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ブックストアでのめぐり逢い

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ー面白い本を夢中で読んでいくときの、その楽しさや面白さのもっとも中心になるものは、なにだと思いますか。*

 ここに一冊の本があって、その面白さは保証されているとして、たとえばぼくがその本を読むなら、その本だけを読む、ということは不可能なのです。まるで読みとり機械みたいに、その本のなかに書いてあることだけを、ほかのことはいっさいなしに、それだけを読んでいくことは、幸いなことに人間の頭には出来ないのです。

 その本を読みつつ、その人は、頭のなかにじつにさまざまなことを記憶のなかから呼びもどしつつ、読んでいくのです。もっともわかりやすい例は、たとえば小説の情景描写ですね。どんなに詳しく描写しても、それは現実と比較するとまるでお話にならないほどに不充分なのですが、読者には充分に伝わるし、その描かれた情景のなかへ読者を強く引っぱりこんで、感銘すらあたえることが出来るのです。これは、読者が補って読んでくれているからです。読みながら、読者は想像しているのですね。それまでのその人の体験の記憶を、頭のなかで自由自在に動員して、読んでいくのです。読者の頭は、補完作業をしてくれています。あたりまえのことですけれど、これは非常に大事だと思います。なぜかと言うと、その補完作業は、じつはきわめて創造的な頭脳行為だからです。補完と言うと、なにか完全に受身のような印象がありますけれど、受身ではなくて、たいへんに積極的な行為なのです。

 どうしてそれが積極的で創造的な頭脳行為かというと、いま目のまえにあって自分が読んでいる本から刻々と視覚をとおして受けとめていることがらが、頭のなかに呼び出されたさまざまなことがらと、刻々と結びついていくからです。ごく簡単に言うと、本から受けとめることとすでにその人の頭のなかにあることとの、まるで異なったふたつのことがらが、頭のなかで刻々と結びついていくのです。

 それまでは結びつけることなど考えてすらみなかったまるで異なったふたつのことがらが、どんどん結びついていくのです。しかも、それは人間の頭のなかの出来事ですから、ものすごい数だとぼくは思うのです。一冊の本を読みながら、一秒また一秒と、これとあれが、あれとこれが、かたっぱしから結びついていくのです。意識的ではなく、意識のすぐ下のあたりでおこなわれる作業のような気がしますから、とんでもないものがおなじくとんでもないものと結びついて、しかもその結びつきの数は、当人にすらとうてい自覚できないほどに、途方もなく多いはずです。

 本を読む、という行為のもっとも面白い部分は、ここだと思います。本を読む、というその行為はほんとにきっかけにしかすぎなくて、読んでいくその時間の内部で、刻々と、それまではなかった結びつきが起こってきます。

 ひらめき、と言ってもいいですね。本を読むことによって、無数のひらめきが手に入るのです。創造的なひらめきとかアイディアの本質は、本来は結びつくことのないふたつのまるで異なったものが、その人の内部でその人の個性に呼応した独特の感銘をともなって、突然に結びつくことにあります。

 こういう創造的なひらめきを、ぼくなりに図解的に説明すると、その図解は、時間の重層ですね。さまざまな内容をはらんだ、いくとおりもの時間が重なりあっていて、その何層もの重なりあう時間のなかを、まるで稲妻のように、ひらめきが走るのです。たとえば、Aという時間のなかの X 点、Bという時間のなかのY点、Cという時間のなかの Z 点というような、一見したところ絶対に結びつかない三点を一瞬に結んで、アイディアの稲妻が走るのです。これが、図解的に単純化して説明した、創造的なひらめきです。たとえば天才は、この稲妻の走る層がものすごく厚いのでしょう。そして、ちょっと信じられないほどに複雑に稲妻が走るのだろうと、ぼくは思います。何重もの時間の層が、天才の頭のなかにはあるのです。

ー活字離れという言葉がありますけれど、そうすると、活字から離れるなら天才からも離れますね。

 そうです。創造離れです。管理が進んできて、その管理に身をまかせる人が多くなると、ごく当然のこととしてその人たちは本を読まなくなるはずです。管理に身をまかせてしまった人たちには、日常という時間がペらっと一重あるだけで、しかもそれで充分にやっていけるのですから、そんな本読んでどうすんだよう、というようなことにたちまちなります。本を読まない、ということは、管理の洗練された進行と比例しているはずです。しかも、管理を進めていく側からすれば、本を読んでひらめかれたら、困るというかやっかいであるというか、そんな感じも確実にあるでしょうし。馬鹿になっていてもらえば、もっとも楽に管理出来るのですから。一冊の本を読むまではまるで結びつかなかったふたつのことがらが、その一冊の本を読む行為をきっかけにして結びつき、ははあ、そうか、これは面白い、というふうにひらめいて新しい世界を人がひとつ手に入れることは、管理の側にとってはやっかいなことでしょう。どこでどのようなひらめきが起こるか予測出来ないのですから。

ー日常のなかのこまかな凸凹にべったりと貼りついた時間は、一重なのですね。稲妻のひらめきようもないですね

 不毛もここにきわまった、という生きかたでしょう。私生活はまるで充実しないですね。私生活の充実は、おそろしく大事な問題であり、充実させる第一歩は、たとえばちゃんと本を読むことです。会社の往き帰りに電車のなかでビジネス書を読んだり読まなかったり、というようなことだけでは、私生活は絶対に充実しないです。まわりに物をあれこれそろえるより、まず頭のなかですからね。私生活が充実してない人は、話をしても楽しくないですし、面白くもないです。本を読まない、ということは、私生活の充実を放棄することにつながります。

ー本を読むための時間を持たない、というのは絶望的ですね。

 本をちゃんと読むための状況を、自分の私生活のなかに持つと持たないとでは、その人の奥行きや魅力が、まるでちがってくるとぼくは思います。ぼく自身は、たいしたことはないのですよ、いいですか。ぼくは本を読みますが、それはきわめて個人的な趣味の世界の出来事です。人間が本を読む、という行為が、すごいのです。

ー読むためには、まず本を手に入れなければいけませんね。片岡さんは、どうやって手に入れるのですか。

 自分が読んで楽しめる本の領域、というものがまずあるような気がします。その領域のようなものが、ある程度は出来ていないと、捜しようがないでしょうね。ぼく個人の場合で言うと、たとえば書店で見かけて、これは買っておこう、と思って買った本を、たとえば一年分積みあげてながめると、それはぼくが楽しめる本の領域を示してくれていると思います。

ー買うときの基準には、なにか特別なものがあるのですか。

 あ、これは面白そうだ、とぼくが思うか思わないかそれが基準です。

ー面白そうだ、と思ったら買うのですか。

 買います。たいした数ではないのです。しかも、コレクションの趣味はないですから。東京のブックストアでペーパーバックを三十冊、面白いと思って買おうとしたら、やはりたいへんですよ。しばらくさぼっていれば、数はたまりますけれど、いつも買っていれば、買うそのつどの冊数は、そんなに多くないです。自分の興味を引いてくれた本は、それだけですでに面白いですから、いったん買っておくのです。買う楽しさ、というものは、確実にありますし。初めて見た本を、あ、これは面白そうだ、と判断するときの楽しさですね。そこですでに、なにかがひらめいているのです。それから、そうして買っておいた本のなかから、なにか読もうと思って捜していて、やあ、これが買ってあったのか、という再発見もまた、楽しいですよ。買っておいた本がつまっている棚は、ぼくの好みにぴったりと一致するブックストアでもあるのですから。

ーかつて『ワンダーランド』という雑誌で、片岡さんが長谷川四郎さんと対談をしたとき、長谷川さんは、自分の気にいったごく少数の本だけがある小さな本棚が好きだとおっしゃっていましたけれど、片岡さんはどうですか。

 本をたくさん持ちたい、とは思わないです。しかし、対象をアメリカのペーパーバックだけに限っても、たいへんな数ですからね。そのなかから何冊かずつ選んで買っていると、いつのまにか、数は増えます。ぼくの好みとしては、本棚というものをなくせばいいのです。本のぎっしりつまった、大きくて荘重な本棚のまえで、というような景色は好きではないです。買った本を収納しておく、能率のいい部屋がひとつあれば、本棚は必要ないのです。読むよりも買うほうが数は多いですから、したがって量は増えます。

ー読んだ本は、どうするのですか。

 よほどのものは、離れがたいので、とっておくでしょう。しかし、きちんと場所をきめて、ということではなく捜せばどこかにあるはず、という程度です。あとは人にあげてしまいます。

ーどこで買うのですか。

 ニューヨークのブックストアに、手紙で注文します。何十冊か、まとめて。絶版になっていなければ、かならず手に入れて一冊でも、この地球の上ならどこへでも、確実に送ってくれるのです。古書で手に入れてくれる場合だってあります。大きな箱にぎっしりとつまって、ある日のこと、本が届くのです。なにを注文したか、ほぼ忘れていますから、箱から一冊ずつ出していくと、発見とはひょっとしてこのようなことなのかなと、かなり興奮します。楽しいですよ。東京のブックストアでも買いますけれど、これはほんの少数です。

ーどこでどのような本とめぐり逢っているのか、知りたいですね。

 めぐり逢い、というような言葉を使うのでしたら、やはりブックストアの棚での対面でしょうね。しかし、どこでなにを買ったか、覚えてないからなあ。以前から捜しに捜していたというふうにして買うのではなく、新しいもののなかから次々に選んで買う、というスタイルですから、買ったものはすべてめぐり逢いの結果でしょう。

 いま思い出したのは、シャーウッド・アンダスンの『ワインズバーグ・オハイオ』(邦訳は新潮文庫)です。これはめぐり逢いと言っていいですね。自分の家の本棚にあったのです。まだ子供の頃、少年の頃、自分の家の本棚で、ぼくはこの本にめぐり逢いました。ほんとになんの理由もなしに、なにげなく読んでみて、ぼくはびっくりしたのです。小説はこういうことも出来るのかと思い、いま趣味で小説を書いているぼくのスタートは、ここにあるのです。いまでも、そのペーパーバックを持っています。書き手としてのぼくは、『ワインズバーグ・オハイオ』からはじまっているのです、じつは。

 この『ワインズバーグ・オハイオ』がカセット・テープになっていて、登場人物たちにひとりずつ役者をふりあて、セオドア・スタージョンがアダプテーションをおこなって、ドラマみたいになっているのですが、これをみつけたときもうれしかったです。しかし、どこで買ったのかは、覚えていません。どこで買ったか、ということは、センチメンタルなことを除外してしまうと、ほとんど意味を持たないでしょう。

ー本の扱いかたは、どうなのですか。アンダーラインを引くとか、読むときはいつもメモをとりつつ読むとか。

 ぼくは、ほとんどのことが、まったく無防備な出たとこ勝負ですから、アンダーラインは引きたくても鉛筆を持ってないでしょうし、メモもおなじで、読むときはメモ帳を持たないですから、これも駄目ですね。しかしなんでも書きこんでおく分厚いノートというものはありますから、そのノートがたまたま近くにあれば、簡単なメモくらいはするでしょう。丁寧にメモをとりながら、面白い本を読んでみたいです。

ー何冊かの本を同時に読んだりしますか。

 あまり得意ではありません。たいていの本は二日もあれば読めるのですから、集中して一冊ずつ、というスタイルが多いはずです。しかし、一冊の本を読みながら、次に読む本を物色するという癖があります。買ってある本のなかから、次はどれにしようか、捜すのです。これが、思いのほか大事であるような気がします。そのとき読んでいる本の面白さにどこかでつながるような本、あるいは、まるで反対の領域の本を捜したりして、読んでいく本と本とのあいだに、不思議な連関が生まれるのです。読むべき本をちゃんとつなげていつのまにか読んでいたりして、面白いですよ。

ーつい買ってしまう本というものは、ありますか。おなじような本をすでに何冊も持っていながら、新しいのを見るとつい買ってしまう、というような。辞書を買う人とか、絵本を買う人とかいますよね。

 辞書も買いますし、絵本はたくさん買います。ぼくは、絵本が好きです。絵本から学ぶことは、じつに多いですよ。もはや子供ではないので、学ぶ、という態度になってしまいますけれど、大いに楽しんでいます。外国の絵本にはものすごいのがありますから、絵本は買うべきです。

 つい買ってしまう領域というとぼくの場合は、英語のスタイル・ブックですね。文章を書くにあたっての、正しい文法とか語法、効果的な書きかたなど、さまざまなルールについて実用的に書いてある本です。主としてアメリカの大学生たちが使うものなのですが、いろんなのが出版されていて、毎年版があらたまるのもあって、ぼくはこういう文章スタイル・ブックは、見ると買いたくなります。読んでいると、じつにいい気分になります。ライターズ・ハンドブック、と呼ばれている場合が多いようです。いろんなのがあって、楽しめます。

 人間がなにか考えて、たとえばそれを自分自身のために出来るだけ正確に書きとめておきたいと思ったり、その考えを人に伝えようと思ったりすると、そこにかならず文章というものが必要になってきますから、文章は人間のもっとも知的な営みであって、その文章の書きかたのルールを教えるハンドブックやスタイル・ブックは、文章というものの基礎的なルールを頭に叩きこむ手段として、きわめて重要なのです。ぼくにとっては、中学生の頃からの趣味です。いかに効果的に書くかを、そのような本によってぼくは英語で叩きこまれたのです。

(『日常術 片岡義男〔本読み〕術ー私生活の充実』1987年、エッセイ・コレクション『本を読む人』1995所収)

*以下の”質問”は、編集者からの事前の「中心的な質問」を「受け取ったのち、自分で自分に質問し、自分でそれに答えるというスタイルで、自分の読書について書いた」(あとがき)もの。

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2016年10月22日 05:30
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