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禁止することの快感

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ー2004年4月5日*ー 「まえがき」参照

 ヴィザなしでアメリカに入国し、九十日までは滞在することの出来る短期の旅行者に対しても、指紋の押捺と顔写真の撮影が強制されることになった。入国管理のゲートで両手の人さし指を左手そして右手と、ガラス板に当てて指紋を採取する。入国管理官のデスクには電子カメラがあり、それで短期入国者の顔を撮影する。膨大な数の入国者を入り口のところで厳しく管理しようというわけだ。今年の九月三十日までに全米で開始される。

 アメリカに入国するためのヴィザの発給に、いまでは平均して三か月という時間を必要としている。警戒研究分野一覧という資料を国務省が発行している。これに掲載されている領域のどれであっても、専門に研究している人がアメリカに入ることはきわめて難しい。9・11以後は警戒指定される分野の数が百五十にまで増えたそうだ。テロリストあるいはその予備軍が、どこか外国からアメリカへ来て最新の技術を身につけて持ち帰り、やがてそれをアメリカに対するテロ攻撃に使うのではないか。9・11以後のアメリカは、こんなふうにおびえる国になった。おびえや不安、そして恐怖は際限なく拡大されていく。だから専門の研究者だけではなく、ごく一般の観光客もすべて、厳密な警戒の対象となった。

 新聞が報道したところによれば、アメリカの大学や研究機関への留学生の数が激減している。大学院では半減し、学部でもおなじく半分に近い減りかただという。入国するまでに手間や時間がかかりすぎ、ほんのちょっとしたことでテロ行為の容疑者なみに取り調べられたりすると、アメリカではなくほかの国にしよう、と考えなおすのは当然のことだ。その直接の結果として、希望を抱いてアメリカへ入って来ようとする有為の人材が、早くも目に見えて減りつつある。

 あらゆる領域における自己向上の機会が社会制度として豊富にあり、しかもそのどれもが誰に対しても開かれているという、世界でも稀に見る自由な豊かさ。英語能力がゼロに近い人にもよく理解出来るほどの、開放世界という普遍的な価値。この抗しがたい魅力が、世界のいたるところから、優れた人材をアメリカへと大量に引き寄せ続けた。彼らはアメリカで自己を存分に向上させ、それと同時にそれまでは存在しなかった新たな価値をなんらかのかたちで創造し、それによってアメリカの魅力をさらに高めた。そしてその魅力がさらに新たな人々を招き寄せる。アメリカは移民の国とはこういうことだ。優れた人材とともに、お荷物でしかない人たちもたくさん入ってくるけれど、大量のトラッシュを引きずって前進していくのが、真の民主主義というものだ。

 アメリカをひとつの大きな拠点にして、人材の大循環経路が、世界じゅうに構築されていた。アメリカが世界最強国になったのは、これがあったからにほかならない。そしてこの人材の大循環経路を、アメリカはいまみずからの手で閉じようとしている。国の大方針としてトップがそのように決定した。その決定はあらゆる階段を下って、末端というぜんたいの隅々にまで浸透しつつある。アメリカは禁止や拒否の国へと向かおうとしている。

 末端で管理や警備を担当する人たちは、禁止する、許可しない、拒否する、受け付けない、削除する、剥奪するといった、これまではほとんど無縁だった、したがって禁断の木の実だった快感を知ってしまった。この快感がいまあらゆる領域や層に広がろうとしている。こうした禁止や拒否の快感は、末端における裁量でいくらでも新たに作り出すことが可能だ。したがって禁止や拒否に関するマニュアルは、たいへんな速度で自己増殖していく性質を持つ。

 たいした根拠もなしにただ禁止したり拒否したりすれば、それが自分たちの国を守るという最高度にクリエイティブな仕事となるのだから、末端の管理者や警備者たちは禁止や拒否のマニュアルを手放さない。うまくいっているとは言いがたい人生の虚ろな部分を、禁止や拒否の快感は見事に埋め合わせてもくれる。社会主義に関して世界でもっとも奥手だったアメリカが、社会主義のいろはやABCである禁止と拒否の快感に、夢中になろうとしている。

底本:『影の外に出る──日本、アメリカ、戦後の分岐点』NHKブックス 2004年

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2004年 『影の外に出る──日本、アメリカ、戦後の分岐点』 アメリカ 民主主義
2017年2月12日 05:30
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