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ふたりは一九六六年を思い出す

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 ビートルズが日本に来たとき、ぼくはいわゆる「社会人」となって仕事をしていた。フリーランスのライターとして、いろんな雑誌に文章を書くのが仕事だった。親しく仕事をしていたある雑誌の編集員から、ビートルズの記者会見にいかないかと、ぼくは誘われた。あるいは、ビートルズの記者会見にいってきてくれないか、と頼まれた。どちらだったか、記憶はあいまいだ。

 ぼくは、ビートルズの記者会見に、いかなかった。ほかに用があったからだ。当時のぼくにとって、大事な友人であったある女性が、ビートルズの記者会見のあったその日、日本からアメリカへいくことになっていた。彼女の目的は、とりあえずは留学だったのだが、日本を訪ねることはあっても帰国することはあり得ない、という覚悟での出発であり、ぼくはその日は空港で彼女の乗った飛行機を見送るまで、ずっと彼女といっしょにいる約束をしていた。約束を、ぼくは果たした。

 いまでも、その女性にときたま会う。彼女はアメリカに帰化していて、アメリカの金融界で要職についている。その彼女と、たとえばふたりで夕方の街のどこかにいて、BGMにビートルズの曲のストリングスによる演奏が聞こえてきたりすると、ぼくたちふたりは一九六六年を思い出す。「あなたは、ビートルズよりも私を選んでくれた人」などと彼女は冗談を言い、ぼくを苦笑させる。

 武道館でのビートルズのコンサートにも、ぼくはほかに用があって、いかなかった。入場券を二枚持っていたが、人にあげてしまった。誰にあげたのか、覚えていない。記者会見のビートルズと、ステージで演奏活動をしているビートルズと、ぼくはふたとおりのビートルズを、こうして逃してしまった。

 しかし、そのことを、ぼくはさほど残念には思っていない。見ておきたかった、という気持ちはたしかにあるけれど、写真やレコードをとおして接してきたビートルズだけによっても、ぼくはビートルズをぼくらしく受けとめることができた、という思いが強くある。

 写真とレコードを、それぞれ両極とすると、その中間のどこかに、動く映像としてのビートルズ、つまりフィルムにとらえられたビートルズがある。フィルムによるビートルズからも、ぼくは小さからぬ感銘を受けてきた。彼らの体の動かしかた、表情、そしてウィットとユーモアに富んだ応答のシャープさなど、ひょっとしたらレコードをとおして接する彼らの音楽よりもずっとぼくにとっては感銘的なのかもしれない、とぼくは思う。

 写真のなかのビートルズは、ぼくにとってはモノクロームだ。白と黒、そしてそのあいだに存在する無限の灰色の諧調によってとらえられたビートルズの四人のさまざまなイメージは、ぼくにとって大事なものだ。カラーによる彼らの写真を、ぼくは好まない。

 いまはもう消息のわからない、ひとりの女性の友人が、かつてスクラップ・ブックをぼくに見せてくれたことがあった。印刷物のなかで彼女の目にふれたかぎり、ビートルズのモノクロームの写真を切り抜き、丁寧に貼りこんだ、何冊ものスクラップ・ブックだった。

 写真集などは二冊買い、どの写真も切り抜き、彼女の思いにしたがって整理しなおしたうえで、貼ってあった。そのスクラップ・ブックを順番に見ていくと、リヴァプールの少年時代からはじまって、演奏活動を停止するまでのビートルズを、年代順に、数多くのモノクロームの写真によって、俯瞰ふかんすることができた。彼女の考えかたは、ビートルズはモノクローム、というぼくの考えと一致していて、ぼくたちはスクラップを見ながら、充実した時間を過ごした。

 演奏活動を停止する前後までのビートルズは、モノクロームの写真の被写体として、たいへんにすぐれていると、ぼくは思う。好きな写真が、何点もある。たとえば、ポール・マッカートニーの弟、マイケルが撮影した、キャヴァーンの地下での、ジーン・ヴィンセントといっしょのジョンとポールの写真など、何度見ても、そのたびに感銘は深い。マイケル・マッカートニーは、写真に関してはプロとして一流になれたはずの才能を持っている。

 写真をながめ、そしてレコードを聴いていると、やはりいちばん興味深い存在はジョン・レノンだったのかなあと、ぼくは思う。きっと、そうだろう。

 ビートルズが有名になりかけていた頃、あるいは有名になってまだ間もなかった頃、彼らは、ことあるごとに、ビートルズというちょっと変わった名前の由来について、さまざまな人たちから何度もくりかえし質問された。そして、質問されるたびに、名前の由来に関する彼らの説明はちがっていた。こういうところが、ぼくは大好きだ。質問されるたびにちがうことを答える、ということの中心にいたのは、ジョンにちがいない。いつもはすっかり忘れているが、ぼくはジョンの書いた本を、日本語に翻訳したことがある。

『ビートルズの芸術』というタイトルの本が、かつてあった。いまでは、ひょっとしたら絶版かもしれない。ビートルズをテーマにした、あるいは、ビートルズに触発されて生まれた、さまざまな芸術作品を写真に撮り、それを年代順にならべた、カタログのような、そして面白い試みのビートルズ論のような本だ。

 この本のなかに、リヴァプールでまだ学生だった頃のジョンを描いた、全身像の絵が収録してある。おなじ学校にジョンといっしょにかよっていた女性が描いたものだそうだ。このジョンが、素晴らしい。彼はまさにこのとおりだったにちがいない、とすくなくともぼくは確信しているほどのできばえであり、彼の雰囲気はもちろん、当時の彼のものの考えかた、態度、存在のしかた、眠っている才能など、彼に関するほとんどすべてが、この絵から伝わってくる。これまでにぼくがきわめて間接的に知り得たジョンを、この一枚の絵にぼくは帰結させているのかもしれないが、ビートルズはここからはじまったのだと、ひとりで勝手に思いこんでも、それほど見当ちがいにはならないだろう。

 この絵は、リヴァプールにあるビートルズ博物館に、現在でも展示してあると、ぼくの友人のひとりが言っていた。

(底本:『きみを愛するトースト』角川文庫 一九八九年)

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2017年6月28日 00:00
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