エッセイ「ロンサム・ジョッキー」より14作品を公開
モーターマガジン社から発行されていた雑誌『ミスター・バイク』にて、1976年の創刊号(5月号)から1978年10月号まで連載された「ロンサム・ジョッキー」からの前半14作品を本日公開しました。
いまアメリカでは歴史始まって以来の大量の貨物が鉄道で輸送されている。貨物列車の数が増え、その列車をひっぱるディーゼル機関車はすさまじく強力なエンジンをつんでいるから、とても長い編成の貨物列車が多い。その貨物列車にタダ乗りするホーボーの数もまた、増えているようだ。ホーボーは、放浪の人。ほうぼうで仕事をする日本人移民の渡り者の労働者からできた言葉だともいうし、ホー・ボーイ(畑をたやがす男)が正しい語源だという説もある。貨物列車にタダ乗りするにはヤードへいかなくてはいけない。ここでどこへむかって、いつ出発する貨物列車なのか、正確な情報をつかまなくてはいけない。無料とはいえ、貨物列車のタダ乗りは、楽な旅ではない。できるだけ快適な貨車を探し出す必要がある。
(『ミスター・バイク』1976年5月創刊号掲載)
カリフォルニアのリヴァーサイドの町。7月の土曜日、朝の8時前。町を出はずれかけたサニーサイド・アベニューに、「クオフ・バレル」という名のバーがある。クオフは、酒をガブガブといっきに飲みほす、という意味だ。バレルは酒樽。2時間ほどの間に、90台以上のチョッパーが「クオフ・バレル」の前に集まってきた。ひとりだけの男もいるが、たいていはうしろのシートに女性を乗せている。ここから200インチの反射望遠鏡があるので有名なパロマー天文台のある、パロマー・マウンテンまで、一泊の週末遠乗りにこれから出かけるのだ。
(『ミスター・バイク』1976年6月号掲載)
パロマー山に夕暮れがやってくる。林のなかに野営の準備をはじめているバイカーたちのところへ、肉の香りが漂ってくる。パロマー・カフェという軽食堂のチーフ・マネジャー兼料理人がバイカーたちのために腕をふるってくれているのだ。楽しい夕食が終ると、一夜のエンタテインメントが林の中の空き地を囲んで行われる。このツーリング・クラブの会長の冗談と下品な駄洒落だらけの挨拶の後、いくつかのトロフィーの贈呈が行われた。ラリー中に一番最初に故障した賞。最も遠くから参加したことを記念する賞。最年長者の賞。そして皆が待ちに待っていた賞は……。
(『ミスター・バイク』1976年7月号掲載)
中古のトラックやバス、あるいはバンを手に入れ、自分で修理したり改造したりして住むということが、アメリカでは昔からよく行われている。こうしたノマーディックなピープル(放浪の人々)は、都会に住んで会社勤めをやっているような人たちに比べると、同じアメリカ人かと思うほどまるっきり人がちがう。住むための中古のバスやトラックを手に入れる最もポピュラーな方法は、政府が競売に出す車輛を入札で落とす方法だ。軍隊の放出車輛の競売もあるが、いかれている部品をとっかえてしまえば、それだけで非常に優秀な中古車に早がわりする車を見つけるのが一番だ。
(『ミスター・バイク』1976年8月号掲載)
アメリカでも初めての大型トラックによるドラッグ・レースが、この春先にオンタリオ・モーター・スピードウェーで行われた。排気音をとどろかせ、2本の煙突から黒煙を噴きあげて、スピード・ウェーのドラッグ・レース・コースを突っ走るありさまは、アメリカでしか見られない、美しくて力強いけれどもクレージーな光景だ。どのトラックも、普段ハイウェーを走っているときと同じ装備で参加する。アメリカのトラック野郎たちは自分のトラックには愛着と誇りを持っている。外観、エンジン、足まわりと常に最高の状態に保って、仕事をしている。日本のように、飾りやライトをつけたり絵を描いたりというようなことはしていない。ボディ全体の塗装とクローム・メッキ、そしてレタリングに、落着いた地味ないい雰囲気を出している。
(『ミスター・バイク』1976年9月号掲載)
アメリカのバイカーたちに関しては羨ましいことが多い。特にバイク仲間たちと行う長距離ランは魅力的だ。町ごとに友好団体があり、年に一度とか半年に一度、後ろにカット・オフジーンズの女性を乗せて楽しむファン・ラン(楽しみのための長距離ラン)が開催される。例えばジョージア州からインタステート・ハイウエイを使い、フロリダ州のデイトナ・ビーチまで180マイルを1日で走るイベント「ラン・トウ・ザ・サン」は、平均時速50マイルで進む。参加者たちは金・土・日曜に集まってきてキャンプを楽しみながら月曜の出発を待つ。警察はとても協力的だ。途中で雨に降られることもあるが、180マイルの道のりはトラブルもなく全体的に順調な旅となる。
(『ミスター・バイク』1976年10月号掲載)
秋の夜風に吹かれながらビールを飲んでいたら、旅に出たくなり、バーボンに変えた。東京の夜空の星はなんと小さいことか……ニューメキシコ州の田舎町リンカンで真夏の夜に見た星は大きくて輝いていた。音楽が欲しくなってウエイロン・ジェニングスの『ゴーン・トゥ・デンヴァー』を聴く。この曲は幻の放浪者がテーマだ。ひとりの女に裏切られ別れた男が、心に傷を抱きつつ、どこかほかの土地へと旅立っていく。こういう放浪者を、ヒーローとして心の中に描きあげつつうたったのが、『ゴーン・トゥ・デンヴァー』だ。現実に放浪の日々を重ねることはまず不可能な僕たちの心にも、そのヒーローとしての幻の放浪者の姿が、移植されていく。
(『ミスター・バイク』1976年11月号掲載)
朝の7時にモーテルを出発し、夕暮れまで、荒野の中のハイウエイをただひたすら走った。制限スピード時速55マイルをぴたり守って。大きな太陽が、ウエスト・テキサス・プレ平原のむこうに半分ほど沈んだころ、町に入った。ボニーにはぐれてしまったクライドのような気分で、ぼくは、この西テキサスの名もない町を一回りしてみた。メイン・ストリートとおぼしき通りが2本、町の中央で十字に交差している。信号待ちしていたら、人の姿の見あたらない街並みのどこからか、フライド・チキンの香りが漂ってきた。思わず腹筋が緊張した。夕陽のフライド・チキン。おお、ケチャップの洪水。走ること数分、あった、あった! 落日の西テキサスに、フライド・チキンの天国。道路に面した店はそこだけがやけに明るかった。
(『ミスター・バイク』1976年12月号掲載)
ウエイロン・ジェニングスは1937年生まれ。彼の新しいLP『アー・ユー・レディ・フォ・ザ・カントリー』には、40年の人生の中で見えてきた真実が込められている。例えば、旧友のバディ・ホリーに捧げた歌『オールド・フレンド』では、早くに死ぬことによって時間の流れの停止した人生と、生き続けることによっていまもなお経過しつづけていく時間のただ中で、流れていく時間すなわち自分自身の変化、さらには自分をとりまく一切の状況の変化を経験していく人生との対比を、静かに語っている。『貴重な思い出』という歌では、今ここに至って、この世の中と自分との折り合いを何とかうまくつけていこうとしている自分にはっきりと目覚め、自分というものが、自分の目に見えはじめた……そんな人生の真実というものに対する、素朴で真面目な態度を語っている。
(『ミスター・バイク』1977年1月号掲載)
西テキサスのモーター・イン「スターライト・ウエスト」の夜はふけていく。ベッドで洗剤のコマーシャルを眺めながら、翌日にジーンズを洗濯することを思ったりする。酒のかわりに熱いシャワーだ。シャワーのお湯は、存分に熱かった。その後、眠りに落ちるまでに、ぼくはアイスウォーターを何杯、飲んだだろう。眠ってしまう寸前までぼくの耳がとらえていたのは、グラスの中でピシッ、ピシッと小さく鳴りつづけている「スターライト・ウエスト」のアイスキューブの音だった。そのまま午後1時過ぎに起き出し、強い陽ざしの中、帽子もかぶらずに町に向かって歩き出す。やがて、うしろから、自動車がぼくに近づいて追い越し、少し先で止まった。フォードの、赤いピックアップ・トラックだ。「町へ行くのかい」車の男が声を掛けてきた。
(『ミスター・バイク』1977年2月号掲載)
ピックアップ・トラックのおっさんは、道路がふたまたになっているところで一時停止をした。左の道路へ曲がりこんでから、おっさんは聞いた。
「きみはところで、なにをやってる人なのかね」
「旅の人です」と、ぼくはこたえた。
「楽しいかい」
「風に惚れてしまいました」
おっさんは、半信半疑だ。でも昔からぼくは風に惚れている。今の旅は残念ながら4輪だけど、4輪でも、例えば夜の大砂漠の中を突き抜ける一本道をふっとばしながら、運転席のドアを開け、右足でアクセルを踏みつけ、体を左にねじって左足でドアを支え、風圧に対して、突っぱっていると、風と友だちになることができるんだ。やがて「真夜中の虹」というバーに到着し、ぼくは3日間滞在する旨を伝えた。店内ではホンキー・トンク・ピアノが鳴っている。ジュークボックスから流れる歌が「グラスの底には人生の回答はない」と歌う。ぼくはその言葉に共感しながら、店内の静かな雰囲気を感じ取る。
(『ミスター・バイク』1977年3月号掲載)
バーのカウンターにいた男は「ランチなんて、この30年一度も食ったことはない」という。男は骨太で脂肪が厚く、白い肌が陽に焼け威圧的な顔をしている。「では、なにを食べていたんだい」とぼくがきくと、男は「グラスの底の真実さ。そればかりを食らって生きのびてきたよ」と答えた。意外に素直なこたえだった。ジュークボックスで『真実の歌』が終わり、男は同じ歌を再び鳴らし、どこかへいってしまった。ぼくが店に入ってから真実の歌をすでに3度聞き、これで4度目だとウェイトレスに伝えると、彼女は高く笑い、「この真実についてなら、私は分厚い本を書けるわよ」と言った。
(『ミスター・バイク』1977年4月号掲載)
食堂で食事をしながら、ぼくはウェイトレスに聞いた。そのクレージーな男はエレクトラグライドで宇宙を飛んだのかと。彼女は笑いながら、そんなことはないと言った。その男は幻覚剤の影響で、月の表面を走ってきたと言いながらミルクを吐き出したのだという。ぼくは、各種のハルーシノーゲン(幻覚剤)に、宇宙の暗闇の中をひとりで飛んでいくというような錯覚をリアルに、しかも神経症的につくりだしてくれる作用があるのだと、サンフランシスコの友人から聞かされたことがある。そのことを彼女に話した。彼女は興味深そうに聞き入った。話の途中、カウンターの男が同じ歌をジュークボックスで何度もかけていた。ぼくは料理を食べ終え、ウェイトレスはコーヒーのおかわりを勧めた。彼女は冗談を言いながらコーヒーを注ぎ、ぼくの昼食は無事に終わった。
(『ミスター・バイク』1977年5月号掲載)
なぜ、バイクが好きなのだろうか。好きだから好きなのだ。バイクが楽しいから好きなんだ。では、なぜ、バイクは自分にとって楽しいものなのだろうか。自分で自分なりに、こんなことをはっきりさせてみたくなったりすることが、あなたにはないだろうか。バイクの魅力を知るきっかけは様々だが、バイクに乗ることで新たな感覚や能力が開発され、自分の世界が広がる。季節のよいときに行うロングのツーリングなど、バイクの真骨頂のひとつだと、ぼくは信じている。バイクだと、自分の時間割りを断ち切ることができる。旅をしているその土地の時間の中へ入っていけるようだ。体全体を外にさらし、その体でその土地とのつきあいを重ねていくせいだろう。自分が旅する土地の風景を自分の体で生きたものにしたいという欲求をバイクはかなえさせてくれる。その土地の地理や地質上の歴史とか特徴をまえもって知っておけば、風景はさらに生きる。
(『ミスター・バイク』1977年6月号掲載)
2024年7月5日 00:00 | 電子化計画