連載エッセイ「街へ出て」より3作品を公開
「街へ出て」は、2012年3月まで発行されていた日本経済新聞本紙日曜版の第2部『THE NIKKEI MAGAZINE』にて連載された複数の筆者によるリレーエッセイです。片岡義男は古書を含む、日本国内で出版された本に関する13篇のエッセイを提供しています。
東京をテーマにした本がたくさん出版されている。新刊だけでも山のようにある。古書を含めるとその数は膨大だ。多少とも気持ちをとらえる本は買うようにしているが、とても追いきれるものではない。東京には本にし得るさまざまな材料がある、ということだ。そのものの実体がほぼ消えると、それについてのいろんな角度からの本が数多く出版されるようになる、という定理を僕は信じている。作っては壊し、壊しては作る、というエネルギーのなかを生きてきた東京は、少なくとも近代になってからは、昔のものもつい最近にできたものも、等しくかたっぱしから壊してきた。その結果として、消えた東京をめぐる本が、無数と言っていいほどに出版される。
(『THE NIKKEI MAGAZINE』No.82 2010年2月21日掲載)
六月初めの平日、雨模様の午後、所用が思ったより早く終わったので、いつもの私鉄の各駅停車に乗り、一年に三度くらいしか降りることのない駅で降り、商店街を歩いてみた。高校生の頃、電車で学校へいくときにはこの駅で降り、北へのびる商店街をバスあるいは徒歩で抜けると、やがて学校にたどり着いた。だからこの商店街には、土地勘やなじみがまったくないわけではない。ひとり傘をさして歩いていると、例によってコーヒーを飲みたくなった。いつのまにかここにこんなカフェが、と思うような店があったのでそこに入り、深煎りブレンド豆による上出来なコーヒーを楽しんでいたら、たちまち二度目の閃きを得た。東京におけるごく普通の日常生活について書いた本を何冊か手に入れて紹介するといいのではないか、という閃きだ。
(『THE NIKKEI MAGAZINE』No.86 2010年6月20日掲載)
谷内六郎さんという画家の仕事でもっとも広く知られたのは、『週刊新潮』の表紙絵だろう。1956年の創刊号から1981年に谷内さんが死去するまで、25年間、じつに1,303点の表紙絵を彼は描き続けた。この25年間は僕がまだ子供だった頃から、40代になってすぐの期間にまたがっている。子供の頃から中年になるまで、どこであれ街へ出ればほとんど毎日、書店や駅周辺の新聞雑誌の屋台で『週刊新潮』の表紙絵として、僕は谷内さんの絵を見てきた。その週の号の発売日にまず最初に見て、多いときには次の号が店に並ぶまで、毎日、しかも同じ日に何度となく谷内さんの絵を街のあちこちで見た。これは、僕だけでなく、日本人ほとんどすべてに共通すると言っていい、普遍的な体験だ。
(『THE NIKKEI MAGAZINE』No.88 2010年8月20日掲載)
2026年7月10日 00:00 | 電子化計画


