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ポンティアック

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 ほんのすこしだけ昔の、あるいは大いに昔の、アメリカの自動車についてあれこれ考えていたら、懐かしい名前をたくさん思い出した。かつてぼくが親しんだアメリカ製の大きな自動車たちの名前だ。

 一九六六年のポンティアック・グランプリという自動車を久しぶりに思い出した。ぼくが知っているのは、2ドアだ。ボディは黄金色で、ルーフは黒だった。黄金色といってもキンキラではなく、たいへんに渋くてなおかつ華やかな、くすんだ黄金色だ。ピッチングとか、制動時の重いノーズ・ダイヴのくせとかを思い出すと、その当時つきあっていた女性のことも連鎖反応的によみがえってくる。思い出すことがらのディテールが、こまごまと鮮明だ。

 一九六六年のポンティアック・グランプリによく乗ってくれた女性は、助手席のドアに体を押しつけるようにして乗るくせがあった。運転しているぼくからは、べンチ・シートのずっとむこうに彼女が遠のいてしまうので、車に乗っているあいだいつもぼくはなんとなく満たされない気持だった。ぼくのことがあんまり好きではないのかな、と何度か思ったりしたことも、いま久しぶりに思い出した。

 おなじく一九六六年には、マーキュリーのなんとかという、リンカン・コンティネンタルの亜流のような大きな車も、ごくみじかいあいだ持っていた。つきあっていた女性を彼女の家までその車で送るとき、せまい道を入っていかなくてはならなかった。コーナリング・ライトが生垣を照らし、その生垣のなかにいつもおなじ猫がすわりこんでいた。このマーキュリーには、二秒から十秒まで作動間隔を自由に選べるワイパーがついていた。彼女を乗せて小雨の日に河口かわぐち湖へいったとき、ワイパーを十秒にしておいたら、「このワイパーは故障なのかしら」と彼女が言った。

 その前の年、一九六五年のポンティアック・ボネヴィルのオープンのわきに、男の友人たち三人と立って真横から撮った写真を見たある女性が、「うしろにあるこの台はなに?」ときいたことがあった。前後のタイアの前に人が立ち、運転席のウインド・シールドのわきにぼくが立っていたため、オープンのボネヴィルは横に長いまっ平らな台のように見えてしまったのだ。

 なぜだかポンティアックばかり思い出す。シックな濃紺のポンティアック・テムペストに乗ってくれた日本女子大の美人学生は、車体後部側面についているネームを見て、「うわあ、これはシェークスピアだわ」といった。女子大生は、昔のほうが上等だった。

(底本:『すでに遥か彼方かなた』角川文庫 一九八五年)

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1985年 『すでに遥か彼方』 アメリカ ポンティアック・グランプリ 自動車
2017年6月7日 00:00
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