い角度で斜めに受ける。荒野は深い褐色の時間をこえて黒い影のなかに沈もうとしている。

 永遠の奇岩城のような岩山が、そこに、あそこに、平坦な荒野からいきなり巨大な量感をともなって、そびえる。風化して崩れ落ちた裾野から、岩山は垂直にそそり立つ。

 どの岩山も、夕陽を浴びる。

 影が、荒野の上に、途方もなく長くのびる。影の先端が、 ハイウェイにひっかかっている。岩山の頂上の影だ。

 いくつもの影になった部分と、タ陽に照らされている部分のなかを、長距離トラックは走っていく。そのトラックの影もまた、ハイウェイのむこうに長くのびる。

底本:『アップル・サイダーと彼女』角川文庫 1979年

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今日の一編

『アリゾナ・ハイウェイ』
表紙_アリゾナハイウェイ
別れの痛みとともにある人々を慰撫するのは、アリゾナのむき出しの荒野だけだ。


1979年 『アップル・サイダーと彼女』 アメリカ アリゾナ州 カウボーイ トラック ハイウェイ 晩夏 雨嵐
2016年8月30日 05:30
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