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映画とヒット・ソングと、大事な彼女

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 一九五〇年代のことを覚えているかい、とぼくがぼくにきく。覚えているさ、とぼくは答える。覚えているよ。たとえば、どんなことを?

 ほんの少年でしかなかったのだが、記憶の奥深くまで入りこみ、いまもそこにとどまっている楽しいことは、たくさんあった。毎日のように観た映画のなかの、ほんのちょっとした断片、あるいは、夢中になって何度も観た映画のぜんたい、そしてそのような映画が心のなかに残すイメージの余韻の総体。ぼくがその頃に住んでいた町には、映画館が五軒あった。すこしだけ電車に乗れば、映画館の数はたちまち二十にも三十にもなった。めぐり歩く映画館にも、見つめるスクリーンにも、こと欠かなかった。

 カラーの映画は、シートにゆったりともたれて、のんびりと楽しんだように思う。白黒の映画は、シートの端に身を乗り出すようにして緊張し、スクリーンの上の光と影のなかに入りこもうとしていた。影響力は、白黒の映画のほうがはるかに強い。そのせいかどうか、ぼくの想像力のなかには、白と黒そしてその中間に無限にある灰色の階調によって機能する部分が、大きくある。

 映画のほかに、なにかあるかい。あるさ。ヒット・ソングの数々。映画はアメリカ映画とヨーロッパ映画だった。ヒット・ソングは、これは圧倒的にアメリカのものだ。ロックンロール以前、ロックンロール、そしてロックンロール以後。一九五〇年代のなかでは、この三とおりがリアル・タイムで体験できた。それに、年上の美しい女性たちからは、ジャズとナイン・ボールを教えてもらった。

 無数に観たと言っていい、すぐれた映画。そして、おなじく無数に聴いたと言っていい、よく出来たヒット・ソング。頭のいちばん奥になにが残るか残らないかが最終的な問題だとするなら、映画もヒット・ソングも、すべて頭の奥に残っている。なぜならそれらは、きわめていいものだったからだ。

 映画とヒット・ソング。ほかになにか、ないかい。あるさ、大ありだよ、とぼくは得意そうに答える。それは、なにだい。恋人だよ。もっとも大事なガール・フレンドが、ぼくだけのためににっこりと微笑してくれたときの、あの微笑さ。

 心に残る何本もの映画。おなじく心に残る、いくつものヒット・ソング。これらはみな、最終的には、ただひとりのガール・フレンドの、あのときのあの、くっきりとした美しい微笑へと、帰結する。

 いつの、どんな微笑だい、とぼくがぼくにきく。何度もあるのだけれど、たとえば、高等学校の卒業式で、総代として答辞を読んだ彼女が、読みおえて講堂を見渡し、ぼくを見つけ、そのぼくをまっすぐに見て、にっこりと作って見せてくれた、特別製のあの笑顔だ。

 それからしばらくすると、エルヴィス・プレスリーは陸軍に入隊し、それからさらにしばらくすると、一九五〇年代は終わってしまった。

初出:『きみを愛するトースト』角川文庫 一九八九年
底本:片岡義男エッセイ・コレクション『「彼女」はグッド・デザイン』太田出版 一九九六年


1950年代 1989年 1996年 『きみを愛するトースト』 彼女 映画 片岡義男エッセイ・コレクション『「彼女」はグッド・デザイン』
2015年12月11日 05:30
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