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エッセイ『ノートブックに誘惑された』『ブックストアで待ちあわせ』『紙のプールで泳ぐ』より9作品を公開

エッセイ『ノートブックに誘惑された』(角川文庫/1992年)、『ブックストアで待ちあわせ』(新潮文庫/1987年)、『紙のプールで泳ぐ』(新潮文庫/1988年)より各3作品を本日公開いたしました。

友人の美雪が生まれ育った町にやってきた樹里子。彼女にとって、この町は初めて来る地方都市だった。夜、2人はもうひとりの友人・吉田とこの町にある酒の店に来ていた。吉田は酔って見知らぬ相手と議論していた。
「自分がよく知ってる世界のなかに吉田さんを置いて、観察しなおしてみなさい、という樹里子の意見は正しかったわ。私が良く知ってるこの町で観察しなおした吉田さんは、残念ながら落第だったわ」

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「明日は幼稚園の入園試験ですから、いつもより早く起きなければいけないのよ」と昨夜、妻が僕に言った。名門の幼稚園などに僕は興味はないのだが、そのへんの幼稚園に入れるのにくらべると、長い目で見るとずいぶんとちがうのよ、とも妻は言った。どのくらいちがってくるのか確認してみよう、と僕は思った。名門の幼稚園は、朝の十時から父母同伴で面接試験を行うのだ。僕はダーク・ブルーのスーツだ。ネクタイは一本しか持っていない。二十代の前半にディズニー・ランドで買ったおみやげのネクタイだ。ミッキーが見えないようにすこし下げて結ぶと、じつにいいネクタイに見えた。

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モナ・シンプスンの長編小説『エニイホエア・バット・ヒア』を、かつて僕はペーパーバックとハードカヴァーのふたとおり持っていた。ペーパーバックのデザインは、ぱっと人の目を引く力のある、通俗的なデザインだ。しかし、それはそれで、充分に美しく出来ていた。表紙に使ってあるイラストレーションは、この小説のなかに出てくるひとつの場面を、写実的に描いたものだった。ハードカヴァーの表紙に使ってあったイラストレーションは、これ自体が作品だ。ひとつの作品であると同時に、この長編小説全体を見事に象徴するという難しい役も、軽々とこなしていた。

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(以上3作品『ノートブックに誘惑された』角川文庫/1992年)

ビールの空き缶コレクションは、1930年代からすでにホビーとしてあった。しかし、1971年にBCCA(ビア・キャン・コレクターズ・オヴ・アメリカ)という団体がセントルイスで結成されるまで、人に自慢できるようなホビーではなかった。オアフ島に住むぼくの友人は、1950年代初めのポンティアックのステーション・ワゴンをポンコツにして空き缶の捨て場にしていたところ、車で通りがかった若い男性2人に「空き缶を引き取らせてほしい」と言われたという。ワゴンの中には、コレクターにとってはノドから手が出るほどの珍品が、ざくざくとあったという。

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カリフォルニアのサーフィン・サウンドに関するお勉強ぶりを1冊の本にまとめたものは、ぼくの知るかぎりでは、ジョン・ブレアという人の『ザ・イラストレーテッド・ディスコグラフィ・オヴ・サーフ・ミュージック1959─1965』(1978)と題した全52ページの本が1冊あるだけだ。波乗りというスポーツ兼ライフスタイルをインスピレーションの土台にして生まれてきた音楽を、総称してサーフ・ミュージックと仮に呼んでいる。サーフィン・サウンドは、南カリフォルニアにほぼ限定されており、音にこめられている気持は、波乗りひとつに絞られていた。ビーチボーイズに代表されるサーフィン・ソングになると、当時のティーンエージャーたちのアイデンティティのようになっていった。

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1982年にアメリカで公開された映画『ダイナー』は、公開と同時に、たいへんな好評を得た。日本だと青春映画に分類されるかもしれないが、アメリカの文脈ではコメディだ。1959年のアメリカの地方都市・バルティモアを舞台としたこの映画は、ハイスクール卒業生たちとか、彼らのたまり場であるダイナーとかに感情移入できるだけの予備知識がないと、楽しめる度合いはさらに低くなってくる。さらにあの時代の雰囲気というか感触というか、手ざわりのようなものを『ダイナー』は実にきめ細かく再現してみせてくれる。こまかなディテールのひとつひとつが、映画全体の印象を地味な方向へ引っ張っていく力となっていて、ぼくはそのへんも気に入っている。

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(以上3作品『ブックストアで待ちあわせ』新潮文庫/1987年)

ハンバーガーというものは、ケチャップをかけて食べるための「台」のようなものであり、ハンバーガーを食べるときの主たる目的は、ケチャップのボトルを何度も手にとっては、ドロリとケチャップをかけ、そのケチャップを楽しみ食べることにある。そのときのケチャップは、ハインツのトマト・ケチャップでなくてはいけない。いちばん普通の、レイベルにはトマト・ケチャップとしか書いてない、14フルイッド・アウンス(397グラム)入りの、昔からかたちの変わっていないオクタゴナル・グラス・ボトルにおさまったハインツのトマト・ケチャップを食べるためにこそ、ハンバーガーは存在する。

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1950年代は、ぼくにとっては近いような遠いような不思議な時代だ。遠い昔、少年だった自分が観てなんらかの感銘を受けたが故にいまでも覚えているアメリカ映画を、『1950年代の映画』というアメリカの本で復習してみた。かつて自分も観たなつかしい映画を1本ずつ順不同でたどりなおすと、いろんな新しい発見があって面白い。1950年代にはへんな映画がたくさんあった、という印象をぼくは持っている。『大砂塵』という西部劇は、へんな西部劇の筆頭だろう。原題を『ジョニー・ギター』と言い、同名の主題歌がヒットした。監督がニコラス・レイだから、全篇にわたって何か仕掛けがあるはずだと、今なら先回りして理解できるが、少年にはまだそこまでは無理だった。

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料理をすべて食べおえ、コーヒーを飲む。そして、デザートに視線を向ける。淡いグリーンのサイコロに切ってガラスの容器に盛った、アーティフィシャル・ライム・フレイヴァーの、ゼラチン・デザートだ。それは、たいへんに不思議な食べものだ。いちばん好きな淡いグリーンのキューブは幻のように透き通っていて、切り口はつるつるとなめらかであり、角は鋭く、稜線はくっきりとシャープだ。そして全体の雰囲気は、おおげさに言うならば、まるでこの世のものではない。ぼくが大好きなこのゼラチンのキューブによる簡単なデザートの基本となる材料は、紙の袋に入ってスーパーマーケットの棚にならんでいる粉状のゼラチンだ。いろんなブランドがあるはずだが、アメリカできわめて広く日常的に親しまれているゼラチン・デザートの材料が、ジェロ(JELL-O)というナショナル・ブランドだ。

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(以上3作品『紙のプールで泳ぐ』新潮文庫/1988年)

2023年5月9日 00:00 | 電子化計画

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