特集 片岡義男の年代別主要作品(1960〜70年代)
このページでは作家・片岡義男の1960年代・70年代の主要作品を紹介します。
1960年代から今日まで、精力的に執筆活動を続けている作家・片岡義男。現在、片岡義男.comでは小説、評論、エッセイ、書評など3,100作品以上を読むことができます。
しかしその膨大で多岐にわたる作品群ゆえにどこから読み始めればよいか迷う方も少なくありません。この「年代別主要作品」のページでは、これから彼の作品に触れる方や改めて読み直したい方向けに、片岡義男.comで読める本の中から、年代ごとの主要作品をご紹介します。
※このリストは片岡義男.com編集部が、片岡義男.comで公開中の作品から独自に選定したものです。
■1960年代
片岡義男が「書き手」としてデビューしたのは早稲田大学在学中の大学三年生のとき。同じ大学の先輩である小鷹信光さん(1936〜2015)の紹介で、ミステリー雑誌「マンハント」にアメリカの短編推理小説(リチャード・デミング著『そっくり、そのまま』原題:The Doubles)を翻訳したのがきっかけでした。その後同じ雑誌で作品などの翻訳を続けながら、他誌でエッセイや短編作品を少しづつ手がけていきます。
『二十三貫五百八十匁の死』(1968)
1968年、小説家デビュー以前に翻訳家として使っていた「三条美穂」名義で寄稿された作品。一見、ミステリー風のタイトルですが、夫婦愛についての短編小説です。
(初出:『ミステリマガジン』1968年10月号)
『死なずにいてくれ』(1968)
「小説推理」の前身である「推理ストーリー」掲載の短編です。ある日突然失踪した妻を探すため、彼女の故郷へ向かった主人公を待っていたのは……。片岡義男の作品としては珍しい、非常にミステリー色の強い一篇です。
(初出:『推理ストーリー』1968年7月号)
『ドノヴァン、早く帰ってきて』(1969)
『二十三貫五百八十匁の死』と同じく、三条美穂名義で書かれたこの短編は、アメリカの中南部にあるオクラホマ州を舞台に、当時まだ継続中だったベトナム戦争帰りの青年とその恋人を描いた短編です。「ミステリマガジン」創刊700号記念アンソロジー『ミステリマガジン700 国内篇』(2014)にも再録されるなど、片岡義男の初期ミステリー作品として評価されています。
(初出:『ミステリマガジン』1969年7月号)
■1970年代
1970年代に入ると、片岡は推理小説の翻訳に加え、ジェリー・ホプキンズ著『エルビス』、ジョン・レノン著『ビートルズ革命』、ボブ・ディラン著『タランチュラ』といった音楽関係書の翻訳や、今もロングセラーとして発売が続くカテリーヌ・ミリネア、キャロル・トロイ共著の『チープ・シック お金をかけないでシックに着こなす法』、映画化でも大きな話題となったデニス・アーバーグ、ジョン・ミリアス共著の『ビッグ・ウェンズデー』など、アメリカン・カルチャー全般にわたる多彩な作品の翻訳を手掛けました。
同時に、自身も短編小説やエッセイといったジャンルで精力的に執筆活動を展開します。今なお「稀代の音楽・文化評論」として名高い『エルヴィスから始まった』や、伝説的雑誌「ワンダーランド」(のちに「宝島」へ誌名変更)に連載された小説『ロンサム・カウボーイ』、エッセイ集『10セントの意識革命』など、現在に至るまで読者を引きつけてやまない名作がこの時期に生み出されました。とりわけ1976年9月から10年近くにわたって雑誌『POPEYE(ポパイ)』にて連載されたエッセイ『片岡義男のアメリカノロジー』は、当時の若者たちのカルチャーに大きな影響を与えていくことになります。
そして1970年代後半には、1975(昭和50)年下半期の直木賞候補ともなり片岡義男の名を世間に知らしめた『スローなブギにしてくれ』、『彼のオートバイ、彼女の島』といった代表作が次々と発表されます。時代の空気感を鋭く切り取ったこれらの作品群は、角川書店による本格的な文庫化も進められ、当時の若者たちを熱狂させる大きなうねりとなっていきます。
『エルヴィスから始まった』(『ぼくはプレスリーが大好き』(1971)改題)
音楽関係者を中心に現在でも繰り返し読まれている長編音楽評論。かつてミュージシャンの忌野清志郎さんがTV番組で、この本の第3章「いつラジオの音量をあげたか?」が印象に残っている、と語ったというエピソードも。エルヴィス・プレスリーとロックの誕生、それを取り巻く1950~60年代のアメリカの社会とその精神を考察した長大な音楽評論であり、片岡の作家活動初期を代表する作品とも言えます。
『10セントの意識革命』(1973)
タイトルの「10セント」とは、片岡が7、8歳頃から高校の初め頃まで読んでいたアメリカのコミック・ブックの価格を指しています。本書はこのコミック・ブックをはじめ、西部劇、ジェームズ・ディーン、エルヴィス・プレスリーなどいずれもアメリカの1950年代に起きた事象と、著者自身とのつながりや体験を語った『なぜいま一九五〇年代なのか』をはじめとする初期のアメリカ文化に関する評論集です。
『ロンサム・カウボーイ』(1975)
1973年6月に創刊された伝説の雑誌「ワンダーランド」(後に「宝島」へ誌名変更)に14回にわたり連載され、片岡義男名義で刊行された最初の連作短編小説集です。アメリカを舞台とした鮮烈なストーリーは当時の読者に深い印象を残し、2015年には『10セントの意識革命』『町からはじめて、旅へ』とともに復刊されるなど、その研ぎ澄まされたハードボイルド文体とともに今も根強い人気を誇る作品です。
『スローなブギにしてくれ』(1976)
あらためて説明の必要もない、第74回(1975年下半期)の直木賞候補作にもなった片岡義男の代表作です。この作品とタイトルが圧倒的な知名度を獲得した背景には、1981年に浅野温子さん主演、藤田敏八監督による映画化や、角川書店の強力なメディアミックス戦略による大量のCM投下や一大キャンペーンの展開がありました。松本隆作詞・南佳孝作曲による同名の映画主題歌のヒットとも相まって、本作品は時代のアイコンともいうべき地位を獲得しました。ただし、映画は他の片岡作品の要素も組みこまれた、原作とは別個の作品となっています。
『彼のオートバイ、彼女の島』(1977)
この小説が書かれたのは1977年。当時、オートバイの魅力に取り憑かれた多くの若者を二輪の教習所に向かわせたという伝説を生んだ作品です。1986年に大林宣彦監督により映画化されたことで一躍その名を知られるようになりましたが、むしろ映画のイメージが先行し、原作を読んだことのない方も多いように思います。ちなみにこの作品、一番最初のタイトル案は『コロッケとメンチカツ』だったそうです。
『サーフシティ・ロマンス』(1978)
「宝島」「POPEYE(ポパイ)」「サーフィンワールド」などの雑誌に寄稿された、サーフィンをテーマとした文章を集めたもので、オートバイと共に片岡義男=サーフィンのイメージを定着させた1冊です。ハワイ・オアフ島の北海岸にあるサーフィンの聖地、ノースショアなどのサーフスポットとそこに集まる人々の物語から、サーフィンの歴史、波の科学、サーフィン独自の文化、そしてサーファーの哲学にいたるまで、サーフィンにまつわる豊かな世界が幅広く描き出されています。
『マーマレードの朝』(1979)
1979年に発売された、片岡義男の文庫による初期短編小説集です。角川文庫初期の短編作品集の1冊としてよく知られていますが、著者自身は本書をそれまでの「文章で書くコミックの試み」から、「女性が発想とアクションを引き受け、男性がそれに反応するという骨格のストーリー群の始まり」と位置付けており、その後の作品の方向性を定める重要な転換点にあたる作品集です。
『アップル・サイダーと彼女』(1979)
表題作をはじめ、「オートバイはぼくの先生」「深夜の地獄めぐり」といったオートバイやハワイ、音楽、アメリカに関するエッセイやショート・ストーリーなどを満載した文庫版による初期の作品集です。表題作を読んで、初めてアップル・サイダーとアップル・ジュースの違いを知ったという人も少なくないはずです。
『片岡義男のアメリカノロジー』(1976)
『片岡義男のアメリカノロジー』は1976年9月から1986年9月まで、足掛け10年間にわたり雑誌『POPEYE(ポパイ)』に連載された長寿エッセイです。まだインターネットのない時代、当時の日本の若者たちに向けて、アメリカのさまざまな文化やライフスタイルを鮮やかに伝え続けました。この連載の多くはその後テーマ別にいくつかの書籍となり、1990年代半ばに刊行された『片岡義男エッセイ・コレクション』にも多くが採録されています。
※なお、片岡義男.comでは書籍には採録されなかった作品を『片岡義男のアメリカノロジー』として公開しています。
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