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写真エッセイ『横置きの東京』より5作品を公開

写真エッセイ『横置きの東京』(『日本カメラ』/2004年)より5作品を本日公開いたしました。

 神保町は僕にとって青春の街のひとつだ。二十代のほぼ全期間、毎日のように神保町へいき、いまで言うフリーランスの雑誌・新書のライターとしていろんな仕事をかたっぱしからこなして多忙だった。2003年夏、神保町。曇りがちなある日の午後、一眼レフのファインダーごしという別世界に視線で入り込んでいたとき、絶好の条件で、絶好の古い建築物を僕はとらえた。この被写体を僕なりに要約すると、それはそこに蓄積された大量の時間だ。時間が残した現実の痕跡、という種類の真実は写真うつりが良い。

(『日本カメラ』2004年1月号掲載)

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 ここにあるこの光景はずっと以前から知ってはいたのだが、立ちどまってつくづくと眺めたのは十年ほど前のことだ。下北沢に点在する、絶景とも言うべき光景を、僕は縦画面でいくつも撮影したが、この横画面の光景は、下北沢で唯一と言っていいほどに貴重な、横置きの光景だ。ご覧のとおりたいそうフォトジェニックだ。入念な観察に値する造形でもある。この光景をここまで作り上げた人の気配を、そこかしこに感じる。

(『日本カメラ』2004年2月号掲載)

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 この光景を東京のどこで撮ったか、僕は記憶していない。どこで撮ったか覚えていないのは、少なくとも僕にとっては、たいそう正しいことだ。なぜなら、このような光景は、東京の光景の原点だと、僕は考えているからだ。写真機を持って東京のどこかを歩いているとき、このような光景を目にすると、ああ、そうだ、これだ、と僕はかならず思う。僕とは無関係にずっと以前から存在していたこの光景を、これは基点だ、と僕は認識している。

(『日本カメラ』2004年3月号掲載)

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 東京の光景を写真に撮るために写真機を持ち、初めての場所を歩いているとき、見つけるとうれしい光景がある。現実のなかで長い時間をかけ、多くの人たちによってさまざまに手をかけられて少しずつ出来ていき、その結果としていまここに存在している光景だ。その風景を写真に撮り、映画のために撮影所に制作された撮影セットだと思って観察すれば、実によく出来ているその様子に感銘すら覚える。

(『日本カメラ』2004年4月号掲載)

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 東京のあらゆる部分が、僕とはなんの関係もなく成立し、存在している。写真を撮るために東京のどこへ出向こうとも、そこは僕にとって、ほとんどが初めての場所なのだ。写真機を持って歩きながら、僕はいろんな光景を見る。そのなかからピンポイントでひとつずつ、被写体を見つけては、それらを僕は写真に撮る。フィルムを現像してみると、現実どおりに撮れている。こうした一連の行為全体にかぶさるうれしい気持ちは、しかし、この写真にはあらわれていない。そしてそのことも、うれしい。

(『日本カメラ』2007年5月号掲載)

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2022年12月13日 00:00 | 電子化計画

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