移民文学としての片岡義男作品
7月下旬、株式会社ボイジャーの創業者であり、片岡義男.comのプロデューサーでもある萩野正昭に対し、ZEN大学(仮称・設置認可申請中)歴史アーカイブ研究センターからデジタル出版の歴史に関するオーラル・ヒストリーのインタビュー取材がありました。休憩時間にお話をしている際に、来訪されたメンバーのおひとりが片岡義男.comのプレミアム会員であることがわかりました。
(当日の取材風景)
その方は、大阪大学の特任助教であり歴史アーカイブ研究センターの研究員でもある、権藤千恵さん。権藤さんはハワイ大学でオーラルヒストリーを学ばれ、現在は大阪大学で移民研究をしておられます。片岡義男作品を「移民文学」として捉えると、非常に重要なポジションにあるとのこと。我々スタッフもこの視点は持ち合わせておらず、不勉強ながら初めて知りました。
後日、このことについてご寄稿を頂きましたので、ご本人の許可を得て以下に公開いたします。
(以下引用)
私の専門分野は移民研究です。ハワイの日系人がどのようにして日本映画をみていたのか、日本映画を(移民社会の政治経済に)利用していたのかという研究をしています。
片岡義男さんについては、マウイ移民の3世だということは知っていて、小説についてはハワイの4部作(『波乗りの島』、『時差のないふたつの島』、『頬よせてホノルル』、『ラハイナまで来た理由』)などを図書館で読んでいたのですが、片岡義男.comでエッセイなども読ませていただくことができ、大変重宝しています。
移民や比較文学の研究には移民文学・ディアスポラ文学というテーマで研究をしている先生や学生さんがいるのですが、片岡さんのハワイに関する小説やエッセイは移民文学として、特に日本語で書かれている点で重要だと思います。
通常、移民文学というのは2世以降ホスト社会の言語(片岡さんの場合は英語)になるのですが、戦争によって日本に留まらざるを得なくなった日系2世のバイリンガルの子供(3世)は片岡さん以外にも多くいるはずですが、それでもハワイをテーマにした、かつ日本語で書いているものは貴重だと思います。
片岡さんの描写が素晴らしい、というのは今回一緒にお伺いした研究員の遠藤諭さんもおっしゃっていましたが、私個人は『移民の子の旅 1 ホノルル、一八六八年』の冒頭の、オアフ島の西から次第にホノルルのダウンタウンへと映像が変わってズームされていく描写は、まさに「移民の子」の視点であり、移民初期から1960年半ばまでのホノルルダウンタウンの様子が的確に捉えられていると感じました。
その少し後に、ホノルル市内にあるヌウアヌアベニューの描写があるのですが、ハワイ州公文書館にある昔の写真を見ると、まさにこの描写通りの道なのです。
「ヌウアヌの、幅が40フィートある道路を、まっすぐダウンタウンに向かって降りていく。土地が平らなところでは、樹が大きくしかも葉がよくしげっているので、見とおしがきかない」
客観的に描写をしているようで、どこか主観的・当事者的なのが、片岡義男さんにおけるハワイ小説、エッセイのおもしろさ、移民文学としてのおもしろさだろうと思います。
引き続き片岡義男.comで、多くの作品に出会えることを期待しております!
(引用、ここまで)
権藤さん、ありがとうございました。
いかがでしたか? 皆さんも片岡作品を「移民3世による文学」という視点で再読されてみてはいかがでしょうか。新たな発見があるかもしれませんよ。
■関連作品
2024年8月28日 18:00 | ちょっと一息
次の記事へ