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道路の小説を書きたい

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 ぼくは日本の地形と気候が好きだ。地形も気候も、ともに独特であり、このふたつが重なりあった日本は、興味がつきない。

 この小さな列島は、亜寒帯から亜熱帯にまで、わざわざまたがるのを意図したかのように、細長い。複雑な海岸線を持ち、古い造山運動のおかげで、景色はなだらかさやおだやかさを中心にしている。日本のどこから自動車で走っても、海にむかって走るなら一五〇キロ走らないうちに海に出てしまう。

 気候は、雨の島だ。梅雨の頃に飛行機で外国から帰ってきて、機上から見下ろすと、その日本は、植物や樹の緑と勢いが、すさまじい。

 雨の島であることを土台にして、三六五日のなかに四つの季節がある。くっきりと四つに分かれた季節が一年のなかでひとめぐりするのだから、たいへんに目まぐるしい、せっかちな、常に追いたてられているような季節変化のなかに、人々は生活している。しかもこの目まぐるしさが、ある日を境にしてドラマチックに季節が変化するという変化のしかたではなく、一日また一日と小きざみに変化していくのだから、日本の季節変化はじつに面白おもしろい。人々の生活や気持ちの動きかたなどからはじまって、思いもかけない領域にまで、季節変化は微妙に、そして大きく、影響をあたえているはずだと、ぼくは思う。

 このような面白い日本のあちこちを見てまわるにあたって、もっともいいのは、いまでは在来線などと呼ばれるようになってしまった国鉄の、そして私鉄の、さまざまなルートによる旅だ。

 日本の鉄道の大部分は、いまとは比べものにならないほどに素朴な時代につくられたものだ。それぞれの地方の地形が、そのままその地方の経済であった時代のものだから、ルートはすべて地形に丁寧に沿っている。

 だから、日本が本来的に持っている魅力のようなものを、ぼくならぼくという個人のスケールでよくわかろうとするとき、なによりもいいのは、鉄道の旅を重ねることだ。日本にとっての、いっぽうの土台は農耕であるべきだというようなことが、はっきりとわかる。

 自動車で旅をするなら、昔からある街道がいい。鉄道のルートとおなじように、この街道も、地形に沿っている。鉄道と街道とによって、日本の形と性質がよく認識できる。

 在来線そして街道と対比して、新幹線および高速国道は、この国のいまの経済がなにによって成り立っているかを知るために、欠かせない。

 新幹線がマイナス面を多く持っていることはすでに誰でも知っているが、何度か乗ってみると次第によくわかってくることがあるのも、事実だ。この国のシステムが、いまなにを大事にし、なにをないがしろにしているか、身をもって体験できる最新の交通機関というものは、ほかのいろんな国へ広くでかけても、そうめったにめぐり会えるものではない。

 高速国道を自動車で走って旅をすると、おなじようなことが、新幹線の場合よりもっと直接的にわかるはずだと、ぼくは思う。あらゆるものをすべて効率の良し悪しでとらえる考えかたにぼくは反対だが、主としてそのような考えかたに支えられて存在する新幹線や高速国道がつくり出す面白さに関しても、ぼくの興味はつきない。

 以上のようなことをふまえて、道路の小説を書きたいと、かねてからぼくは強く思っている。道路を自動車で旅していくその移動の感覚だけでも、小説のテーマになり得るとぼくは思うのだが、そのような小説は、日本にはまだない。日本の北から南まで、高速国道でほぼ走れてしまうという状況は、小説にとってもたいへんに魅力的な素材だ。プラスの面もマイナスの面も含めて、道路というものは、きわめて人間的なしわざであり、すべての面白さはそこから発生してくる。

(底本:『きみを愛するトースト』角川文庫 一九八九年)

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2017年6月6日 00:00
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