一枚の小切手
一九六一年の僕は大学の三年生だった。大学の勉強に関しては自主的にきわめて暇であり、したがって大学へいかないか、いったとしても周辺の喫茶店にいるか、あるいはビリヤードでナイン・ボールをしているか、という日々だった。おおまかに言って大学の裏にあたる場所にいきつけのビリヤードがあり、その前の停留場から都電で神保町へいくことは、すでに覚えていた。勉強をしない暇な大学生を許容した唯一の街が、当時の神保町だった。だから僕はしばしば神保町にいた。
その神保町に当時はまだ存在していた、洋書だけを扱う露店が二軒あり、今日の昼はそこにいま…
初出:『図書』(「散歩して迷子になる」二〇〇八年四月号〜二〇一一年七月号に連載)岩波書店
底本:『言葉を生きる』岩波書店 二〇一二年(初出を大幅に改稿・加筆)