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ラスト・アメリカン・カウボーイ

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 夏の終わりちかく、カンザス州のどまんなか。

 どの方向に見渡しても、地平線までまったいらな、農業国アメリカの、途方もなく広い畑だ。

 早朝なのに、青い空には熱い太陽が、すでにかんかん照りだ。

 大地からは、水蒸気が、もうもうと立ちのぼっている。

 昨夜、雷鳴まじりの雨嵐があった。あのときのどしゃ降りの雨が大地にしみこみ、朝の太陽の熱で再び水蒸気として天に帰っていく。

 その水蒸気の立ちのぼる畑の大平原を、西から東へ、ハイウェイがぶち抜いていた。

 もののみごとにまっすぐなハイウェイだ。

 ハイウェイぞいに、トラック・ストップがあった。長距離輸送トラックの運転手たちのための、レストラン、給油所、仮眠モーテル、広大な駐車場などの集合体だ。

 猛然と空調をきかせたレストラン内部は、朝のいそがしい時間だった。

 明らかに偏屈者ぞろいの、荒くれのようなシニックのような、そして18輪トラックの運転にかけてはいずれも腕におぼえの赤ら顔の男たちが、食事をし、コーヒーのおかわりをしつづけていた。

 立ち働くウェートレスたちの、ユニフォームの白いシャツの白さが、まさに洗剤の国アメリカの白さだし、胸の張りぐあいは責め具のようなブラジャーのしわざ。そして、男たちにむかって絶やすことのない微笑は、客扱いマニュアルのなかに書いてあるとおりだ。

 窓ぎわでひとりコーヒーを飲んでいた中年のトラック・ドライビン・マンの表情が、いまくっきりとよみがえる。

 陽焼けした屈強なその男は、カウボーイ・ブーツにブルージーンズ、そして赤と青のチェックのカウボーイ・シャツ。体つきの雰囲気といでたちは、アメリカのワーキング・マンの見本のようだった。

 透明なアクリルの立方体の内部に閉じこめたら、それはそのまま、スミソニアンにでもグゲンハイムにでも、展示できただろう。

 太い毛むくじゃらの両腕は、いたるところ小さな絵柄のイレズミだらけだった。

 彼は、窓の外を見ていた。

 駐車場の一角をかすめて、まっすぐなハイウェイと、発狂したように湯気を立てつづける神の大地とを、見渡すことができた。

 金髪のまつ毛の下の、淡いブルーの瞳は、遠くを見ていた。

 近くを見たってしようがないから、遠くを見ていたのではないのか。

 アメリカのまんなか、しかもカンザス州のデッド・センター。西へも東へも、南へも北へも、 にっちもさっちもいきはしないのだが、彼はやはり勇敢だった。

 何杯目かのコーヒーを飲みおえると、彼はとにかく立ちあがった。

 キャシアで勘定を払い、あずけておいた38口径のピストルをかえしてもらい、まるでオモチャのようにそのピストルを片手に持ち、駐車場へ歩いた。

エンジンをアイドリングさせて待っていたのは、ピータービルトの18輪トレーラー・トラックだった。

 営業走行地域の各州の許可証やライセンスをいくつも貼りつけた運転台のドアにのぼっていき、ドアを開いてなかに入った。

 彼に操られてやおら動き出したピータービルトは、徹底的に機能的でたくましく、巨大で頼もしかった。そして、優美でロマンチックでもあった。

 ハイウェイに出てそのトラックは、西にむかった。

 ホーンが鳴った。『魅惑の宵』の、最初の何小節かを、ホーンは吹奏した。昔の映画『サウス・パシフィッ ク』で有名になったあの歌だ。

 大地からもくもくとあがりつづける湯気のなかへ、彼のトラックは、『魅惑の宵』を放ち、初段ギア時のデトロイト・ディーゼルの咆哮(ほうこう)をスモークスタック・エグゾーストから天へ噴出させ、勇敢にも、まことに勇敢にも、西へむかった。

 大地はあくまでも広く、天はあくまでも高かった。

 あの高い運転席の、エア・クッションのシートからだと、レストランの窓ごしに見るときよりもうすこし遠くまで、彼は地平線のむこうを見るはずだ。

 前進20段のギアから適切なギアを選びつづけながら、彼はトレーラーをひっぱって、ただひたすら、走りつづける。

 走りながら、彼は、なにを見るのだろう。なにを考えるのだろう。

 なには見えなくとも、とにかく道路は見える。アメリカのハイウェイ・システムという、狂気のさたか、それとも行動的なロマンチシズムの産物なのか、にわかには結論をくだしかねる実用品を、彼は見つづける。

 アメリカのハイウェイ・システムは、世界に類を見ない、ユニークなものだ。あの広い大陸に、まだ過疎な部分を残しつつも、とにかく網の目のように、四通八達している。

 誰か、どこから、どこへむかって走ろうと、それは走る人の自由だ。どこからどこへむかおうとも、むかうさきにおけるあらたな可能性は、純粋なかたちでは、常に存在する。どこかへむかって走りさえすれば、あらたな土地におけるあらたな可能性は、誰でも手に入れることができる。

 夢を追って右往左往するだけにしかすぎないかもしれないが、右往左往の大陸は広すぎる。

 だから、ハイウェイをどこかにむかって自動車で走るという行動と、可能性への夢が、いやでもきわ立ってくる。

 あれだけ広ければ、気持は乾くだろう。そして広さに対して有効に立ちむかうには、人は実用的でなくてはならない。気持が湿っていては、実用的にはなれないだろう。広さの片隅でへたりこんでしまうだけだ。

 長距離トラックのオーナー・オペレーターがいま六十万人ちかいという。そしてトラックのメーカーには、どこも数万台の注文がたまっているという。

 国のスケールからすればまだ足りない数かもしれないが、これだけのトラックが、ハイウェイを、いまこの瞬間も、うなりをあげて走りつづける。

 自動的に運転されているわけではない。運転席にのぼって、自分の体で運転している男がいるのだ。女性も、やっている。夫婦でパートナーを組んでいる人たちもよく見かける。

 年季をつんだ、腕の立つ、信頼できるドライバーで、年収はよくて三万ドル前後。ロマンチックでなければできない仕事だ。

 あたえられた荷物をA点からB点へ輸送する仕事だから、積荷やルートが固定してしまうと、 面白くもなんともないルーティーンになる。

 だが、五十万台が入り乱れて走るなかで、多少とも自分個人の自由を反映させつつ仕事をしていけるなら、ロマンチックな人にとっては、病みつきになってしまうだろう。

 なにしろ、あのハイウェイを、望むなら何十年でも、とにかくもっとも実用的でタフで大きな自動車で、走りつづけていられるのだから。

底本:『アップル・サイダーと彼女』角川文庫 1979年

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今日の一編

『アリゾナ・ハイウェイ』
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別れの痛みとともにある人々を慰撫するのは、アリゾナのむき出しの荒野だけだ。


1979年 『アップル・サイダーと彼女』 アメリカ カウボーイ トラック ハイウェイ 道路
2016年8月26日 05:30
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