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キイチゴはどこに実っていたか

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 電話が、鳴った。

 きまぐれをおこして、ぼくはその電話に出てみた。

「私です」

 と、電話の相手は、言った。

 そうか、きみか。

 車を手に入れた、と彼女は報告してくれた。

 車をとりかえるつもりだということは、春さきから聞かされていた。

 この夏から秋いっぱいにかけて乗ってみて、ほんとに気に入ったら冬にも乗りつづけるという、アメリカ製のコンパーティブルだ。幌をおろせば、オープン・カーとなる。

 春なかばから梅雨まえまで外国にいってたので、オープンのアメ車さがしに時間がさけず、手に入れたのはつい二、三日まえのことだそうだ。

「素敵よ。まず、見た目が」

 と、彼女は、電話ごしに言った。

 べたーんと平たく、ずどーんと大きいのだと言う。

「せまい道からおもて通りへ、のっそおっと出てくるとこなんか、最高!」

 車名と年式を、彼女は、教えてくれた。

 かたちや雰囲気、それに乗りごこちを、ほんのりと思い出す。

 重さが四千五百ポンドもあり、エンジンは460キュービック・インチのV8。これだけ聞けば、どんな自動車だか、はっきりと頭のなかに思いうかべることができる。

 ぼくの記憶にまちがいがなければ、平べったさを強調するシンプルな線と面とで、すっきりとまとまっている車だ。すっきり、というところに、個人的な趣味が大きく入りこみはするけれど。

 エンジンその他のメカニズムも、いまのところ好調であるという。

「どこかへいきましょうよ」

 と、彼女は言う。

「いこう」

 とぼくが、こたえる。

「どこがいいかしら」

 こういう、ジェネラルな質問に、ぼくはまったく弱い。

 どこもみなそれぞれに素晴らしいと思うから、ほかのすべてをすて去り、ひとつだけを残して、ここ、と決めることがなかなかできない。

 いつもの優柔不断ぶりを発揮しつつ、ここでもない、あそこでもないとやっていて、問題解決の方向がすこし変わってきた。

 どこへ、というアプローチが、なにをしに、へと変わったのだ。

 これだと、取り組みやすい。

「キイチゴを食べにいこう」

 と、ぼくは、言った。

 彼女は、クールに笑った。

「面白いわ。最高にいい。あの自動車でキイチゴを食べにいくなんて、きっと私たちが最初よ」

 彼女は、キイチゴに、賛成してくれた。

 キイチゴにちょうどいい季節ではあったのだが、なぜ突然にキイチゴが出てきたのか、ぼくにはまったくわからない。

 しかし、とにかく、キイチゴを食べにいくことになった。

 日時を、まず決めた。週のまんなかだ。

 むかう方向を、おおよそ、決めた。このへんへいけばキイチゴがあるのではないだろうかと、ぼくも彼女も納得できるような方面を決め、そこへむかってみることにした。

 いくらキイチゴとはいえ、二泊三日は必要だろうということになり、そのつもりでいきましょうねと話し合い、ぼくたちの電話は終わった。

 約束の日、きめておいた時間に、きめておいた場所へ、彼女はあらわれた。

 いっしょにコーヒーを一杯だけ飲み、彼女が車をとめた駐車場へ歩いた。

 彼女が言っていたとおり、彼女の自動車は、平べったくて大きかった。平べったさはたいへんなものだが、大きさは、そんなに馬鹿でかいというわけでもなかった。

 これなら、キイチゴの実っている田舎の山道でも、そんなに無理せずにこなせる。

 そのキイチゴにむけて、ぼくたちは、出発した。

 東京から四時間も自動車を走らせると、あたりの景色や空気の感じが、キイチゴくさくなってきた。

 五時間をすぎたころ、高原のなかに抱きこまれるようにして静かに横たわっている、小さな町に着いた。

 この町で、すこし、休憩した。

 メイン・ストリートを、歩いてみた。夕方の、ほのかにオレンジ色の光が、高原の町の涼しい空気のなかを、斜めに射してきていた。

 素敵な女性といっしょだと、夕方はいつも、オレンジ色の光になる。波長の長い光を斜めにうけとめるとき、セクシーなものはよりいっそうセクシーになるから。

 みやげ物屋で、コケモモのプリザーヴ・セットというやつを、彼女は買った。

 コケモモを砂糖で煮て、ジャムのようなプリザーヴを自分でつくってみるための、セットだ。とりたての美しいコケモモがビニールの袋に入っていて、プリザーヴをつくって入れておくための、小さな可愛らしい陶製の壺とか、つくり方の説明書、高原の野生の木の小袋、壺とおそろいのスプーンなどが、いかにもそれらしくセットになっている。

 その日は、キイチゴには会えなかった。明日に期待することにして、ぼくたちは、高原のリゾート・ホテルに投宿した。若い女性むけの旅行雑誌のカラー・グラビアにフレーム・インしていく、という気分だった。

 明くる日は、朝早くから、キイチゴを求めて走りまわった。

 キイチゴ。高原の山道。平たくて大きいオープンのアメ車。この三つのとりあわせは、なかなか良かった。

 午後、峠をくだる県道の途中で、キイチゴがぜったいにある、とぼくが本能的に感じる灌木の茂みをみつけた。

 シエラ・カップを持ち、ぼくと彼女は、その茂みに入っていった。キイチゴは、いっぱいあった。黄金色の、可憐な実だ。夜半から夜明けにかけて降った雨に洗われて、ほんとうにきれいだった。

 カップに山もりとってきたキイチゴに、彼女がリゾートのスーパーで買ったハチミツを加え、水を入れて煮た。煮るためのごく簡単な道具を、ぼくは持ってきていた。

 キイチゴの味をそこなわないように気をつけながら、煮た。

 やがて、キイチゴのハニー・ジャムが、シエラ・カップのなかに、できあがった。

 ハチミツといっしょに彼女がスーパーで買ったフランス・パンを、オピネルのナイフで斜めに切り、キイチゴのジャムをのせて食べた。

 コーヒーをわかし、紙コップに入れて飲んだ。

 峠の風が、さわやかに、吹いた。ほんとうにさわやかだったのだから、さわやかと書くのがいちばん手っとり早い。

(底本:片岡義男エッセイ・コレクション『「彼女」はグッド・デザイン』太田出版 一九九六年)

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