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ロッキング・チェア

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 アメリカの中西部、人口が一〇〇〇名に満たない小さな田舎町の町はずれに、その家はあった。大平原地帯のまんなかにあるこのような小さな町の町はずれは、ようするにすでに大平原なのだ。見渡すかぎり大平原しかなく、たとえば外国からひとりでやってきて旅をしているときなど、すこし気が弱くなったりさびしい気持になったりしていると、取りつくしまのどこにもない、荒涼たる孤独を感じてしまって、どうにもならなくなったりするのではないだろうか。わかりやすく言うとこんなふうな、さびしくてだだっ広いところに、ぽつんと、その家は建っていた。

 小さな、平凡きわまりない造りの、民家だ。木造の二階建てで、二階のさらにうえには屋根裏部屋があったように記憶している。板壁には白いペイントが塗ってあり、張り出し窓やそのほかの窓の枠は、絵に描いたような赤い色だった。

 正面の、手すりのついた階段をあがると、玄関のドアの前から壁に沿って横長のスペースがあり、ポーチになっていた。このポーチのうえには、柱で支えられた軒が張り出していた。

 手すりのついた階段、玄関前のポーチ、そのわきにある張り出し窓、といったたたずまいは、きわめて平凡なものなのだが、平凡であるが故に、非常にアメリカ的でもあった。

 ぽつんとその家が一軒だけ建っていて、広い大平原のうえを斜めに射してくる夕陽を浴びてオレンジ色に染まったりしていると、なんとも言いがたい独特の風情があって、とてもよかった。

 この家の、玄関前のポーチに、椅子いすがひとつ、あった。なんのてらいもなく、ただひたすら椅子であることに徹したようなつくりの質実剛健な、ロッキング・チェア(ゆり椅子)だ。

 そのロッキング・チェアは、ポーチぜんたいに、そして、その家ぜんたいに、さらには中西部の大平原ぜんたいに対して、よく似合い、調和していた。

 この家がオレンジ色の夕陽をまともに浴びるころ、ロッキング・チェアもまた、深い色に染まるのだった。

 ポーチのフロアに、そして、長い年月をへてきた板壁のうえに、ロッキング・チェアは、大平原のむこうに太陽が落ちていくにしたがって、いろんな面白いかたちの影をつくった。

 まわりに広がっている大平原や、人口が一〇〇〇名に満たない小さな町とおなじように、この平凡な民家も、そしてポーチのうえに置いてあったロッキング・チェアも、ちょっとした歴史を持っていた。

 かつてこのポーチで遊んだ子供たちはいつのまにかティーンエージャーになり、デートの相手に送ってもらってきては、このポーチで手を握りあっては愛を語り、おやすみなさいの口づけを交わした。さらに成長した彼らのうち、たとえばあるひとりは兵士となってたまの休暇に帰ってきたりすると、まだ少年らしさの抜けていない顔に軍隊の制服が似合うと言えば似合う、似合わないと言えば似合わない不思議な様子の彼は、このポーチで父親と語り合ったりした。父親がロッキング・チェアにすわり、息子はポーチに腰をおろし、柱に背をもたせかけて。

 そしてその息子が戦死して帰ってくると、ポーチのロッキング・チェアにすわって、母親は近所の人たちから、なぐさめをうけた。戦場から届く息子の手紙を、朝陽を浴びながら読んだおなじロッキング・チェアにすわって、母親は自分の息子が生前いかに素晴らしかったかを、近所の人たちに語らねばならなかった。近所と言っても、自動車で何キロも走ってきた人たちだ。

 いまでは、ほかの子供たちの子供、つまり老いてなお健在な父親や母親から見れば孫にあたる子供たちがたまに訪ねてくるとき、このポーチは、みじかい時間、彼らの遊び場になる。おじいさんはロッキング・チェアにすわり、幼い孫たちに昔のことを語って聞かせる。

 秋が深まって寒くなると、このロッキング・チェアは、冬のあいだずっと、家のなかのあたたかいウッド・ストーブのわきに置かれている。おばあさんが手芸をし、おじいさんが新聞を読む。

 春になり、あたたかくなってくると、ロッキング・チェアは、ポーチに出される。夏のはじめ、陽が傾いてから沈むまでの長い時間を、おじいさんはこのロッキング・チェアにすわって、ひとりですごしたりする。

 ポーチから一〇〇メートルほど離れたところに、道路がある。旅をしてきたぼくがこの道路を走ってきて、その民家をはじめて見たのは、夏のはじめのころだった。

 中西部の大平原のなかを自動車で朝から走りづめに走り、夕方になってようやく目に映じた一軒の家が、この家だった。

 家ぜんたいに、夕陽が当たっていた。ポーチもなにもかもオレンジ色に染まっていて、ロッキング・チェアにひとりですわっていたおじいさんは、椅子といっしょにポーチのうえに長い影をつくっていた。

 旅の一日の終りにはじめて見た人の姿にほっとしたぼくは、自動車で走っていきながら、ポーチのおじいさんに手を振った。おじいさんは、ゆっくり、手を振ってかえした。

 それから何度か、ぼくはその家の前をとおった。いつも夕方だった。ポーチのロッキング・チェアには、おじいさんがいた。

 ある日の夕方、車をとめたぼくはポーチまで歩いていき、おじいさんに話しかけてみた。とおるたびに車から手を振っていたぼくにおじいさんはたいへんな好意を示してくれ、ロッキング・チェアの歴史を含めて、いろんなことをぼくに語ってくれた。

 (底本:『ターザンが教えてくれた』角川文庫 一九八二年)

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