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雨の夜、電話ブースで待っていた

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 真夜中に電話が鳴った。沖縄が梅雨入りをしたという小さな記事を新聞で読んだ三日後の、雨の夜だった。

 女性の友人からの電話だった。電話ブースのなかで雨宿りをしているので、自動車で助けに来てもらえないだろうか、というお願いの電話だった。あなたのところから自動車なら五分くらいのところではないかと思うの、と彼女は言っていた。

 場所を、ぼくは、きいた。彼女が言うとおり、ぼくのところからその電話ブースまで自動車でほんの数分だ。ぼくは、助けにいってあげることにした。すぐに、自動車で、彼女が雨宿りをしている場所まで、いった。

 彼女は、電話ブースのなかに立ち、道路のほうを見ていた。桜並木がながくつづいている幅の広い道路の、ひときわ太い桜の木のわきの電話ブースだ。電話ブースは、道路の反対側にあった。対向車線に入って電話ボックスのまえに車をとめ、ぼくは助手席のドアを開いてあげた。12弦ギターを持って、彼女は車のなかへ入ってきた。彼女の美しい顔は、なかば以上、泣きべそだった。

 この雨の夜のなかを、どこへでもいいから走ってくれないか、と彼女は言った。ぼくはひまだったから、しばらく走って東名高速のインタチェンジをあがり、西にむけて雨の東名を走った。

 自分がなぜ今夜は泣きべそであるのか、その理由を、彼女は、少しずつ説明してくれた。

 今夜、彼女は、ひとりの男性と、別れたのだった。彼の車で雨のなかを走りつつ別れ話をし、どうしても今後かぎりで別れるという彼女に対して彼はしだいに意地悪く冷たくなり、ついに、あの電話ブースの近くで彼女を雨のなかにほうり出したのだ。

「完全に別れたのか」

「ぜったいに、完全」

「日本は、西半分が、すっぼりと雨のなかだ」

「そうなの?」

「真夜中の気象ニュースが、そう言っていた」

「雨も素敵よ」

「このまま走っていけばいいのかな」

「ごめんなさい。へんなことに巻き込んでしまって」

「夜が明けたら東名を降りて、海沿いの国道に出てみよう」

「知らない町へ連れてって」

「OK」

「どのへんで夜が明けるのかしら」

「走りつづけてみよう」

 富士川をこえ、焼津をすぎて、大井川を渡るころになると、彼女の泣きべそは、かなりなおってきた。12弦ギターを助手席で弾きはじめた。そして、歌をうたいはじめた。ギターも歌も、なかなかの腕前だった。セミ・プロの歌手として深夜のお酒の店でギターやピアノの弾き語りをしていることは知っていたのだが、彼女の歌を聴くのは、ぼくにとってはこのときがはじめてだった。

 自分が作曲して詞もつけたという、別れの歌を彼女はうたってくれた。しっとりとした情緒のある、甘くせつない歌だった。このときの自動車は、一九七四年の、ダッジ・チャレンジャーの新車だった。彼女のこの物語も、したがって、一九七四年の、いまはもう遠い思い出だ。

(片岡義男エッセイ・コレクション『「彼女」はグッド・デザイン』1996年所収)


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2016年5月18日 05:30
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