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六〇年代

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 バード。ブーガルー。ブリストル・ストンプ。フレディ。フラッグ。ファンキー・チキン。ヒッチハイク。ハックルバック。ハリー・ガリー。ジャーク。リンボ。ロコモーション。マッシュド・ポテト。モンキー。ポニー。シンガリン。スロップ。スイム。ツイスト。ワッシ。以上、二十とおりの呼び名が、いったいなにの呼び名だかわかるだろうか。おしまいから二番目のツイストのおかげで、どうやら踊りの呼び名らしいということは見当がつく。一九六〇年代のアメリカでさかんに流行したいろんな新しいダンスのなかから、ポピュラーなものを二十種類だけ選び出すと、こんなふうになる。

 この二十とおりのなかで、一九六〇年代を代表する踊りと言っていいほどに全米に大流行したのは、やはりツイストだった。きまったステップや踊り方があるわけではなく、フロアに出て好きなように踊ればそれでいいという、じつに単純な踊りだった。ハンク・バラードが書いて自分でうたった『ザ・ツイスト』という曲はすでにかなりよく知られていたが、この曲に踊りをつけ、ツイストを踊りとしてヒットさせたのはチャビー・チェッカーという歌手だった。踊りのアイディアをいろいろと考えていたとき、七歳の弟がやってみせた踊りをそのままちょうだいして完成したという踊りだから、最初から単純なのだ。両ひざをすこし折って腰を落としぎみにし、その腰を中心にして体を右に左にひねりつつ振る、という踊りだ。創案者のチャビー・チェッカーは、「地面に落とした二本の煙草を両足で同時に踏みにじって消しつつ、タオルの両端を持ってお尻をふいているような動作を、音楽のビートにあわせてすればいいだけ」と言っている。踊り方は単純で簡単だが、「ツイストは革命的な踊りなのだよ」と、チャビー・チェッカー、本名アーネスト・エヴァンスは言う。「ツイスト以前の踊りは、男女がパートナーの手をとったり相手の体に触れたりしてふたりで踊っていたのだけど、ツイストからは相手が必要ではなくなり、誰もが自分ひとりで踊れるようになったのだから」

 大流行した、というような平凡な書き方がきまり悪くなるほどにツイストは流行した。日本でも、さかんだった。色がまっ赤で、表面がエナメル処理によってピカピカに光っているツイスト・シューズという靴があった。トム・マッキャンというメーカーがつくって売り出し、チャビー・チェッカー自身が「ツイストを踊るときはこの靴できまりですよ」と、エンドースしていた。世の中はしばらくのあいだなんでもかんでもツイストとなり、ツイスト葉巻、という葉巻があったりした。三本の細い葉巻をツイストして(よりあわせて)一本にしてあるという、呑気なものだ。

 一九六〇年代のアメリカに、冷蔵庫レース、という競争があったのを知っているだろうか。大人の背丈をこえるような大きな冷蔵庫を平坦で細長いコースの一端に立て、女性ひとりがヨーイ・ドン!でその冷蔵庫をコースのむこうの端まで押していく。そしてそこで冷蔵庫のなかに野菜その他の食糧品をいっぱいにつめこみ、スタート地点まで押してもどってくるのだ。コースが何本もあって冷蔵庫がいくつもならび、何人もの女性がその冷蔵庫を押してレースする。プロ・フットボールの試合のハーフ・タイムに、たとえばホットポイント社のようなアプライアンス・メーカーがスポンサーとなり、こんなレースを余興としておこなっていた。そしてこのような信じがたい出来事をひと言で表現する当時の言葉は、インクレディブル、だった。

 カーネーション、という有名な食品メーカーが、インスタント・ブレクファストという食品を売り出して大ヒットをとったのは、一九六〇年代のなかば、一九六五年のことだった。一回の朝食に必要な栄養がすべて含まれているという粉末で、一回分ずつ袋づめにしたものがいくつか箱のなかに入っていた。ミルクに溶かして飲めばそれで朝食は終わりだ。味は、ミルク・シェイクのようだった。

 自分の家できちんと朝食をとってから仕事に出かける人はふたりにひとりだ、という当時の統計調査が示すとおり、時間がないことを理由に朝食を省略したりあるいは極端に簡略化するという習慣が、一九六〇年代なかばにはすでにできあがっていた。だから、インスタント・ブレクファストのような食品がヒットした。

 大人が朝食をきちんと食べなくなってしまうと、残るのは子供だけだ。この子供を狙って、一九六〇年代のアメリカでは、子供むけのブレクファスト・シーリアルの種類が急激に増えた。コーン・フレークスやパフド・ライスのようなシーリアルに砂糖の衣をつけ、いろんな香りや色をつけたものだ。子供の目をひくよう、内容とパッケージにいろんな工夫がしてあったが、大人の目で見ると、どれもみなおなじに見えた。リンゴ、シナモン、オレンジ、チョコレート、ストロベリー、パイナップル、キャラメルなど、例によってありとあらゆる甘い味と香りのシーリアルが、人を馬鹿にしたような商品名とパッケージのもとに、スーパー・マーケットの棚にならんだ。ボウルに山盛りにし、ミルクをかけて食べると、食べ終わってボウルの底に残っているミルクがまっ赤だったりまっ青だったり、あるいはいろんな色の混在だったりして、アメリカ的に悲しかった。

 というふうに、一九六〇年代のアメリカについて断片的なことを書いていくと、際限なくつづきそうだ。いまぼくは『六〇年代』というタイトルの本を見ているから、なおさらだ。一九六〇年代のアメリカについて書いた本はすでに何冊もあると思うが、ジョン・アンド・ゴードン・シャヴナのふたりが共同でつくったこの本『六〇年代』は、日常生活のささやかなディテールという極小から国際政治や宇宙開発といった極大まで、できるだけたくさんの写真と説明文とでアメリカの六〇年代を回顧してみようという方針の本だ。当時の国際関係のなかでアメリカがどう動いたとか、国内の政治や経済はどんなふうになっていたのか、といった視点が大幅に欠落しているぶんだけ、日常生活のディテール、特に流行という分野に力を入れているから、六〇年代のアメリカの、日常生活のディテールをひろうにはとてもよく出来た参考書だと、ぼくは思う。

 一九六〇年代は、アメリカにとってたいへんな時代だった。結論だけをひと言で言うなら、その後に大きく尾を引く大失敗をした時代だ。一九五〇年代という、若いけれども明らかにぜい肉のまわった青年期を終わったとたんに、JFKがニュー・フロンティアとうまく表現したようなまったく新しい時代にアメリカは入っていった。その新しい時代のリーダーであるケネディ大統領が一九六一年に登場したまではよかったのだが、そのケネディを、アメリカの本流は、自分たちにとって都合の悪い邪魔者として消してしまった。ここが大失敗のはじまりで、これ以後、ヴェトナム戦争、ウォーターゲイトと大きなショックがつづき、アメリカは未来をうまく読むことのできない不確実な時代のなかで、どんどん弱くなっていった。

 第二次大戦後の青年期を脱し、新しい力へと生まれ変わろうとするときに自ら大挫折した時代が、アメリカにとっての一九六〇年代だった。このたいへんな十年間を埋めた三千数百日分の日常生活の断片が、『六〇年代』という本のなかにコレクションしてある。どんなにたいへんな時代であっても、日常生活、特にこまかなディテール部分は基本的にとても呑気なものなのだということが、この本をながめているとよくわかり、ディテールのひとつひとつに感概のようなものを覚える。

『紙のプールで泳ぐ』新潮社 1985年所収
底本:片岡義男エッセイ・コレクション『自分を語るアメリカ』太田出版 1995年

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今日の一冊|romancer-books04|『エルヴィスから始まった』

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blog170102|エルヴィスから始まった|ロマンサー文庫04|公開]2016年4月より木曜に掲載してきた『エルヴィスから始まった』(『ぼくはプレスリーが大好き』改題)を電子書籍として無償公開しました。

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1960年代 1985年 1995年 『紙のプールで泳ぐ』 アメリカ エッセイ・コレクション 片岡義男エッセイ・コレクション『自分を語るアメリカ』
2017年2月26日 05:30
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