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波乗りとは、最終的には、心の状態だ

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 ヨーロッパ文明と接触する以前の、大昔のハワイ人たちは、文字を持っていなかった。だから、すべてのことが、喋る言葉によって、伝えられていった。

 ハワイ諸島の創世伝説とか、昔のキングに関する記録のような言い伝えとか、さまざまな内容のことが、口づてにいまでも残っている。もっとも、いまでは、昔のハワイ語の音が、英文字による音に置きかえられてはいるけれど。

 大昔から伝わるハワイのロ承の中には、サーフィンに関するものも、たくさんある。丹念に読んでいくと、昔のハワイでの人々の生活の中に波乗りがどんなふうに密接にからんでいたのか、よくわかるのだ。

 まず驚かされるのは、サーフィン用語だ。現代にも、サーフィンに関して使われる面白い言葉がたくさんあるけれど、何百年も前のハワイ人たちもまた、微妙なニュアンスや意味のちがいを持ったサーフィン用語を、完成させていた。そのうちのほんのすこしだけども、紹介してみよう。

 AHUA(アフア) 沖で砕けた波が、もういちど盛りあがって砕ける、岸に近いあたり。KIPAPA(キパパ)、あるいはPUAO(プアオ)とも言う。
 ALAIA(アライア) コア、あるいはパンの樹から削り出して作ったサーフボード。ノーズが幅広になっていて、テイルにいくにしたがってテーパーしているボードだ。OMO(オモ)とも呼ばれている。
 HE E(へエ) 滑走する、サーフする、という意味。
 HE E NALU(へエ・ナル) サーフボードに乗って滑走すること。サーフ・ライディング。
 HE E PUEWAI(へエ・プエワイ) 河を河口にむかう。あるいはその反対に河をのぼっていく、という意味。
 HE E UMAUMA(へエ・ウマウマ) ボディ・サーフィン。
 HEIHEI NALU(へイへイ・ナル) サーフボードに乗って波を滑るレース。
 HONUA NALU(ホヌア・ナル) 砕けていく波の、底の部分。
 HUIA(フイア) ふたつの波がいっしょになって出来る、特別に高いひとつの波。ハワイ島のカイパロアオアに出来るサーフが、これだということだ。
 KAHA(カハ) サーフ・ライディングをする。ボディ・サーフィンをする。
 KAHA NALU(カハ・ナル)ボディ・サーフィン。
 KAKALA(カカラ) アライア・ボードを使って乗るサーフ。カールのことだ。
 KIKO O(キコオ) 全長十一フィートから十八フィートのサーフボード。荒い波に向いているけれど、扱いはむずかしい。
 KIOE(キオエ) 小さなサーフボード。
 KIPAPA(キパパ) サーフボードに腹ばいになっているポーズ。あるいは、沖で砕けた波が、もういちど盛りあがって砕ける、岸に近いあたり。
 KALUNA NALU(カルナ・ナル) サーファーがパドリングしてサーフをつかまえる地点。
 LALA(ララ) 右へむかって砕けていくサーフ。あるいは、砕けるサーフを斜めに滑っていくこと。
 LALA MUKU(ララ・ムク) 左へむかって砕けていくサーフ。あるいは、サーふの海岸に面したほう。
 LAULOA(ラウロア) 海岸のいっぽうの端からはじまってむこうの端まで砕けていく、長い波。

 昔のハワイの人たちが使っていたサーフィン用語の、これはほんの一部分だ。ひとつひとつ、その意味が指し示す具体的なものや情景を考えていくと、とても楽しい。昔といまとでは、サーフボードやその性能がまるでちがうから、現在の高度なサーフィン・テクニックとおなじことを意味している言葉は、ほとんどない。

 でも、自分たちのサーフィンのぜんたいを、そして、あらゆる部分を、なんとか言葉で表現したいという強い欲求にかられ、ひとつひとつ、言葉を作っていった昔のハワイの人たちの気持ちのようなものは、確実にくみとることが出来る。

 サーフ・ライディングのような、ほかのあらゆることに比べて群を抜いて素晴らしいことに関しては、誰だって、多くのことを語りたくなってしまう。微妙なニュァンスを簡単な言葉で的確に語りたいと思うとき、人は新しく言葉を作ってしまう。こんなふうに自分たちでさまざまに言葉を作りながら、大昔のハワイ人たちは、サーフィンについて、さかんに語っていたのだ。語り、うたい、伝説を作り、現実にあった出来事を、ロからロへと、伝えていった。

 サーフィン用語を作っただけではなく、サーフ・ライディングにふさわしい波の出来る場所には、彼らはひとつひとつ名前をつけていたし、特定の場所に出来る波にも、名前をあたえたりしていた。サーフィンに関する伝説口承物語を作っていくなかで、登場人物の名や、その場所の名にちなんだりして、波や波の出来る場所の名前が、作られていった。

 ワイキキは、昔はオアフの酋長たちの寄り合い場所として有名だった。この、ワイキキの沖に出来るサーフには、カレフアウエへという名前が、あたえられていた。そして、カレフアウエへからさほど遠くない現在のホノルル港には、ケ・カイ・オ・ママラ(ママラの海)という波が立つので知られていた。

 大昔のホノルル地区は、コウと呼ばれていた。港はもちろんまだ出来てはいず、珊瑚礁に天然のせまい水路がある、というだけのところだった。陽陰がすくないから暑く、風が吹けばほこりっぽいので、港のあたりは一等地ではなかったようだ。

 ケ・カイ・オ・ママラの波は、ココナツの樹がかたまって生えている小さな森のある珊瑚礁の入口にむかって、じつに美しく、寄せてくるのだった。ココナツの森にも名前がついていて、ホノ・カウ・プと、呼ばれていた。ケ・カイ・オ・ママラという名前は、オアフ島の酋長のひとりであり、サーフ・ライディングの腕前でも知られていたママラという女性にちなんでいる。

 ママラは、はじめ、オウハという男と結婚していた。だが、ココナツの森の所有者である男、ホノカウプが、ママラを自分の妻にしてしまい、共にオアフ島を去っていった。

 オウハは、人間のかたちをしているのはじつは仮の姿であり、ほんとうは、シャークだった。自分の妻を奪われたこと、そして、奪われた妻をとりかえそうとしたことをほかの女たちから笑いの種にされて腹を立てたオウハは、仮の姿をかなぐりすて、ワイキキからココ・へッドまでの岸を治める巨大なシャークの神となってしまった。このママラを記念して、ハーバーのサーフは、ママラの海、と名づけられた。

 ママラをめぐる三角関係をうたった『ホノカウプの歌』という歌が、残っている。その一部分を日本語にすると、次のようだ。

  コオラウにサーフが盛りあがる
  波は砕けて霧となり
  小さな水滴となり
  飛沫は奥の港に降りかかる
  そこに私の夫、オウハがいる
  ゆれ動く海、流れていくコウの海
  山からくる風のかぐわしく
   ……中略……
  私はいまホノカウプのもの
  砕け落ちるサーフの頂きから来た人。

 のんびりした気分と神秘的な感じが、ほどよく混合されていて、このような口承サーフィン物語は、なんだかとても面白い。いろんな物語が、ずいぶんたくさんある。

 サンセット・ビーチの名で呼ばれているオアフ島の北海岸は、その沖に出来るすさまじい波によって、昔のハワイでも、よく知られていた。このサンセット・ビーチのあたりは、昔は、パウ・マルと呼ばれていた。近くにおなじ名前の峡谷があり、その名にちなんだのだ。パウ・マルのサーフにまつわる伝説物語をひとつ紹介しておこう。

 パウ・マルのサーフについて聞き知ったカウアイ島のプリンス、カヒキラ二は、サーフィンの腕前をためすため、海を越えてオアフ島にやってきた。パウ・マルに着くとすぐに、カヒキラニはサーフィンをはじめた。毎日、大波に乗ってすごした。

 このカヒキラニを、人間の乙女のかたちをした超自然的な能力を持った鳥が一羽、見守っていた。サーフィンのうまいカヒキラニを、毎日、彼女は、見ていた。

 やがて彼女はカヒキラニに惚れてしまい、一羽の鳥をカヒキラニのもとに飛ばした。カヒキラニの首に、持っていったレイをかけさせ、自分のところへ連れてこさせたのだ。カヒキラニの頭上を、円を描いて飛び、その鳥は乙女の住む峡谷まで、彼をみちびいてきた。

 サーフィンのシーズンが再びはじまるまでの数か月、カヒキラニは、彼女のもとで、すごした。

 パウ・マルの大波が地鳴りのような音を立てて砕ける季節になると、カヒキラニは、女のことなんか、どうでもよくなった。サーフボードで沖に出たくてたまらなくなってしまったのだ。

 ほかの女とはぜったいにロづけをしないという固い約束をかわして、ようやくカヒキラニは、峡谷の愛の巣を出て、パウ・マルの大波にむかうことが出来た。カヒキラニは、しかし、ほかの女性と、ロづけをしてしまった。

 沖の大波にいい調子で乗っていると、海岸のむこうから美しい女性がひとり、歩いてくるではないか。カヒキラニが波に乗って砂浜までくると、彼女は彼の首にレイをかけ、口づけをした。ちょっときれいな女性からいきずりにロづけされることなどなんとも思わないカヒキラニは、沖へ出ていき、サーフ・ライディングをつづけた。

 だが、空から鳥が見ていた。鳥乙女の部下の鳥だ。まっすぐに峡谷に飛んで帰り、たいへんでございます、たいへんでございます、だんなさまがよその女と甘いロづけをはげしくおかわしになりましたと、告げ口した。

 彼の妻はレイをひとつ持ち、サンセット・ビーチまで走った。カヒキラニの首にかかっている、よその女のくれたレイをはずし、自分の持ってきたレイにかけかえた。そして、峡谷にむかって、走って帰った。

 カヒキラニは、彼女を追った。山の峡谷へのぼっていく坂道の途中で、浮気なサーファー、カヒキラニは、悲しい最期をむかえた。カヒキラニは、岩になってしまった。彼の妻の超能力によって岩にかえられたカヒキラニは、いまでも岩のまま、その坂道の途中に、重く静かに、立ちつくしている。サンセットのロッキー・ポイントからカメハメハ・ハイウエイを越えておよそ半マイル。観光旧跡のひとつとなっているジョージ・ワシントン岩が、それだ。なんとなく人のかたちをしているとはいえ、このような由緒ある岩に、ジョージ・ワシントン・ストーンなどという名をつけるのは、いったいどこの馬鹿だろうか。観光局で働く、メインランドから来た白人にちがいない。

 このようなサーフィン伝説の中から、大昔のハワイ人たちがサーフィンをおこなっていたエリアを、さがし出すことが出来る。いずれサンセットへいったら、カヒキラニにプリモでもかけてあげてほしい。まえにも書いたように、大昔のハワイでは、男性も女性も、平等に、サーフィンに参加していた。いま女性のサーファーはまだ多くないけれど、昔は、数多くのワヒネたちが、腕のいいサーファーだった。

 昔のハワイでの生活は、数多くの宗教的なタブーによって、しばられていた。カースト制度は厳しく、女性は男性よりもおおむね低い位置に置かれていた。

 だけど、サーフィンだけは、男女の差別や格差がなく、カースト制度も通用しなかった。酋長やキングだけに許された型のサーフボードや、平民が使ってはいけない波やエリアはあったけれど、それ以外では、誰もがまったく対等に、自由に、サーフ・ライディングをおこなうことが出来た。

 波乗りは、全員のものだった。昔のハワイでサーフィンがとてもポピュラーで、しかも人々が熱心にそれと取り組んだ理由は、ここにあるようだ。男と女が、階級をこえて、いっしょに楽しめるサーフィン。だから、サーフィンの口承伝説には、恋物語が多い。

 男と女が、おなじひとつの波に乗って岸までたどりつけば、そのふたりがまったく他人どうしであっても、岸にあがったのちかなり親密になっても、ほかの人々から許容されるというきまりのようなものもあった。女がさきに沖へ出ていく。あとから、男も、沖へいく。ふたりしてひとつの波に乗って岸へ帰りつけば、その日は一日ずっと、おおっぴらにふたりだけの時間をすごすことが出来た。いい波の出来ている日は、社会公認の浮気の日でもあった。

 そして、サーフィンは、もっとちゃんとしたかたちで男と女が近づきになっていけるきっかけでもあった。想いをかけている異性の近くでサーフ・ライディングしながら腕前を見せては、それを無言の口説きにすることができた。沖のサーフに、数多くの色恋ざたが、いろんなかたちで、からんでいた。

 サーフィンは単なるスポーツをこえている。それは心の状態なのだということについて、ここからつづけてさらに書こう。書くにあたって、『サーフィン ハワイのキングたちのスポーツ』という本が大いに役立っている。ベン・フィニーとジェームズ・ヒューストンが一九六六年に出した本だ。ベンがハワイ大学の人類学のコースでMAの論文として書いたものを土台にして出来た本だけに、調査はいきとどいている。

底本:片岡義男エッセイ・コレクション『僕が書いたあの島』太田出版 1995年

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2017年1月7日 05:30
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