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庶民の不安はどこから

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 庶民、という言葉に別の言葉がつき添うものの言い方に、どのようなものがあるか。名もなき庶民、というのは代表格だろう。名は誰にもあるのだが、名もなき人々、つまり無言無抵抗の存在としてひとくくりにされて放り出されている人たち、それが我が国の庶民だ。庶民のささやかな幸せ、庶民のささやかな願い、などがその次に位置している。庶民感覚では理解出来ないとか、庶民には手の届かないこと、といった言いかたが第三位か。庶民の怒りを買う、あるいは、庶民として断じて許せない、という言いかたも多用される。私たち庶民は、ひとりの庶民として、などと自分を庶民として規定する語法が、当然のように生きてもいる。

 こうして庶民を観察してみると、彼らが明らかに下位者であることに気づかない人はいないだろう。庶民は最初から下位におとしめられている。江戸の遺産の上に立った、明治政府以来のこれは伝統である、と言っていい。上位者が下位者にさまざまな不条理を強制していじめ抜く、という構造だ。僕の考えでは、庶民にもっとも似つかわしい言葉は、のほほん、というような言葉だ。のほほんと暮らす庶民。ここで僕が言うのほほんとは、どこまでも無責任、といった意味ではない。自分ひとりの力ではどうにもならない不安や心配、不満などを感じることなく、日々それなりにゆとりを持って満足して暮らし、そのなかから無理なく立ち上がる活力が、社会的な価値の再生産を促進していくような暮らし向き、という程度の意味だ。

 内閣府がおこなった最近の世論調査によると、生活に不安を感じている人たちが六十五パーセントもいたという。日本の将来は悪化するいっぽう、と判断している青少年の比率は、ふたりにひとりを越えている。別の調査では、サラリーマン四人のうちひとりが、明日にも失業という不安に直面している事実が、浮き上がった。

 社会ぜんたいすなわち国家が崩壊していく兆候と見るべきこのような不安が、いったいどこから発生して来るのか。それは人々の心のなかから発生する、というのが一般的な理解だろうか。不安だなあ、と庶民のひとりがあるときふと思い、おなじように思う人たちがいつのまにか増えていき、統計をとるといま引用したような結果となる、という種類の理解だ。人々の心からこのような性質の不安は生まれない。不安や心配を強烈に発生させている発生源の現状に対して、大幅に遅れながらも、人々の心は正確に反応しているだけだ。

 不確実性の時代、という言葉がかつて流行した。不透明な時代、先の見えない時代、などと言い換えられつつ時間は過ぎていき、これからはなにが起きるかわからないし、なにが起きても不思議ではないから、すべては自己責任の時代である、ということになった。不安や心配を、可能なかぎり人々に感じさせない、という性質の公正さというものを、国家を運営する人たちはすでに放棄している。そしてそのことに気づいていない。人々の不安の発生源として、これを越えるものはないはずだ。戦慄すべき勉強不足で基本を知らないから、国家の運営者たちは弊害のみ多い半端な対策を講じ、それらがさらなる混乱を引き起こしては、不安へとまとまる。

底本:『自分と自分以外──戦後60年と今』NHKブックス 2004年

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2016年7月22日 05:30
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