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エッセイ『BIG SKY──アメリカ・空への招待』、小説など7作品を公開

エッセイ『BIG SKY──アメリカ・空への招待』5篇、小説『2DK襖の下張り』など雑誌掲載の短編2篇の計7作品を本日公開しました。

 ゴールデン・ゲート・ブリッジをくぐり、サンフランシスコ湾に入っていく。正面の対岸が、バークレーやオークランドだ。橋をくぐった南側が、半島とその奥の大陸とにはさまれた、サンフランシスコ湾の本体だ。反対側の北へのぼっていくと、リッチモンドとサン・ラファエルを結ぶ橋があり、この橋の奥が、サン・パブロ湾になっている。このサン・パブロ湾からさらに奥へ東に入ったところにかなり複雑な地形の湾があり、ニューヨーク・スラウ(沼地)と名づけられた水路をへて、きわめて魅力的なカリフォルニア・デルタが横たわっている。農業で知られるカリフォルニアのなかでも最も肥沃な農業地帯であり、その肥沃さは世界でも屈指のものだ。

(『野性時代』1979年11月号掲載)

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 大陸分水嶺(コンチネンタル・ディヴァイド)の北端はアラスカのブルックス山脈に始まり、カナダからモンタナ、ワイオミング、コロラド、ニュー・メキシコ、アリゾナを経てメキシコに入る。そしてその南端は南米マゼラン海峡にまで達し、水の流れを西と東に分けている。地図の上で指さきでたどっているだけでもドラマチックだ。北アメリカにはこの分水嶺に沿った全長3,100マイル(5,000Km)に及ぶトレイルがあるが、全体を歩くには6ヶ月以上かかるという。そのルートの途中には、3つのナショナル・パーク(国立公園)地帯と、25のナショナル・フォレスト(国立森林地帯)がある。この数字だけでも、大陸分水嶺がいかに素晴らしい自然を抱きこんでいるかがわかる。

(『野性時代』1979年12月号掲載)

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 オレゴン州のポートランドから出ているインタステート・ハイウエイ80号線北と、サンフランシスコから出ている20号線がひとつに合流する地点が、ユタ州のソルト・レイク・シティだ。ユタ州のほぼ真ん中を南北に走る山脈の一部であるワサッチ山脈と、グレート・ソルト湖との間に挟まれた縦に細長い盆地のなかに、町が点々とある。ソルト・レイク・シティは、これらの町の中で一番大きな存在だ。1820年代のニューヨークで、ジョゼフ・スミスが創設し、ブリガム・ヤングが後を継いだ末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)の一団がこの地を見つけ、町を作った。こうした事情は知らずとも、ソルト・レイク・シティに足を踏み入れると、ほかの町とはずいぶんちがった雰囲気を持った町だということは充分に感じるだろう。

(『野性時代』1980年1月号掲載)

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 アメリカの農業の中心地のひとつ、アイオワ州。郡庁所在地であるマンチェスターから7マイルのところにある、ひとつのファミリー・ファーム。その農場の広さは約130万平方メートルだ。これだけの広さを、ワン・ファミリーが雇人なしで経営している。このファームを空中から見おろすと、見渡す限り曲線というものが、どこにもない。すべての景色が、直線でできている。二車線のカントリー・ロードである砂利道がまっすぐにのび、畑が広がる。畑の仕切りもまっすぐだ。氷河時代に巨大な氷河がここを通過し、地表を平らに削った。こうした家族経営のファームが、アメリカ国民の10回の食事のうち6回までをも支えている。これは国にとって、ものすごく大きな底力だ。

(『野性時代』1980年2月号掲載)

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 北カリフォルニアの太平洋沿いの一帯の背骨になっているのは、コースト・レインジという山脈だ。この山脈から太平洋にむかってレッドウッドの大森林が広がり、それをこえると、巨大な大陸のエッジは、いきなり太平洋というすさまじい広がりのなかに落ちこんでいく。この一帯は大陸のエネルギーと太平洋のエネルギーとが、激しくぶつかりあっている。北へ伸びるステート・ハイウエイのカリフォルニア・ワンは、1日じゅう走りつづけて人の姿を2度か3度しか見ないことが珍しくない。日没の時間に車をとめて海を眺めると、背後には大森林の、荘厳としか言いようのない重さがどっしりと横たわっていて、垂直に切り立つその高い崖の下には、太平洋の荒波が、轟々とくだけている。そこに陽が沈むとき、色彩のドラマが繰り広げられる。

(『野性時代』1980年3月号掲載)

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 舞台は昭和40年代。太郎と敬子は、大学卒業式が終わって10日後に結婚式を挙げ、会社から片道1時間20分という団地に住む夫婦だ。太郎は会社で残業のない事務職をしており、朝夕の満員電車の苦行は適度な運動になっている。敬子は手芸の腕で内職をしており、外に働きに出る必要がない。あり余る暇と体力を持った2人が、お互いをお互いに待ちかねているという状況が結婚以来ずっと続いているのだ。……永井荷風が春本を模して書いたと伝えられる「四畳半襖の下張り」を下敷きに、片岡義男が昭和40年代の艶笑譚として、現代語による戯作文学に挑んだ短編小説。新婚の夫婦の性の営みを通して、昭和の女性の巧妙なリードによる生活を、リズミカルで流れるような語り口で描いた、作家デビュー前の片岡義男のポルノ小説でもあり青春小説でもある。なお、雑誌掲載時のペンネームは「片岡義男」ではなく「片岡義雄」となっている。

(『推理ストーリー』1969年4月特大号掲載)

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「一つ出たわいのよさほいのほい~ 二つ~」といった数え歌形式の替え歌として知られるヨサホイ節(ヨサホイ数え歌)。大正年間に始まり、戦後も学生や若者の酒席での歌として愛唱されてポピュラーな春歌(性風俗に関連した猥褻な内容の歌詞を含む楽曲)となり「艶笑数え歌」とも言われた。本作はこの艶笑数え歌の形式を踏襲した替え歌と、その歌詞をテーマとした短い艶笑噺10篇で構成されている。なお、この作品の作者は目次では「パロディ・ギャング」となっているが、「パロディ・ギャング」は、しとうきねお、伊藤典夫、豊田有恒、広瀬正、小鷹信光、水野良太郎、片岡義男による創作集団で、1960年代に各種の雑誌で連載を持っていた。またパロディ・ギャング名義の著書も出している。

(『推理ストーリー』1969年6月特大号掲載)

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2024年4月5日 00:00 | 電子化計画

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